白馬に乗った王子様
2022年4月4日
結婚して気がつけばもうすぐ五十年、金婚式が間近である。互いに何が良くて結婚したか、という話になると二人して「男を見る目がない女と、女を見る目がない男が偶然出会った必然の結果」という所に行きつく。話はそれから脱線して、若い人達の結婚に話が及ぶと、妻は「結婚前の女性は、白馬に乗って王子様がやってこないかしら、と内心思っているのよ」と言う。はい、はい、王子様でなくて悪うございました。さらに「結婚は一度きりでいいわ」と追い打ちをかけ、挙句は「結婚相手は誰でもよかったのよ」と、とどめである。
白馬に乗った王子様は、自分を幸せにしてくれる憧れである。白雪姫や、眠れる森の美女などメルヘンである。王子様は姫を苦境から救い出し、姫は幸せになるという。だから、メルヘンの物語は、幸せにしてくれる人が現れるということであると、長く思い込んでいた。ところが、妻の追い打ち、とどめは結婚生活の不満の表れなのか。しかしそれはどうも少し違うようだと最近になって思い始めた。
私の関東に住む友人のご夫人は中国地方の出身である。その友人と関西のどこかで出会って、結婚する運びとなったとき、親族周囲から「何で箱根の山を越えてまで」とさんざん言われたという。私事ながら、妻も中国地方の田舎町の出身で、結婚して最初に定住したところは東京であった。妻の妹も結婚した相手の住処は関東であった。ほんの身の回りの事例なのだが、確かに当時の結婚においては、女性が男性の住処と仕事を優先するのが当たり前という社会であった。花嫁は涙にぬれて故郷を離れ遠く嫁いでいく、と言わんばかりの情景は瀬戸の花嫁に歌われている。その涙は花嫁の本心からだろうか。
話は変わる。
「主婦とは」の話である。実は私のボヤキである。以下は私から見た偏見に満ちた主婦像として書くので、そうでないご夫婦にはご容赦たまわりたい。
主婦は井戸端会議、長電話が好き、買い物に時間をかけて巡り歩き、ニュースやドキュメンタリーも見るがバラエティ番組を好む。男性からすればまことに時間を無駄にしているとしか見えない。私の妻は井戸端会議をあまり好きではないようだが、ご近所付き合いとなれば無難にこなす。その他は多くの点で平均的主婦像に合致している。その妻が、私が仕事の一切をやめてから特に朝刊をじっくりと読むようになった。妻は「読むスピードが遅いので、時間がかかるのよ」と言いつつ、新聞一紙を一時間以上二時間近くかけて丹念に読む。
あるとき、よく新聞を読むようになったね、と言うと「男の人は社会と広くつながりがあって世の中を知っているけど、主婦はそうではないの。だから新聞を読むの」と返ってきた。それを聞いて女性の心理が少しだけ分かったような気がした。主婦は奥様と呼ばれて、何十年も家の中だけが社会であった。子育てや家事を一手に引き受けて来た。主婦にはそれら以外のことをする気持ちの余裕も時間がなかった。子育てを終え、夫の世話も軽減できる時期になれば、自分の世界を拡張し、さらにはつながりを持ちたいと思うのは当然である。妻に言わせれば、長電話も近所づきあいも全て、世の中を知り、経験するささやかな機会だという。たまにデパート売り場を目的なくうろついて「疲れた~、けど楽しかった」というのは、世の中の新鮮な空気に触れたからである。一回り年下の仲間と続いている英会話の仲良しクラブは、世代の違いを知る絶好の機会であるという。英語の上達が二の次なのはそのせいである、とは本人の弁。
思い返せば私たちが若かりし時、女性と男性では結婚生活のみならず、社会生活全般における役割分担は明確であった。「じいさんは山に芝刈りに、ばあさんは川に洗濯に」、とはおかしくも誇張されているが、男女で役割分担が固定されていたことを象徴している。私が会社勤めを始めたころ、女性は仕事の補助要員であり、職場の花であった。中学時代までさかのぼれば、男子生徒は技術科を習い、女子生徒は家庭科を習った。将来の結婚生活における役割分担を前提としたカリキュラムであった。
話を白馬の王子に戻す。
妻は、「結婚相手は誰でもよかったのよ」と時々のたまうので、ある時それはどういうことかと尋ねてみた。話の大筋はこうである。家内は中国地方の田舎町に生まれ育って他の土地を知らなかった。大仰に言えば知っている世界は一つだけだったのである。妻の母方は田舎町の戦前からあったが、敗戦のあおりで没落した料亭の娘で、父方はこれまた古くからあるお寺の筋であった。育った環境は、サラリーマン家庭であって、質素を旨とした生活であり、どちらと言えば厳格、保守的な雰囲気であった。父親は二人の娘をたいそう可愛がったが、「女に学問はいらん」と、四年制大学への進学は許してくれず、地元の女子短大に進学した。その短大は地元の女子ばかりが集まるところで、異なる世界とのつながりは得られなかった。妻の妹も同じく県内の短大に進学し、県内の企業に就職した。
こうした生活は姉妹にとってごく自然になじんできたものであったろうが、同時に違う世界も見てみたいという想いも膨らんだという。妻は、短大卒業後に地元の幼稚園に保母として就職した。それゆえ、もし環境を変えたいと思うなら、地元産以外の男性と結婚することがもっとも現実的で、周囲も納得させる方法であったのだ。恐らく人生最初の戦略は無意識のうちにしまい込んでいたに違いないが、ぼんやりとした憧れという形でもっていたかもしれない。まさしく自分を退屈な環境から救い出してくれる王子様を待つ、という心境である。単調で、窮屈な環境から救い出してくれる相手ならば、誰でもよかったのである。その心の綾を端折って言うから「結婚相手は誰でもよかったのよ」となるのだろう。ちなみに私は関西の出身であるが、引っ越しの多いサラリーマン家庭で育った上、学生時代は下宿生活で、結婚するときは東京で働いていた。いま思えば、駄馬引く馬子でも自分を遠くに連れて行ってくれるであろう、と妻は思ったのであろう。結婚前、妻の周囲は私のことを、「どこぞの馬の骨か」と言っていたという。
18歳女性の結婚願望は「白馬の王子」であり、八一歳主婦の結婚達観は「相手は誰でもよかった」となるのだが、この二つは繋がっている。それは未知の世界を知りたいという、女性の潜在意識が繋ぐのである。女性は保守的であるべきで、いずれは結婚して家庭に入り、家を守るというイメージが確かに私たち団塊の世代には色濃く残っていた。それは社会の在り方が、私たちの考えを規定していたからである。「一人では食えないが、二人なら食っていける」という考えがあった。日本は今よりずっと貧しかった時代である。今日、女性の社会進出は目覚ましく、共働きはもちろん、親から独立して一人暮らしは当たり前である。女性の社会進出が進んだ理由にはいろいろあるが、白馬の王子を待たなくとも、自力で外の世界に飛び出し、知り、経験することができる豊かな時代になったことが大きな理由であろう。
反面、地方から若い女性が大学進学を契機に遠方の世界に出て行けば、適齢期の男性も地方に残る動機も薄れる。地方の衰退は、地場産業に元気がなく、高等教育を受けてもそれを活かす受け皿がないためであると言われる。その通りであろう。しかし若い女性の、未知の世界へのあこがれは男性以上に強いと思う。生まれ育った土地でそのまま結婚して子供を産み育てることになれば、閉じ込められた生活が人生の最後まで続くという、惧れとも諦めともつかない思いに駆られているのではないか。地方の衰退は、若い女性の心の葛藤まで考えなければ分からない。カール・ブッセの詩は「山のあなたの空遠く、幸いすむとひとのいふ」に始まり、「涙さしぐみかへりきぬ」で終わる。それでも人はもう一度「山のあなたになほ遠く、幸住むと人のいふ」(上田敏訳)とつぶやく。
田舎育ちの世間を知らないおぼこ娘は広い世界を知りたいと、遠くへ嫁ぐ夢を見るが、夢かなった結婚生活も家の中だけで人生の大半を過ごす。故郷を離れた結婚で生活の場は変わったが、好奇心が十分に満たされる世界であったか、人生であったか、と問われれば夢に描いたほどではなかったであろう。夫は妻に先立たれるとせいぜい三年ぐらいしか生き延びないが、妻は夫に先立たれてますます元気になる。高齢の女性があらゆる場面で男性より元気なのは、女性が男性より長生きする生き物であるからだけではない。満たし得なかった好奇心を、何十年とひそかに持ち続けてきたからなのだ。ウルマンの「青春の詩」から、お気に入りの一節を全ての女性に贈ろう。
年は七〇であろうと,一六であろうと,その胸中に抱き得るものは何か
求め止まぬ探求心,人生への歓喜と興味
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる (松永安左エ門訳)