プロジェクトもピンキリ
プロジェクトマネジメントへのアプローチ
プロジェクトマネジメントへのアプローチ
目次
1.プロローグ
・ プロジェクトもピンきり
・ アプローチの方法
・ 何をもってプロジェクトとするか?
2.物事の構造を見る
・ ゲームの構造から学ぶもの
・ ルール内の自由度
・ 神はさいころを振らない
・ 20:80の法則
3.仕事はどう進む?
・ 仕事とは?
・ 間違い探しのゲームに学ぶ
・ 仕事の立ち上がり
・ 非線形は世の習い
・ 規模が倍になれば複雑性は4倍になる
・ 量の増大は質の転換を促す
・ 分割戦略の有効性
・ まとめ:仕事はなぜ遅れるか?
・ ここまでの整理
4.段取りと仕事の開始
・ 悲観者のリスト
・ 初期条件の恐ろしさ
・ 目標の単純化
・ 安定した技術と新しい技術
・ 初期故障曲線
5.システムと複雑な世界
・ 複雑な世界
・ 仕事の複雑性
・ もう一つのアプローチはあるか?
・ 風が吹けば桶屋が儲かる
・ システムは挙動する
・ システムダイナミクス
6.品質
・エラーのないのは高品質か?
・ 設計品質と製造品質
・ 品質チェック
・ 失敗の管理
7.オペレーションとマネジメント
・ 制御という概念
・ 何に基づいて何をどのように制御するか?
・ 制御の基本形式
・ 制御に不可欠なセンサーとループ
・ 制御系の考えを持ち込むことの危険性
・ 納期が迫るとプレッシャーがかかる
・ 仕事の追い込み時期に人員を追加すると混乱する
・ レスポンスの遅いマネジメントは品質が悪い
・ マネジメントの落とし穴
・ うまく行かなければそれを続けよう
・ 車は急には止まれない
・ 動かすときには最大の力が必要
・ ある量を超さないと物事は開始しない
・ 仕事をすると周りに迷惑がかかる
・ 外乱・ノイズ
・ 共有地の悲劇
・ Scope of Control
・ Logisticsの必要性
・ 意思決定
・ 判断
8.人間
・ パラダイムの功罪
・ 人間の特性
・ 不純物の混入
・ 相転移
9.エピローグ
・ 若い人たちへ
・ 文献、付録
1.プロローグ
1.1プロジェクトもピンきり
プロジェクトと聞いてあなたは何を連想しますか?TV番組のプロジェクトX(エックスです。バツではありません、念のため)ですか、それともあなたが会社で関わっているプロジェクトのことでしょうか。このエッセイではプロジェクトを少しは経験した若い世代の人たちに、こんな考え方もあるのだというヒントを示したいと思っています。これはいわゆる教科書ではありません。折に触れて私の考えをまとめたエッセイ集のようなものです。性格がちょっとひねくれていますから教科書とは違った視点を持つように心がけました。最初に断っておきますがプロジェクトも千差万別です。私の経験は食品、医薬品の開発に限られています。
さておよそ歴史的な偉業で成ったものはプロジェクトの産物と呼んで良いのではないでしょうか。たとえばマゼランの世界一周、伊能忠敬の日本地図作成、エジプトのピラミッド建設(ピラミッドは世界中にありますが)、信玄の治水工事、東大寺と大仏の建立、遣唐使、新規事業の開拓などなど。今日では戦争でさえ一つのプロジェクトとして論じられることがあります。
もちろん当時はプロジェクトという言葉はなかったのですが、昔の人も現代と同等以上の意識レベルで捉え、事業の運営をしていたに違いないと思います。時代を遡るほど科学技術の恩恵を蒙らないのですから、今の時代の技術を持ってさえ大変だと思えるこれらのプロジェクトを成し遂げるには、その運営(プロジェクトマネジメント)の考え、技法の本質が現代より劣っていたとは思えないからです。
今から40年以上も前にアンコールワットの遺跡にたたずんだとき、まず思ったことは視界一面ジャングルの海にどうしてこれだけの壮大な構築物をつくったのだろうか、という必然性(なぜ)のことでした。今から思えばどのようにして成し遂げたのだろうか、ということも思いを馳せるべきだったのかもしれません。
こうしてみると、プロジェクトといっても歴史に残るほどのものからTV番組に取り上げられる現代の華やかなプロジェクト、更には会社の中での平凡なプロジェクトまでピンきりといえるでしょう。私たちはこれらのプロジェクトを同じ言葉で語ることが可能なのでしょうか。それはどのような言葉なのでしょうか。それとも全てではないにしても共通の部分があるのでしょうか。また企業の中ではラインマネジメントとプロジェクトマネジメントの間に本質的な差があるのでしょうか?これらは私の中での長い間の疑問でした。
新製品開発であれ、新規事業の開拓であれ歴史を刻んだ成果を見るとき、それまでにはない発想を必要としたのだろうと思わせるものがあります。もう一つは目標を実現するための実務の運営はどのようにしたのだろうかということです。後世に残るものは形として実現されたものであって、運営の実態は多くの人に見えるものではなく、まして意識されず歴史から消えていくことの多いものでしょう。しかし優れた発想・技術と巧みな運営の両輪がなければプロジェクトは成功しないのはあきらかです。
「優れた発想・技術をどのようにして生み出すか」という問いは創造性に関する領域であって、方法論として普遍化できるものなのか私にはよくわかりません。しかし「どのように運営するべきか」ということについては、ある程度可能なのではないかと思うところがあります。優れた発想を生み出すことはきわめて個人、もしくは少数のエリートの資質に負っています。運営のリーダーシップも同じく個人の資質に負っています。しかし運営の実際は多くの人間の営みの積み重ねであるという違いがあります。
以上のことからプロジェクトマネジメントを「運営」という視点で考えて見たいと思います。そもそもmanagementという言葉自体が「操作する、処理する、御する、経営する」といった実務に関わる概念を含むものです。仕事は本質的にどのような振る舞いをするのだろうか、人はどのような行動をするのだろうか、人と仕事を取り巻く環境はどのような制約をあたえるのでしょうか。これらの3点を「運営」という営みの中での問題の立て方として考えてみたいと思います。
・ プロジェクトと聞いてどんな事を思い浮かべるか、書き出してみること。
・ あなたが経験したプロジェクトを思い出して、何が困難(あるいはうまくなかったこと)であったかをリストアップすること。それは何故であったかも考察すること。
1.2アプローチの方法
ものごとを理解するための方法あるいはアプローチにはいろいろなものがあります。複雑な現象をそのまま受け止めて本質をつかむのは至難のことです。そもそも理解するということはどういうことなのでしょう。
ある現象や事象に遭遇したとき、人はその複雑な様相もしくは多くの要素にとらわれます。複雑であればそれらをまず認識するだけでも大変な作業になります。また、見たくもない様相や要素が含まれていればなおさら現状把握の作業は難しくなります。凡人にとって多数の要素を一度に理解することは難しいものがあります。
私たちの目にはたとえば文字など複雑なものを認識するのにパタン認識という優れた要約・抽出機能があることが分かっています。これは視覚における機能ですが、思考においてもいくつかの現象、事象をパタン化して共通点を見出すことが有用であることがわかっています(KJ法など)。さらに心理学的にも一つの事例(または現象)から他の同様の事例を類推すること、類推を途切れなく発展させて連想することが理解につながるとされています。ここでは科学や工学の概念から類推、連想することによって物事の構造、動きを把握するということを「理解」とするアプローチを取ってみようと思いました。
一方世の中には名言、格言、諺があり、それぞれ物事の本質をついたものとされています。これらは科学的なアプローチの産物ではなくとも、経験則として有用なものです。上に述べたように科学的な知見の応用に経験則を組み合わせて物事の構造を捉えてみるとアプローチはいっそう示唆に富むものになるのではないでしょうか。
・ 対象を理解しようと見るときどのようなアプローチをしているか、自分の思考がどのようなパタンかを考えてみること。それはどのようなものかスケッチで表現してみること。
1.3何をもってプロジェクトとするか?
プロジェクトという言葉、あるいは概念が使われるようになったのはそれほど昔のことではありません。マネジメントという言葉と概念が使われだしたのが戦後ですからましてプロジェクトマネジメントという複合語はそれより後だと言うことになります。しかし全く新しい概念ではなく、はじめに述べたように現代から見てもプロジェクトに相当するものは世界中に普遍的に存在したのですから、言ってみれば新しい装いで再登場したのだろうといえるのではないかと思います。
辞書でprojectを引いてみると、名詞としては「計画、企画、事業」とあり、動詞としては「投げ出す、投影する」、更にはproject oneself into the futureとして「未来の自分の姿を想像する。未来の自分に想いを馳せる」とあります。ここからprojectという概念には未来のある時期のある姿を想定していることが含まれているように思えます。名を残すようなプロジェクトに参加したことはありませんが、これまでの経験からすると次のようなことがいえるのではないでしょうか。
① 何かを達成するという未来の目標がはっきりしていること。目標が達成されればチームは解散すること。
② 期間、予算、人員などが特定されていること(制限があること)。
③ 複数の ライン組織の機能を横断的に必要とする仕事・業務であること。
④ およそ何らかの困難を伴うこと(少なくともライン機能では効率的、効果的に取り組めない課題を対象としている)。
まだ他にプロジェクトに特有な条件があると思いますが、代表的な特徴として上げてみました。これらはルールではありませんが、それに準ずる影響力を持つ要素、あるいは性格と考えますとプロジェクトというゲームも、またこれらの要素が規定する構造を持つのではないかと類推するのです。
・ ライン業務とプロジェクト業務の違いについて、いろいろな角度から比較して見ること。
2.物事の構造を見る
2.1ゲームの構造から学ぶもの
私は35歳でテニスを始めました。例にもれず数年間は本当に夢中になり、何とか勝つ方法はないかとストロークのやり方、メンタリティの持ち方、ゲームメーキングなどテニスに関する本を読み漁り、ゲーム(ダブルスですが)に応用を試みました。
そのころシステムダイナミクスの考え方についてブルーバックスという本を読んで興味を覚えたことがきっかけで、当時まだよちよちのパソコン(確かPC8000だったと記憶しています)をBasic言語で走らせて「テニスの技術が上下するとゲームに勝つ確率はどう変化するか」というシミュレーションをしたことがあります。簡単に言うと、プレイヤーA、Bが対戦するとき1ストロークごとにプレイヤーAの勝つ確率が0.55であるならば、プレイヤーBの勝つ確率は0.45となります。これら二人のプレイヤーの勝つ確率が変化するときゲームや試合に勝つ確率はどう変化するでしょう。
テニスの試合の運営ルールを確認しておきましょう。
①まずプレイヤーが3ポイント先取すると次のポイントを取ってそのゲームの勝ちとなります。3ポイント先取したが次のポイントを取るまでに相手に追いつかれるとジュースになり、どちらかが2ポイント先行するまでゲームは継続します。
②ゲームを続けてどちらかが6ゲームを先取したとき、他方に2ゲーム以上の差がついておればそのセットの勝ちとなります。2ゲーム以上の差がつかないときは2ゲームの差がつくまで、そのセットの中でゲームを継続します。
③このようにして5セットを戦い(男子の場合です。女子は3セットマッチです)、3セットを制したプレイヤーが最終的な勝利者になります。
さてこれをコンピュータでシュミレーションした結果は私の経験から来るものと一致していました。つまり相手がほんの少しうまいだけで、私が試合に勝てる確率ががくんと下がっていたのです。このシミュレーションを何度も繰り返して思ったことは、ゲームにはそれぞれの構造があり、プレイヤーはその大きな枠組みの中からはほとんど出られないのだ、ということでした。つまり一発逆転ということはテニスではありえず、安定したプレイを続ければ勝ちはかならずおのずと転がり込んでくるというものです。ここで大事なことは少しの優位(1ストロークでの打ち合いに勝つ確率)を安定して続けるということがテニスの構造を踏まえた勝利への基本戦略と言い換えても良いでしょう。華やかではあっても確率の少ないショットを多用するのは原理原則に反するのです。そしてプレイヤーは少しの優位を確保するために技術、タフネス、スタイル、戦術を進歩させるのです。
もっともストロークのうち合いに勝つ確率というのは技術のほかに、場面ごとの体力、運不運、精神的なタフネスなども関係しますからそこに工夫する余地が大いに存在するのですが。これがテニスというゲームの構造なのです。(ちなみにテニスの格言として、「ダブルスで勝つ方法は自分よりうまい人をパートナーとせよ」というのがありますが、このシミュレーションをやって見て本当に納得がいきました。)
ではボクシングではどうでしょうか。ボクシングはどちらかがKOするか、手数(有効パンチを含めて)による判定で決まります。KOは一発で形勢を逆転して勝利することが出来るルールです。ラッキーパンチといわれる所以です。ボクシングはテニスとはまた違うシンプルな構造といえます。形勢が不利になったまま最終ラウンド近くになってくるとパンチが大振りになりアグレッシブな動きが出てくるのもKOで試合をひっくり返せるというゲーム構造になっているからでしょう。
野球はどうでしょう。野球は攻守入れ替わって点を取り合うゲーム構造ですから、点を相手にやらないことに優る戦略はありません。点をやらなければ負けることはないのですから。投手力が野球の80%を占めるといわれるのもこの構造からすれば納得のいく話ではあります。そうはいってもホームラン1発で形勢を逆転できるというのも魅力あるゲーム構造といえます。(余談になりますが、代打満塁逆転サヨナラホームランが最高のホームランだそうですが調べてみたら、大阪近鉄時代の北川選手がなんと「代打満塁逆転優勝決定ホームランしかも初球打ち」という記録がありました。)
さてスポーツばかり取り上げてみましたが、ビンゴのような室内ゲームもルールがあります。詳しいことは省きますが、ビンゴになる確率は最初のうちは0に等しく、10回目あたりから急にビンゴになる人が増えてきます。これもビンゴのルールが作り出した現象です。残念ながらビンゴは100%さいころゲームですからビンゴで勝利の方程式はありません。いってみれば偶然を楽しむゲームです。
縦軸はそれぞれの時点でビンゴになる人が出る確率
では宝くじを買うというゲームはどうでしょう。現実には軍資金に制限がありますから、実際のジャンボ宝くじの例についてコンピュータでのシミュレーションをして見ましょう。
どうあっても宝くじは儲かる構造にはなっていないことが分かります。もっとも宝くじを全部買い占めても当選金は投資額の約半分ということですから、このことからだけでもそもそも宝くじは胴元が絶対損にならない構造になっているのは当たり前です。宝くじで思い出すのはずいぶん以前に、アメリカの貧困層では家計収入の20%が宝くじの購入に当てられているということを聞いたことがあります。宝くじはここで見たように大量に投資しても、あるいは長期に投資しても決して儲かるようには出来ていませんからこれは社会の貧困を拡大するメカニズムだと思いました。(新約聖書マタイ伝 13/12:それを持てる者は与えられてなお余りあり。持たぬ者は、その持てる物をも奪わるるなり)
このようにおよそゲームの進行状況はルールの枠組み(構造)に支配されていることが分かります。では仕事やプロジェクトにはそのような構造あるいは特徴的なことはないのでしょうか。
・ あるものを見たとき、その過去からの変遷、量的な動き、頻度、他とのつながりなど表面からは見えにくいものを考えた事例(対象)があったら詳しく書き出してみること。
2.2ルール内の自由度
ルールはゲームの構造を決め、現れてくる事象の振る舞い(機能といってもよい)を決めることを見てきましたが、それでは人間のすることに工夫の余地はないのでしょうか?同じルールに従って一方では勝者、成功者が存在し、他方では敗者、落伍者が存在します。ここでもう一度ゲームを見てみましょう。さいころゲームのようにいかさま以外に工夫の余地のないゲームではなく、たとえばブリッジのような技術を必要とするゲームを考えて見ましょう。将棋でも碁でもかまいません。いま軍隊A、Bが白兵戦をするものとします。兵士の平均的能力(殺傷技術、つまり勝つ確率)が異なると勝負はどのようになるでしょうか。これをシミュレーションで見てみまし
兵士の個々の力量の差より、兵力(集団として)の差の方が大きな要因であることが分かる
白兵戦というルールの中では、兵力差は勝利を決める圧倒的な要素であることが分かります(衆寡敵せず、多勢に無勢)。しかし逆に言えばルールは変えなくとも、戦闘能力を高めることにより勝つチャンスを大きくするという考えもあります。旧日本軍は物量の差を個々の戦闘能力を高めることに活路を見出そうとしましたが、最終的には精神論に終わってしまったとしか言いようがありませんでした。
このようにルールで規制されていない部分で、何らかの優位性を確保するということが、同じ土俵で戦う上での基本的な戦略になりえます。当たり前といえばその通りではありますが、どの部分で優位性を確保するかは現実には難しいことではあります。しかし人はルール内で可能なこと(ルール内の自由度)を全て考慮することは少なく、どちらかといえば前例や暗黙の了解に縛られながら動くことが多いのではないでしょうか。
ところで話がそれますが、「B29戦略爆撃機」をご存知でしょう。私はこの爆撃機になぜ「戦略」という言葉かついているのか、長い間疑問でした。普通、戦闘は戦闘機同士とか軍艦同士が戦って相手の戦力を直接たたくというものです。しかしB29爆撃機は戦闘機とか軍艦を直接相手にするのではなく、「軍需施設やライフラインをたたくことにより国力、ひいては戦力を弱めて戦争に勝つという戦略」に適う目的で作られたからです。
・ ルールで規制されていない部分で優位性を確保するには柔軟性と創造性が必要であるという事例を考えて見ること。
2.3神はさいころを振らない
この言葉はアインシュタインの有名な言葉です。自然を理解する上で確率という考え方を徹底して嫌ったアインシュタインは量子力学を批判してこのように述べました。(ここで量子力学がなんであるかは言及しません。ファインマンという著名な物理学者によれば実は世界で誰もわかっている者がいないということですから。ただこのおかげでパソコンが動いているということは知っておきましょう)
さて世の中には確率的な現象と見られるものが多くあります。たとえば生命保険会社は死亡率を計算して保険料金を決めています。自動車保険もこれまではそうです。確率は統計学の背骨となる概念であり、統計学そのものは社会の隅々まで利用されています。
ハインリッヒの法則というのをご存知でしょうか。「1つの重大事故の背後には29の中程度の事故が隠れており、さらにその背後には300の小さな事故がある」というものです。これはもちろん経験則ですが、事故が起こるのはこのような確率的な法則に従うと捉えるべきなのでしょうか。事象の発現を確率的に考えることに今日ではあまり違和感を持たなくなっています。意思決定の方法論でも、「それが起きたときの損害(あるいは利益)の程度」X「その事象が起きる確率」などと分かったような方程式を持ち出して意識決定のオプションの優先順位付けをしています。ここでいう「その事象が起きる確率」は全く恣意的な推測に過ぎませんが確率という言葉を使えば、それらしく見えるのです(主観確率といいますが乱用されています)。それはともかく世界は確率で理解できるのでしょうか。
確率の考え方の基本は繰り返して事象が起こるとき、その相対度数は一定の値に収束するというものです。そこには事象がランダムに生じるということが大前提になっています。たとえばコインを投げて表、裏の出る回数を記録してみましょう。表ばかりあるいは裏ばかりが続くことがあるかもしれませんが、1000回ぐらい続けて行きますと、表が出た相対度数は1/2に近づいて行きます。このとき表(あるいは裏)の出る確率は0.5とします。ランダムに事象が起きるということは事象の起こり方を左右する要素がなく、事象の間に関連性がないと言うことでもあります。すべての結果は偶然のなせる業というのが前提にあります。この確率の考え方は先に述べたように、現象の後ろには何らかの巧妙な構造がある、という見方とは基本的に異なっています。
ここでは世の中の事象は確率的に捉えるのが正しいとか間違いであるということを論じるつもりはありません。確かに確率で考えるべき事象もあるのです。しかし確率に従うと一般に思われている事象でも、よく観察すればある構造が見て取れることがあることは指摘しておきたいと思います。偶然で全てを捉えていては対処のしようがないと思えるからです。さきのハインリッヒの法則は医療事故の多発についても引用されたものです。しかし医療事故を詳細に検討すると、たとえば「医薬品の商品名が似ているものが多い」ことが大きな原因の一つであることが分かっています。つまり医薬品の商品名が似通っているという原因があり、それを規制するルール(あるいはメカニズム)がなかったのです。医薬品を認知するというプロセスにおいて誤認を防ぐルールがなければ(構造がそのようになっていなければ)医療事故が起きることは当然の結果といえます。人間の不注意がランダムに生じた結果、医療事故が起きたと考えるより妥当な理解といえるでしょう。さきに自動車保険の料率計算も確率が基になっていると例を挙げましたが、最近は走行距離などに応じて大きく料率を変える保険会社が出てきました。これは一律に確率的に事故発生を考えていたものから、事故発生という事象は均質、ランダムなものでなく構造的な区別があるということに基づく合理的な料率設定といえるでしょう。事象を分類できるところには必ず何らかの構造があると考えて良いのです。
・ ルール、枠組み、構造などの概念は互いに関連し、重複しているかもしれない。自分なりにその差違を考えてみること。
2.4.「20:80」の法則
パレートという経済学者は日曜農夫を楽しんでいるときに、えんどう豆の80%が20%のえんどう豆から採れることに気がつきました。パレートがこの事実を20・80の法則として広めたのではありませんが後世この法則が広く知られるようになりました。ABC分析という言葉を聞かれたことがあると思います。例えば売上高を商品の種類別に調べると、商品の数は多くても総売上の70-80%を占めるものは少数の商品に限られるという現象です。後でお話しする間違い探しの累積グラフと同じく累積売上は非線形のグラフになります。ビジネスの分野でも組織構成は20・60・20の分布に従う、ということを聞かれたことがあるかもしれません。つまり組織を動かしている優秀な人材は全体の20%程度であり、60%はそれらに従う人材、残り20%はダメ人材ということの表現です(表現がよくないですが)。
これらのことが示唆していることは、何にせよ(人材とは限らない)全体の枠組みを形作っているのは限られた要素であり、これらを重点的に管理、育成、投資していくべきであるということだと考えられます。ここには当然「優先順位」という考え方に結びつきます。もちろん組織全体の底上げということが無意味なのではありません。全体の底上げを図ると同時に影響力のある支配的な要素(層)に対する有効な働きかけをするべきでしょう。優先順位を間違えたマネジメントは有効でなく、ときに失敗に至るかもしれません。
・パレート図のいろいろを調べてみること。
2.5.冗長性性の利点
冗長とは「くどい、重なりがある、繰り返しがある」ということです。当然嫌われものです。ビジネス文書や報告では簡潔を旨としますから冗長性は効率性の敵なのです。「船頭多くして船山に登る」という表現もあります。しかし冗長性はいつも悪者なのでしょうか。複雑な物事は当然冗長度が高いのですが、その数ある要素を順次削除していっても骨格をなす要素(後で話しますがいまハブとします)が残っている限り物事、システムは驚くほど安定していると言われています。削除しても全体にほとんど影響しない要素は単に冗長度を上げているにすぎないのでしょうか。
複雑な世界のエピソードとしてこんなものがあります。就職口を見つけるのに人間関係が利用される(いわゆるコネ)のは洋の東西を問いませんが、強い絆の人間関係(たとえば親友、親戚など)と弱い人間関係(名刺を交換した程度、あるいは友人のそのまた友人など)とどちらが就職口を見つけるに有利であったかを調査した結果があります。その結果は予想に反して弱い絆の人間関係がはるかに有利であったことが分かっています。
個人の人間関係について言えば誰しも強い絆の数は少なく、弱い絆が大部分でしょう。弱い絆の人間関係はそれほど普段意識もせず大事にもされないという点から見ると人間関係における冗長度を上げている要素に過ぎないと考えられます。しかし就職探しというケースでは大きな役割を果たしていることをみれば冗長性の意義、価値を考え直すべきなのでしょう。
組織スラックという言葉があります。企業活動の余裕を指します。窓際族など余剰人員がよく例に例えられます。あるいは在庫、製造ラインなどについての余裕部分が一般的に含められます。これらは往々にして悪者扱いとなっています。しかし余裕部分を全くそぎ落とした組織、システムは非常に効率的でありますが、基幹部分がうまく働かなくなったときの代替システムがない、あっても機能しなければ致命傷を負うことになります。阪神大震災のときの(関西空港に対する)伊丹空港の役割など、無駄と思える冗長性は保険に例えることが出来るのではないかと思えます。少なくとも組織運営の基幹部分には常に保険をかけるような冗長性を維持することが必要ではないでしょうか。情報を共有するということは危険分散でもあります。
便利さはセキュリティの強度と裏腹であり、効率一辺倒は脆弱性と連なっていることを思い出す必要があります。
・冗長性と無駄がどんなときに有用かを考えて見ること。
3.仕事はどう進む?
3.1.仕事とは
若い人たちが部門に入ってくるたびに「仕事とは」という話をしています。仕事をする上での基本的な事柄を取り上げているのですが、その最初に「仕事をどう定義するか」という話をします。これについては皆さんそれぞれの定義をお持ちでしょうから、これが唯一正しいというものはありません。私の定義は「現状と未来の目標の差を埋める作業」が仕事である、と話しています。言い換えれば「現在地点から出発して目標にたどり着く旅程を歩くこと」ともいえるでしょう。ルートが一つでないのはもちろんです。私にはプロジェクトの業務といわゆる仕事の間に本質的な差があるようには思えません。しかし仕事の種類は千差万別です。そこには何かの共通のルールが存在してゲームのように特徴的な挙動を示すのでしょうか。
・仕事について自分なりの定義をいくつか作ってみること。
3.2.間違い探しのゲームに学ぶ
2枚の絵があって間違いの箇所を除いては全く同じ絵があります。この2枚の絵を見比べながら間違いの箇所を見つけていくというゲームをすることにします。参加者は10名。間違いが絵に16個隠れていますが参加者には知らされていません。データは2分ごとに間違いを検出した数です(正解とは限りません)。時間の進行とともに間違いを発見した累積数は伸びて行きますがその挙動には一定の強い傾向が見られます(下記グラフ参照)。つまり最初の段階で間違い探し(仕事)の進捗は大きくはかどり、後半、最後に向かうほどその伸び率は鈍化するというものです。これは私の経験から得た感触と全く一致した非線形の曲線でした。この曲線はいわゆる酵素反応にそっくりです。
この仕事をたとえば成果物の品質チェック作業と看做しますと、ゲームの絵には16個の間違いがあったにもかかわらず検出した数は平均18.8個(10~31個)です。また正しく間違いを見つけた数は平均11.4個です。すなわち品質チェックの検出感度は100%でなく(平均71%)、またさらに余分の間違いも作りこんでいる(検出が疑陽性)ことになります。要約しますと、
① 仕事は日々一定の割合で進まない。次第に進捗は遅くなり、なかなか終点に到達しない(非線形の挙動)。
② 仕事をすることは間違いも作りこむことである。(品質チェックはあてにならないと考えるかもしれませんがまた後で議論することにしましょう)
まず①では仕事の完了時期が予測より後ろにずれがちになることです。経験ある仕事であればそれもかなりの精度で完了時期を予測できるでしょうが、プロジェクトで全く同じ仕事を経験するということはまずありえないでしょうし、またプロジェクトメンバーも全く同じということはなかなかないことです。
ついで②では仕事の節目で間違いを除去する作業が付加されます。当然このための仕事と時間を消費します。このマネジメントを適切にしなければ仕事の完了時期はさらに延びることになります。通常この除去作業を定期的に行うということを工程表もしくは日程に考慮しないことがしばしばではないでしょうか。最終の品質チェック(出荷検査)は全体のスケジュールの中でおまけとしか考えられていないのが実態です。
さらに現実の業務では間違い探しのゲームでは現れてこなかったノイズ(予期しない外乱、雑音、障害)が入り込む可能性があります。たとえば担当者が風邪を引いて寝込んでしまったなどです。あるいはもっと急を要する仕事が割り込んでくるかもしれません。ノイズもまた仕事を遅らせる要因の一つです。計画に余力、余裕を含み持たせておかなければ悲惨なことになりかねません。
間違い探しのゲームはきわめて単純な、単一の仕事でした。しかし実際のプロジェクトでは多くの仕事の単位が連結されて次第に全体が構築されていくものです。それぞれの仕事の単位においてすでに上に見てきたような遅れに向かう傾向があるのですから、仕事を連結すればさらに遅れが増幅されるであろうと考えられます。言い換えればプロジェクト(仕事)はもともと自然に遅れる傾向をもつ、と考えるべきなのです。しかし「自然に遅れる傾向がある」というのと「遅れて当然」ではむろん違います。遅れる傾向を生み出す構造(性質)を知っておればマネジメントに工夫することが出来ると考えたいと思います。
・経験したプロジェクトで遅れがなぜ起きたか、その原因を推測して書き出すこと。
3.3.仕事の立ち上がり
間違い探しのゲームでは仕事の進捗曲線は開始とともに急速に立ち上がっています。しかし現実では新しい仕事に取り掛かるときにこのような急速な立ち上がりは珍しく、多くはしばらくの助走期間を必要とします。
挽きたてのコーヒーを入れるときにパーコレーターというものを使います。これはコーヒーの粒々の間をお湯がしみとおる間にコーヒー成分を抽出するのです。Percolateという言葉は「しみとおる、広がる」という意味です。上からお湯を注ぎ、しばらくして下からコーヒーが出てくることを想像してください。
さてプロジェクトの立ち上がりもこのような状況がよく見られます。つまり業務が安定して動き出すまでには知識や習熟体験、暗黙の了解、モチベーションなどがメンバーの間に染みとおるしばらくの時間を必要とします。この間はある意味で各々のメンバーにとって試行錯誤の時期であり、業務効率は低いレベルにとどまって進捗は思うようにはかどりません。言うならばプロジェクトチームとしての学習期間です。間違い探しのゲームで進捗曲線は酵素反応の曲線に似ていますが、学習期間あるいは助走期間を必要とするので現実にはS字カーブを描くことになります。この学習期間がどのくらい必要なのかはもちろんプロジェクトによって異なりますが、この期間を明示した形で計画の中に織り込んでいることは珍しいのではないでしょうか。ここにもプロジェクトの進捗が出だしから遅れる要因があります。
・ 学習曲線(習熟曲線、経験曲線)についてどんな形をしているか調べて見ること。
3.4.非線形の挙動は世の習い
線形、非線形という用語はもともと数学や物理の世界の用語です。例えば時間の経過とともに生産量が直線的に比例して増えていく、あるいは減少するときこの関係は線形といいます。一方、ある量の増加に応じて最初はどんどん増えても次第にその伸びが鈍化していく(あるいはその逆)など「間違い探しのゲーム」のように直線的ではない挙動を示すものを非線形と呼びます。
私たちの潜在意識には「ものごとは線形に変化する」というものがあって、なかなか「ものごとは非線形に変化する」ということの方が多いという現実に気がつかないようです。これは大変重要な認識であって、ゲームの構造から類推できるように、事象の構造によってどのような挙動のパタンを示すかという大枠を捉える上で基本的な判断を与えるからです。プレイヤーはゲームのルールが作り出す挙動の大枠から抜け出ることが出来ないことを話しましたが、別の言い方をすれば仕事でも進捗(挙動)があるパタンを描くものを、別のパタンを描くことを期待してコントロールする(あるいはマネジメントする)ことはほとんど出来ないということを意味しています。非線形の挙動を示す物事にはそのような対応をしなければならないのです。
・非線形の挙動にはどんな具体的な事例があり、それはどんな挙動を示すか図に示すこと。
3.5.規模が倍になれば複雑性は4倍になる
仕事の規模が2倍になったとき、そしてそのような経験をしたことがなかったとき、人は仕事をするための時間見積りをどのようにするものでしょうか?2倍ぐらいならあるいは多くの人が経験済みかもしれません。では10倍になったらどうでしょう。量が増えたことによって効率的にいく可能性と、複雑性が増して効率が落ちる可能性の両方が考えられます。しかし一般的には規模が大きくなるとどうなるでしょうか?誇張であると非難されることを覚悟で言えば、仕事の規模が2倍になれば複雑性はその二乗に、従って所要時間は4倍になると考えるのがよいとされています。規模が3倍になれば複雑性、所要時間は9倍です。もちろん仕事の性質として単純な力仕事が主体の場合と複雑な要素が絡み合う場合とでは事情は大きく異なってくるでしょう(単純な仕事ではむしろ線形的に比例することが多いといえるかもしれません)。しかし大事なことは「仕事の規模が大きくなればその複雑性は非線形に増大する」という仕事の本質を理解することにあります。そしてこの増大は簡単に人間の制御能力を超えてしまうのです。
・ 人が二人のときの人間関係は1つである。三人なら3つである。では5人ならいくいつか?人が増えるにしたがって人間関係が飛躍的に複雑になることを理解すること。
3.6.量(規模)の増大は質の転換を促す
実験室の成果を商業的に実用化する際(例えば化学プラント生産)、その中間ステップとしてパイロット設備による検証がよく行われます。その規模は想定される実用化の規模の大体1/10程度だそうです。実験室の規模と実用化された規模ではおそらく何百、何千倍もの差がありますので、1/10というモデルはかなり実用化の規模に寄ったスケールであるといえます。おそらく工学的、技術的経験値からでしょうがこの1/10のスケールは現実を投影するに最低必要なレベルと考えられます。大雑把に言ってこのスケールより小さなモデルであれば現実を推定する技術モデルとして不十分であり、これ以上大きなモデルであればモデルを作る時間的、経済的問題が大きくなるということでしょう。この事例から、量や規模が増大していくとシステムの挙動があるところで大きく変り、質的な変化を生じる事が推測されます。私の経験では仕事量が5~6倍にまで増加すると、それまでのプロセスの単純な拡大(単純に言えば人員の比例的な増加)では追いつかず、プロセス、仕組み、マネジメントそのものの変更を必要とする、というものです。仕事の量が増えればそれまで稀にしか生じなかった問題が目に見える形で頻繁に生じてきますから、それまで例外的対応で済んだものが組織的に対応する必要が出てくることも理由の一つでしょう。
さきに複雑性は仕事の規模の二乗に比例し、要する時間は非線形に増大すると話しましたが、仕事の規模と量が並行しているとすれば実は同じことを意味しているものと理解できます。
・ 量や規模が大きくなったとき、それまでの経験値からはずれた経験をしたことがあるならそれを具体的に書き出すこと。
3.7.分割戦略の有効性
いまある仕事が1,000の要素を含み、この仕事に要する時間を二乗の法則によって1,000,000時間を要するものと仮定します。この仕事を10分割すれば1つあたりの複雑性は100、所要時間は10,000ですから、全体では100,000時間となり最初の10分の1となります。ここでは単純化したモデルを考えています。仕事の増大に対してこの分割戦略が有効であることは理論上明らかです。現実の世界でも仕事の分担は当たり前のこととして行われています。しかしいつもこの戦略は有効なのでしょうか。
いまある製品を考えて見ましょう。いろんな部品から出来ています。これらの部品はそれぞれ違う工程で作られ、部品として完成されてから総合的に組み立てられています。組み立て作業が円滑にいくためには部品が間違いなく完成し、部品同士の結合に問題がないということが前提です。機械工学の世界ではこの前提を確保するために「合わせる技術」が制御の重要な一つとなっています。
一方プロジェクトにおいても部品に相当するものが分業です。一つのプロジェクトに纏め上げていくためには機械工学と同様に分業を合わせる技術とその作業を見込まねばなりません。分業を分担する者の間で品質が同じになるような標準化の労力が必要です(品質を合わせる技術)。さらに各部品(分業)が完成する時期のずれを最小限にすることが総合組立ての時期を早め、ひいては納期を短縮することにつながりますが、これについても分割した数のスケジュール管理が必要になってきます。これは時間(タイミング)を合わせる技術です。
いずれにしても分割戦略には制御工学で言うところの「合わせる技術と標準化の技術」およびそれらにかかる労力、さらに分割したものを統合する労力を考慮したマネジメントが必要です。これらの加算される労力が分割による労力低減のメリットを打ち消さない範囲で分割戦略は有効だということができるでしょう。
・ 分業・分担の事例から思ったより手間と時間がかかった経験があれば、それがどうしてそうなったかを書き出すこと。
3.8.まとめ:仕事は何故遅れるか?
・ 仕事は完了するまでに本質的に無限の時間を要する。
・ 失敗を必ず作りこむのでその除去、修正に追加の時間を要する。
・ 立ち上がりに助走期間を必要とするがその見積もりを誤る。
・ 目標設定が過大になりがちである。
・ 規模の拡大に伴う複雑性の増大の影響を見誤る。
・ 方法論の適切性を考慮しない。
・ 計画に予備力を持たせることを考慮しない。
・ ノイズによるマイナス影響を考慮しない(分かっていても無視する)。またはノイズの管理を間違う。
プロジェクトの主要項目として「品質」「納期」「コスト」の3点があります。互いに絡み合っていますが敢えて私見を述べるなら、「納期が遅れる」ことが他の二つに対する支配的な要因ではないかと考えています。そのためにも「仕事は本質的に遅れるものである」ということを認識し、マネジメントすることがいかに大事かと思います。
・ 納期が遅れると品質が悪くなり、コストも増加するという流れを後で説明するシステムアプローチの考え方で図示してみること。
3.9.ここまでの整理
① どんな仕事も共通して見られる性質がある(あるパタンの挙動を示す。多くは非線形のパタンである)。この性質に無知であるとしっぺ返しがくる恐れがある。
② それぞれの仕事には特有な要素、ルールがある(構造を決めるものといってもよい)。これらはそれぞれの仕事に特有な流れを作り出す。この流れに逆らう施策(マネジメント)は好ましくない結果をもたらす可能性がある。
③ ある枠内、(ある系といってもよい。また人の理解と感情に投影したときはパラダイムでもある)で仕事をするとき、①と②を理解したマネジメントが必要である。
4.段取りと仕事の開始
4.1.悲観論者のリスト
人は基本的に保守的です。あるいは時間の経過とともに保守的になってくるようです。プレッシャーがかかっていても保守的になります。そのような人に新しい仕事を依頼するとき、100の出来ない言い訳を聞いても、1つの可能性を聞くことは稀です。このことは通常悲観論者を非難するときによく引用される小話でもあります。しかし本当に悲観論者の100のいい訳は価値のないものなのでしょうか?先に述べましたようにプロジェクトというのは多かれ少なかれ何らかの課題や困難を抱えているものです。悲観論者の100のリストはその課題を見極めるためにはきわめて有用ではないでしょうか。
例えばモチベーション高くプロジェクトに参加している人でも、次のようなことに困難を覚えることがあるのが現実ではないかと思います。
① 納期(工期)が短すぎること。
② 費用が十分使えないこと。
③ 人手が不足していること。
④ 適切なツールが利用できないこと。
⑤ 能力ある人材が不足していること。
⑥ ノウハウが不足していること。
⑦ 要求・制約条件が厳しすぎること。
⑧ 仕事量(業務、事業の規模)が大きすぎること。
⑨ 技術的な壁が高すぎること。
⑩ 誰も(少なくとも社内に)経験したことがないこと。
悲観論者にとっても楽観論者にとってもこれらの条件は同じです。違うのは同じ条件を踏まえて、前に進むか後ろにとどまっているかの違いだけなのでしょう。「悲観的に準備して、楽観的に臨め」という諺があります。楽観論者がリスクを過小評価する傾向があるとすれば、悲観論者のリストを最大限尊重して周到にプロジェクトを進めることは意味のあることではあります。
・ これからしようとする何かについて悲観論者のリストを作れ。それぞれの項目についてどうすれば(考えれば)うまくいくか楽観論者のコメントすること。自分で二役できることが冷静な判断につながる。
4.2.初期条件の恐ろしさ
物事がスタートするときに与えられていた、あるいは決まっていた条件を初期条件といいます。ニュートンの力学でたとえば石を放り投げるとき、どの角度でどのくらいのスピードで放ればどこに着地するか、ということが計算できます。このときの角度やスピードが初期条件に当たります。初期条件を変えても結果はそれに応じて予測することが出来ます。
一方複雑な世界でも初期条件の考え方がありますが、ニュートンの力学系(シンプルで美しい!)とは異なり、初期条件のわずかな違いが思いもよらない結果を引き起こすことが知られています。これは予測が困難です。仕事でもしばしばマネージャの予測、期待を裏切ることがあります。例として遺伝子を考えて見ましょう。遺伝子は個体が生まれ、成長し、死ぬことをあらかじめプログラムして初期条件を規定しています。遺伝病は少なくとも1つ(という限られた)の遺伝子が正常でないことに起因していることはよく知られています。遺伝子が正常でないということは高分子であるDNAのほんの一部に誤りがあるということです。このほんの一部の誤りが遺伝病という大きな結果を生み出しています。
よくコミュニケーションで「ボタンの掛け違い」という表現が使われます。最初の出発点でお互いが理解に達していたはずなのに、途中で相手の意図が分からなくなって感情的になることがあります。よくよく話し合ってみると理解し合い、合意に達していたはずのことに微妙なずれがあり、それがもとで大きく違った道筋を進んでいることが分かって、愕然とした経験は誰しもあることでしょう。
さきに段取りのことに触れましたが、段取りは初期条件を決めることです。複雑な世界にあって初期条件の小さな違いが思いもよらない大きな結果をもたらすことがあることを知れば、その重要性を理解していただけるでしょう。
・ あなたが計画を立てるとき、段取りはその中に含まれているだろうか。チェックしてみること。
4.3.目標の単純化
規模が大きくなるとそれだけでプロジェクトとしての複雑性が増すことに触れましたが、もう一つ複雑性、困難さを増す要因は「目標設定に欲張る」ということです。これには3つのポイントがあると思います。
① 目標をあれもこれもと作ること
② 目標レベルを上げすぎること
③ 制約条件を厳しくしすぎること
ささいなことから例を引いてみます。ビジネスレター(今は電子メールですが)では必ずタイトルを書きますが、「タイトルは一つ、内容もそれに応じて一つ」というのが大原則です。いうまでもなくタイトルや内容が複数あれば受け手の判断、記憶にはより複雑なことが要求されます。ビジネスコミュニケーションで間違いを少なくするための原則です。
調査は仮説を立て、それを検証するために行いますが、調査目的に沿った調査項目の絞込みが重要だと言われています。せっかくの調査だからといって調査項目を広げることは調査の精度、ひいては仮説検証能力を引き下げることになります。
軍艦の設計を例にとって見ます。軍艦は船であり、同時に兵器でもあります。従って仕様を決定する際には艦船側と兵装側がいわばチームとして意見を出し合います。兵器としての装備は主として甲板上に作られますから、重兵装になれば船は不安定になりますし、安定を求めれば兵装は抑えられます。このときあれもこれもと要求を詰め込んだ設計がもとで、不幸な結果(大破、沈没)に終わった軍艦が少なからずありました。
コンピュータシステム、たとえばDBなどの設計をシステムベンダーあるいは社内のシステム部門に依頼したケースを思い出します。依頼するほうは無意識に欲張りな依頼をしていることに気がつきにくいものです。たとえば1年に1回ぐらいしか使わない機能を要求事項にいれていてもシステム作成側はそれを判断できませんし、また分かっていてもベンダーであれば依頼者の要求を黙って受け入れてしまうでしょう。さらにテスト版から要求がさらに増えることはおそらく珍しくないのではないかと思います。コンピュータは力仕事が出来るので、新しく作られるシステムは人間の要求に合わせるべきだという暗黙の思い込みがあるからでしょう。システムは道具であり、人が使いこなすためにシステムに人を合わせるべきだ、という発想はなかなか出にくいのかもしれません。
零戦という日本の名機がありました。空戦能力の最大化を目標として設計されたのですが、防御はほとんど省みられませんでした。空戦能力と防御力の両立を求められた設計であれば当時の日本のエンジン性能では不可能であったのです。目標を単純化して成功した例として挙げて良いのではないかと思います。何かを得るには何を犠牲に出来るか、ということを常に考えておく必要があります。もっとも零戦が登場したとき、ドイツのある士官は「日本はこれで負ける」といったそうです。零戦を乗りこなすためには1000時間以上の訓練を必要としますが、ドイツの戦闘機は400時間くらいで済んだそうです。近代戦争が消耗戦であることを理解しておればパイロットの補充の困難さも考慮しておくべきであったでしょうし、また人的資源のマネジメントも不十分でした。さらに名機であっても小手先の改良型を乱発したために、後継機を生み出すことなく、航空戦力の総合的整備という戦争マネジメントにおいて日本は大きな過ちを犯したといわれています。
・ 新しいコンピュータソフトを買ったとき、あなたはそれを使いこなす手間と労力を考えるか、それともそのソフトでどんな新しいことが出来るかと考えるか、どちらのタイプだろう?
4.4.安定した技術と新しい技術
仕事には固有技術といいますか方法(論)が必要ですが、部分的あるいは全面的に新しい方法を採用する場合があります。新しい技術には期待が大きいものですが、初期故障曲線からの類推でも理解できるように、新しい方法は常としてその最初の段階で不安定なこと、習熟に時間とエネルギーを要することから新しい技術、方法にはトラブルや時間の遅れを伴うことの危険性が付きまといます。(新薬登場でも同じことですね)
これに対して従来からの技術は実績の中で検証されて修正されていますからその特性も分かっており使いやすいものです。新しい技術と従来からの技術をどのように使い分けるかはスタートに当たってのポイントではないでしょうか。
・ 野球選手がバッティングフォームを変えること、フィギュア選手や体操選手があたらしい大技を習得するなど、時間を必要とし、リスクが付きまとう実例を挙げてみること。
4.5.システムの安定化傾向・・初期故障曲線
システムの初期故障曲線とはあまり聞きなれない言葉かもしれません。新幹線の「こだま」、「ひかり」から次世代の「のぞみ」が登場したときのことですが、ものめずらしさでのぞみを利用したけれど結構遅れが頻発し、時には「ひかり」に追い抜かれることを経験した方もいるのではないかと思います。しかし今日では「のぞみ」は安定して運行していますし、ゆれも当初は気分が悪くなることもありましたが今では気にならなくなりました。このように新しいシステムを導入する際には不具合や故障が比較的頻発しますが、時とともに急激に低減して一定のところに落着きを見せます(非線形の挙動)。これはシステムの初期故障曲線として知られています。これは新しいシステム採用時の避けられない特性として理解しておくのが良いのではないかと思っています。ここでいう新しいシステムは新しいルールと言っても良いでしょう。もし初期故障曲線のように問題が時間とともに低減傾向を見せず、問題発生頻度が何時までもばらつくようであれば、システムに問題があるか、システムを受け入れている環境に問題があるか(両方のマッチングが悪いこともありえるでしょう)です。
何年か前に3つの大手銀行が合併したとき、ATMのシステムを一から作り直さず、3つのシステムを統合して大失敗を引き起こしたケースがあったことは記憶に新しいところです。この事例についてはいろんな角度から批判されていますが、統合した(新しい)システムがその初期には不安定な挙動(初期故障をする)を示す、という法則を考慮しておればシステムの構築と実運用のプログラムはまた違ったものになった可能性があります。以前に日本の銀行各社がオンラインの現金引き出し機を導入したときは、人手による従来のシステムとコンピュータによるシステムの2重システムで立ち上がりの時期を乗り切ったそうです。そういう意味では昔の日本の技術者と経営者は物事に慎重であり、危険を察知する能力に長けていたのかもしれません。近年に報じられた3つの大手銀行のシステム統合失敗例は単に技術的な問題だけでなく、日本経営の質の低下を暴露しているのかもしれないのです。おそらくは効率一辺倒の考え方であったのでしょう。
・初期故障曲線がどんな形をしているか調べてみること。
5.システムと複雑な世界
5.1.複雑な世界
近年の科学の先端領域に「複雑性」を取り扱う学問が発展してきています。「世界は複雑」と言う例をいくつか挙げてみましょう。
・ 人間は100兆個の細胞から成り立っている。
・ 脳の神経細胞は互いに想像を絶する絡み方をしている。
・ インターネットの世界は10億以上のサイトがあり、日々大きくなっている。
・ 世界の空港と航空会社の全部の路線はくもの巣のように絡んでいる。
・ アメリカ全土に張り巡らされた送電線のネットワークもくもの巣のようである。
・ 世界には60億を超える人間が存在し、無数の人間関係が存在する。
・ 多種多用な生物間の食物連鎖は複雑である。
・ 言語は高度に複雑な体系を作っている。
ここではほんの数例を挙げただけですが、「複雑な世界」とは多くの要素が存在し、互いに関連を持っています。ここで「世界」とは「システム」と考えて良いのです。システムのところで触れましたが、要素は互いに作用しあって時間とともにダイナミックな動きを示します。
もう一つ「複雑な世界」の教えるところの大事なことはランダムに存在すると見える要素が実はある構造を作るように成長しているということです。一つはハブという概念です。空港ではよくローカル空港に対してハブ空港ということが言われます。ヨーロッパで言えばオランダのスキポール空港などは代表的なものです。航空路線は世界の空港をランダムに結んでいるのではなく、多数のローカル空港を従えたハブ空港が別のハブ空港に結びついている構造になっています。つまり数多くある空港は平等なつながり方をしているのではなくいくつかのハブが全体構造の大枠を形成しているのです。このハブ空港のように多数のローカルの空港を従えている状況をクラスターclusterと呼んでいます。クラスターとはブドウの果実のようにあるものに強く寄り集まっている状態を指します。
言語体系を考えて見ましょう。これも何万という単語が平等(機能あるいは役割から見て)に存在しているのではなく、高度にクラスター化された状態になっています(せいぜい数百から千の範囲)。このクラスター化された単語はいわゆる基本語と呼ばれるものになっています。ただしこれは出現頻度に必ずしも比例しているとは限りません。
複雑な系からその要素をランダムに取り除いていきますと系としての機能なり働きが悪くなることが予想されますが、実はランダムに取り除いて行っても複雑な系(世界)は驚くほど安定していることが示されています。ところがランダムではなくクラスター化したハブを狙い撃ちにしますと、システムは急速に劣化していきます。このことから推測されるのは、複雑に見える系の中にも中心的機能を担う、少数の重要な要素(ハブ、クラスター)があり、それを見つけること、その要素を保護していくことがシステムの運営の中心であろうと考えられます。
・ 複雑な世界のその他の事例を考えてみること。
5.2.仕事の複雑性
仕事あるいは業務を組織として実施する場合をおさらいしてみましょう。一人でする場合と異なり実にいろいろな要素が含まれています。以下の図に描きだしたものは全部ではありませんがマネジメントとしては考慮するべき要素です。これらの要素は互いに独立しているのではなく、強く、弱く影響しあっています。これらの要素を含んだ領域をとりあえずシステム(系)と考えて見ます。
仕事の運営を考えるとき先のハブやクラスターと同じくこれらの要素のうち、何が支配的な要素でそれらがどのように強く絡み合っているか、またある要素が変化すると他の要素がどのように変化するか、そして全体がどう動いていくかということを理解できることがマネジメントにとって不可欠になります。
別の言葉でくりかえすなら、システムの構成要素は何か?それらはどのような支配的な構造を作っているか、そしてその構造はどのような挙動を生み出すか?ということになるでしょう。
・ あなたがマネージャなら図示された仕事の要素のうち、いくつがマネジメントの関心事項だろうか。他に考えるべき要素をリストアップしてみること。
5.3.もう一つのアプローチの可能性はあるか?
さてゲームやスポーツのようにルールが明確であれば、シミュレーションを行ってその挙動を確認できます。しかし仕事(それがラインの仕事であれ、プロジェクトの仕事であれ)の内容が千差万別であるということは、仕事の基本的な性質から生じる挙動、いってみれば「仕事は遅れがちになる」ということに加えてそれぞれの仕事のルールに応じた挙動もまた生じてくるということです。私たちはこれらを理解するアプローチをもっているのでしょうか?
5.4.風が吹けば桶屋が儲かる
「春風が吹けばほこりがたって目を悪くする人が増える。そのうちめくらになる人が増える。めくらは三味線弾きの物貰いになる。三味線がたくさん要るので猫がたくさん捕まる。猫がたくさん捕まるとねずみが跋扈して桶をかじる。それで桶屋の修理が繁盛して儲かる。」…世の中複雑な連鎖で動いていますね。この小話は屁理屈だと分かっていても妙に納得する部分があります。それは「世の中の出来事は何かつながりがあって思わぬ結果をもたらすことがある」のではないか、という予感です。いま一つはいくつかの要素が絡み合うことだけでなく、「時間に沿って動きが生じ、一つの結果をもたらす」ということ、すなわちダイナミクスの考え方が含まれていることです。
この小話をルールという観点から茶化してみましょう。たとえば、めくらになった人はこの時代三味線弾きの物貰いになるのが一般的であった(ルールと考える)ということがこの話の前提の一つですが、現代ならもっと違う状況になっているでしょう。例えばマッサージ士や鍼灸師などです。また三味線の本格的なものは現代でも猫の皮を必要とするかも知れませんが、ひょっとすると人工皮革でもそれなりの三味線が作れるかもしれません。
このように考えると、上の小話を成り立たせていた当時の条件を、(それらは前提といっても良いかも知れませんが)現代では違うルールに考えることが出来るでしょう。ならば今日では「風が吹けば桶屋が儲かる」ではなく、全く違う連鎖になるだろうと考えることは少しもおかしくありません。 言い換えれば現実の世の中の前提条件や制約、インセンティブなどはスポーツの場合のような厳格なルールではありませんが、それでも世の中の出来事の基本的な流れの方向に影響を与えるものと考えてよさそうです。そこで私たちはものごとを始めるときに「支配的な(影響力を持つ)要素はなにか?それらは時間の経過の中でどのように働いて流れを作るだろうか」ということをまず考えることからスタートするのがよいでしょう。逆に問えば「時間の経過の中で流れ(方向性)を作り出す有力な要素(ルール)はなんだろうか」ということになります。これは予測の第一歩です。ゲームやスポーツで述べましたようにプレイヤーは流れを作り出す大きな枠組みから逃れられないので、まずマネジメントの基本としては「流れに逆らわず、乱さず、予測して利用すること」なります。
・ 予測の能力を上げるためにはどんなことを心がけたらよいか、考えてみること。個人として、また組織として。
5.5.システムは挙動する
さて「風が吹けば桶屋が儲かる」の話に戻りますが、この話の流れは「風」を起点として「桶屋」へと一方向に流れています。「桶屋」が儲かりすぎたら次に何が起こるかは語られていません。しかし現実の出来事は回りまわっていることが多いようです。諺にも「情けは人のためならず」とか「金は天下のまわりもの」などあります。ここでシステムという新しく登場する言葉について説明します。今日ではシステムというとコンピュータが絡んだシステムを連想することが多いと思いますが、もっと一般化してシステムとは「複数の要素を含んだある領域(系)」と捉えて見ましょう。会社も一つのシステムですし、経済とか国家とか地球など自由に想定することが出来ます。もちろん一つのプロジェクトも一つのシステムと考えることが出来ます。このシステムの特徴はいろいろな要素が時間の経過とともにダイナミックな挙動をしているということです。システムは生き物ともいえるでしょう。
私たちはこのような複雑な要素を抱え込んだシステムの振る舞いをどのように理解すればよいのでしょうか。
5.6.システムダイナミクスの考え方
1972年にローマクラブが委託した「成長の限界」という研究レポートが、マサチューセッツ工科大学から発表されました。これは「地球社会がこのままで成長していけば将来どのような問題に直面するか?」という問いに対するものでした。この研究においてMITの研究者はワールド3というコンピュータモデルを使いましたがその原点が要素の相互の関連性を考慮して、時間とともにどのような変化が現れるか、というシステムダイナミクスのアプローチでした。ここではシステムダイナミクスの詳細は解説書に譲るとして、その概念だけかいつまんで紹介しておくことにします。
ある企業が低価格戦略を打ち出すとします。低価格により購買意欲がそそられ売れ行きがよくなります。その結果マーケットシェアが大きくなって販売数量が増え、規模の拡大によって商品原価が低減し、さらに低価格で商品を販売することが出来ることになります。
さてこの好循環は何時までも続くでしょうか?どこかでこの循環にブレーキがかかるでしょう。いま低価格があるところまでくると(時間的遅れを伴って)たとえば消費者のブランドイメージが低下することにより、販売数量が伸び悩むことが考えられます。このあらたな要因を図に付け加えますと、
ブランドイメージの低下は販売の伸び悩みとなってシェアは停滞、もしくは下がり始めるでしょう。やがて規模の経済性は機能しなくなって低価格路線に歯止めがかかることになります。このように現れてくる要因の中には時間的遅れを伴うものがあり、直線的な因果関係の思考では分かりにくいものですが因果ループで考えると理解しやすくなります。
1.問題の転嫁:対症療法の一時的効果で根本的解決策が後回し
例題:A社では品質問題が多発していました。その結果QC部門だけでなく生産現場もクレーム対応に多大の時間がとられ、疲弊していました。根本的対策はプロセスの改善であることは誰しも理解していましたが、クレーム対応のために時間が割けませんでした。
上のループではまず右側のループ、すなわちクレームの多発に対して対応が始まりますが、そのうちプロセス改善のために取りかかろうとしてもその時間が不足するほど状態が悪化してきます。その影響は生産プロセスの改善を遅らせる方向に作用して、結果としてさらに品質問題のクレームの多発を招いています。こうなるとシステムの挙動はクレームの多発とその対応に終始するという悪循環に陥っていることになります。
このケースではマネジメントとしては組織の限られた時間という資源をクレーム対応に振り向けるのか、根本的対応であるプロセス改善に振り向けるのか、という問題を突きつけられたのです。ここでは応急措置を優先させたため根本的対応を後回しにした形となり悪循環になってしまいました。こうしたとき現場としてはプロセス改善に取り掛かることができるかどうかが問題になるのですが、マネジメントとしては悪循環に陥っていることを理解していない、もしくは手をこまねいている以上のマネジメントができない、ということがもっとも致命的な問題だといえるでしょう。
システムダイナミクスの事例の紹介はここでとどめておきますが、システム思考の考えでは、問題の近く(上のケースではクレーム対応)ではなく、むしろ遠いところ(ここでは根本的なプロセス改善)に本質的な解決策があることが多いとされています。クレーム対応に終始しているうちにクレームの発生が減少するということは考えにくいですし、たまたまそうなったとしても近い将来また再発するでしょう。抜本的対応の時間が組織として不足しているのであれば、生産を一時縮小してでもプロセス改善の時間をひねり出すかどうか、なども悪循環を断ち切るマネジメントの決断でしょう。もう一つ大事なことはシステムを構成し、動かしているのは人間です。したがって人間のメンタルモデルの理解が不可欠になってきます。上の悪循環の事例では「生産を止めることはできない。クレームの対応も最優先である。」という心理的なジレンマというメンタルモデルの存在が理解できると思います。
・ 良かれとしたことが裏目に出た経験をシステム思考的に表現してみること。
6.品質
6.1.エラーのないのは高品質か?
品質といえば皆さんは何を思い浮かべますか?「瑕疵(かし)、きず、ミス、バグ、エラー、失敗」などが品質を悪くするということに異論はないと思いますが、逆に「ミスやエラーがなければ高品質」と言えるのでしょうか。ところで「失敗の経済学」ということを唱える人がいます。私の経験でも小さな見落としが、大きな損害を会社に与えたプロジェクトを経験したことがあります。責任者として本当に痛い目にあいました。後から振り返って、きちんとしたQCシステムがあればその見落としが防止できていたか、となると断言は出来ませんが、その当時QCシステムを整備していなかったことが悔やまれます。QCシステムの整備にかかる費用とそのときの会社の損害を比較すれば失敗の経済学が成り立ちます。最初に正しく作りこむことが結局は安上がりなのです(医薬品の製造基準の哲学は、品質は製造過程で作りこむ、です)。
さて話を「ミスやエラーがなければ高品質か?」ということに話を戻しましょう。プロジェクトには目標があります。プロジェクトの成果物はその目標ですが目的は別のところにあります。ちょっとややこしいので具体的な例を引きましょう。たとえば全くエラー(バグ)のないゲームプログラムがあったとしましょう。残念なことにプログラム作成者の目的(ユーザーを楽しませる)とは異なり、全くつまらないゲームに終わったとすればこのゲーム作成プロジェクトは成功したといえるでしょうか。またエラーがないので高品質といえるのでしょうか。
医薬品開発の臨床試験を考えて見ましょう。GCP違反も全くない臨床試験が実施できたとします。残念なことにこの試験成績は申請をサポートするデータ(目的)にはなりえなかった、とします。このとき臨床試験のプロジェクトは高品質であったと満足していいのでしょうか。
万里の長城を考えて見ましょう。この長城は北方の蛮族の侵入を食い止めること(目的)に役にたったのでしょうか。タージマハルの建設は王妃の魂を慰めることに役に立ったでしょうか?このように考えるとプロジェクトは何かの目的のために計画され、次いでプロジェクトとしての目標が与えられます。通常プロジェクトメンバーは目標実現である成果物までしか視野に入っておらず、その先の目的まで吟味することは少ないようです。しかしプロジェクトの成果物が目的達成に役立って初めて、成果物は高品質であったといえるでしょう。そこで、「成果物にエラーが多いとその品質を悪くするが、エラーがないことは高品質であることを必ずしも保証しない」のです。真の顧客満足はプロジェクトを企画した目的に合致したところに存在します。
・買ったものに失望した経験を思い出すこと。なぜあなたは失望したのか?
6.2.設計品質と製造品質
品質にもいろいろな種類があります。最近ではプロセスの品質とかマネジメントの品質なども言われるようになってきました。ここでは「製造品質は設計品質を超えられない」ということに触れてみます。「エラーがないのは高品質か?」という問いを議論した箇所で、プロジェクトが高品質であるのは、それを企画した目的に合致したところに存在する、と締めくくりました。一方「設計」という用語は物つくりの分野で使われていたので他の分野ではピンと来にくいところがありますが、物つくりの場合であれば設計をするときに期待する機能が想定されています。想定される機能はとりもなおさず目的に合致することが前提になっています。つまり設計こそプロジェクトを企画した目的が想定されているのです。臨床試験においてはプロトコルが物つくりの設計書に相当することになります。たとえばプロトコルに定められたエンドポイントの設定が適切でなければ、臨床試験自体がいかにうまく行われても、仮説を検証するという目的は果たせなくなります。いうまでもなく試験の実施(モニタリングなど)は製造行為に相当しますが、製造の品質がいかによくても設計のレベルを超えることは出来ないという言い方は理解できるでしょう。臨床試験の運営という観点から見た場合には、実施計画書などが設計図に相当することになります。実施計画書が悪ければ実施した結果の品質に期待できないのは言うまでもないことでしょう。
6.3.問題・失敗・ミスの管理
プロジェクト業務に限らず、仕事で発生する問題、失敗、ミスなどはある意味副作用の発現に似ているところがあります。これらが発生したときはそれを修復するとか除去する応急措置を行い、ついで未然に防ぐ対策はないかと頭をひねることになります。副作用の場合はその原因が分かっていないことが多いのでなかなか根本的な策を講じることが難しく、発現傾向に対する対策となることが多いようです。ミスなどの問題も同様で手順を手直ししても最終的には人の不注意を完全に防ぐことが出来ないものです。しかし失敗などの事例を集積していく中で何らかの発生傾向が見つかるとすれば、それは分類することができ、そこに何らかの構造を推測することができるだろうと考えます。私たちは昔から因果律がどこかに存在すると無意識のうちに考えています。つまり原因、結果の対応です。
しかし原因があれば必ず結果が対応するものでしょうか。考えなければならないことは原因が結果を生み出すプロセス、つまりメカニズムです。たとえば人の不注意は原因でしょうか、メカニズムでしょうか。難しいところです。人の不注意によるミスが発生してもそれを大事に至ることなく収束させることを機械に任せるフェイルセーフという概念、技術があります。ある種のミスであればそれが失敗という結果に発展させることを断ち切る、あるいは防止するメカニズムということになります。
失敗、問題事例を集積して分類して見ましょう。①種類、②程度、③頻度、④原因、⑤生じた場所、⑥発生時期などです。これらを分類、分析してみますと何らかの構造的なものが推測できるでしょう。個別の事情はいったんおいて置いて、構造的なメカニズムに対する対応を行うこと、あるいは原因の発生場所を迂回することが失敗の管理になります。
・自分がどのようなときにどのような失敗をするか、パタンを自己分析してみること。
6.4.品質チェック
ここでは品質チェックを成果物の間違い、ミスを検出して修正するという納品前のプロセス(最終関門)を意味することにします。品質チェックを行ったにも関わらず間違いやミスがそのまま通過してしまうことがよくあります。なぜそうなのか、どうすれば品質チェックを実効性のあるものにできるでしょうか。
経験上いくつかのことが分かっています。
① 品質チェックの期間、修正の時間を全体スケジュールの中にきちんと組み込まなかったために、結果としておざなりのチェックに終わってしまっている。
② 最終成果物にいたるプロセスの途中で、とくにミスが発生しやすい部分もその他の部分も同じように考え、扱っている。
③ 成果物を作成するプロセス全体(あるいは担当者)がしっかりしていなくて、間違いを多く作りこんでいる。
④ 品質チェックの考え方(方法論)に問題がある。
ここでは④を取り上げて考えてみたいと思います。いまある方法で品質チェックを1回行ったとき間違いの個数が(少なくとも感覚的に)多くなければ1回のチェックで終了するのが普通です。しかし品質チェックのプロセスそのものも間違いを作りこむ可能性があるうえに、品質チェックの感度が100%ではありません。
いまある品質チェックの方法で1回実施したとき、間違いを検出する感度を90%としましょう。もし同じ方法で2回繰り返すとしたとき検出感度はどうなるでしょうか。
確率に関する「独立事象の和集合の法則」によって1-0.1x0.1=0.99、つまり99%まで検出感度が向上することになります。もし3回繰り返すと1-0.1x0.1x0.1=0.999となり「まず確実」、となります。このように繰り返すということは相当な威力を発揮します(1回の感度が70%であっても3回繰り返すと最終的には97.3%になります)。しかし繰り返しの威力が発揮されるためにはそれぞれのチェックが独立した事象である必要があります。たとえば同じ人が繰り返しチェックするとしたらそれは独立した事象ではありません。同じ人が繰り返しチェックしても、あるいは原案を作成した人がチェックしてもチェックの効果がないと言われるのはこのためで、チェックの担当者を変更する必要があります。
以上のことから1回のチェックで二人が読みあわせをしながら行うのと、二人が別々にチェックした場合ではチェックの意味合いが異なります。二人が読みあわせをしたチェックでは確実性が上がります。二人が別々にチェックした場合は繰り返しをしたことになり感度が上がります。さらに繰り返しチェックをするときにチェックの方法を変えるのは望ましいことです。それぞれのチェックが独立事象であることを強化するからです。
このようにチェックをするということの方法論まで踏み込んで、チェックの体制とSOPを作成して忠実に実行する、ということが最終関門としてのポイントとなります。品質チェックシステムがありながらミスが発生する大きな原因は、方法論を含めて不十分であることが人による不完全さを上回っていると考えて良いでしょう。
・ 品質チェックの作業が、計画の中にきちんと位置づけられている(方法論とスケジュール化)されているか確認すること。
7.オペレーションとマネジメント
7.1制御という概念
制御という言葉を聞かれたことがあるでしょうか?もともとは機械工学の用語であり、概念です。「制御なくして機械なし」とまで言われる機械工学の基本的概念です。制御はcontrolの訳語です。しかしcontrolという言葉は英語の世界では日常的に用いられるのに対し、制御という言葉が日本語の日常で使われることは稀でしょう。Out of controlとなれば手に負えない状態です。
制御の卑近な例としては自動車のハンドル、ブレーキ、アクセルの3点セットが上げられます。もちろんこの制御装置を使うのは人間であり、3点セットは制御のツールです。自動車の運転から制御がなくなれば暴走以外にありえません。制御する量は車間距離であり、スピードなどであることは容易に理解できます。
原子力発電も制御されています。原子力による発熱量は炭素棒による中性子の遮蔽量を加減することによって制御されています。もしこの制御がなければ原子力発電ではなく原子爆弾になってしまいます。
このように制御ということはあるシステム(系)を動かすときに必須であり、システムの目標に近づける機能をいいます。このように理解するとプロジェクトの目標を達成するための機能(マネジメント)として制御という概念を取り入れることが有効であると類推することが出来ます。つまりマネージャ(もしくはリーダー)は制御の機能を果たさなければならないのです(制御装置であり、制御の主体者でもある)。
・身の回りで制御されている事例を挙げてみること。
7.2.何に基づいて何をどのように制御するか
上に述べた自動車の運転の事例ではまずスピードを制御の対象としていると考えましょう。スピードの制御はエンジンに送り込む空気と燃料の量をアクセルという機構によって、また車輪についているディスクへの摩擦量をブレーキという機構によって調節することで実現します。調節が必要かどうかの判断基準は例えば道路標識に示された制限速度であり、経験から得られた車間距離です。つまり何らかの基準(量)から見て制御が必要かを判断しています。あまりにも当たり前のことですが少し掘り下げてみればこのようなことになります。
ではプロジェクトにおいては何に基づいて何をどのように制御すればいいのでしょうか。
再び自動車の運転の話にもどりましょう。運転は通常目標地に着くという目的があります(もっともただ車を走らせたいという動機でドライブを楽しむことはありますが)。プロジェクトでは期待される成果物を期待する時期に期待する品質で実現することが要求されています。これらを実現するためのツールがいわゆる計画書(設計書と呼んでもいいかもしれません)。
計画書は通常ガントチャートで示される「何を何時の時期に実行する」という予定表を思い浮かべますが、それだけではなく成果物の仕様書、必要な資源の調達、消費計画(予算、人手、プロセス、ノウハウ)などが含まれます。つまり実行することの裏づけが計画されていなければすべては絵に描いた餅でしかありません(計画だけでなくその裏づけが必要です)。
計画が策定され、プロジェクトがスタートしますと必ず計画とのずれが生じます。ほとんどの場合予定を上回って進捗することはなく、多くは遅れというずれを生じます。資源の消費計画も計画値を上回(予算の膨張)り、中間成果物の品質は期待値を下回ることが多いものです。
この実態を見ますと、計画というものは制御のところで述べた判断の基準として頻回に参照するべきものであるといえます。プロジェクトが複雑、大規模、長期になるほど計画を作り、参照してずれを修正するということが大事になってきます。皆さんのプロジェクトでどれほど計画を作成し、制御のために活用しているでしょうか。
さて計画のずれに対して手を打つことが制御であり、プロジェクトマネジメントであることは理解できると思いますが、実際には計画に追いつくような施策が打てる場合と、それが不可能であって計画を修正しなければならない場合と両方のケースが考えられます。後者の場合は更に二つのケースがあり、そもそも最初の計画に無理があった(実行可能性に疑問があった)場合と、プロジェクトの進行に伴って予期されていない新たな問題・困難が出現した場合があります。
計画を策定する場合には実行可能性を吟味すると同時に、始めてから出現するかもしれない問題(リスク)を洗い出すこと、それに対する対処のプラン(contingency plan)をあらかじめ策定しておけば即応することが可能になります。
さて「何に基づいて」制御するか、ということでは「計画」である、ということを理解できたと思いますが、では「何をどのように」制御するかという問いについて考えて見ましょう。これは最初から答えが用意されているものではないだけに難しい問題です。
「ずれ」は一つの結果ですのでずれを生じる原因があると考えるのが自然です。普通はこの原因は特定できて適切な対応をすれば取り除けるものと考えられます。しかしそれは本当でしょうか。
仕事の本質やゲームの構造のところでお話したように、場合によってはその「ずれ」はプロジェクトの本質的な動きであり、計画とのずれは単に計画時に見通しができなかった可能性があります。もっと言えば仕事やプロジェクトは本来遅れるという性質を持っているといえるのです。間違い探しの結果を思い出していただきたいのですが、仕事の進捗曲線は後半部分になって鈍化することが見られています。これは仕事の挙動として本質的なものと考えられます。プロジェクトは単位となる仕事をレンガのように積み上げていくプロセスにも似ていますからわずかな遅れが積み重なって目に見えるずれとなっていることは十分考えられます。このような遅れの傾向に対してはプロジェクト計画の中に予備力あるいは時間的余裕を持たせておくことが根本的な対応になるのでしょう。しかし予備力を簡単に使い果たしてしまう危険性にも注意する必要があります。
第二次大戦のときイギリスはドイツに追い詰められたことがあります。そのときでもチャーチルは虎の子の戦闘機スピットファイア数百機を洞窟の中に隠し持って、決して安易に使うことはなかったといいます。
・ プロジェクトを始めるときにどれほどしっかりした計画を作っているか、また頻回に参照しているか実例で確認してみること。
7.3.制御の基本形式
フィードバックという言葉はよく聞かれることと思います。ではフィードフォワードという言葉はどうでしょう。多分ほとんどないのではないでしょうか。
フィードバックとフィードフォワードという行為は意識する、しないは別として日常的に行っているといえますがその概念や有用性について今一度確認しておくのがよいでしょう。この二つは制御の基本形式だからです。
簡潔すぎて分かりにくいかもしれませんが、フィードバックは結果が原因(を生じたところ)に戻ることをいいます。上の例では「ずれ」という結果がずれを生じたところに戻ります。プロジェクトで言えばずれに関わった人、プロセスの部分に戻ると考えて良いでしょう。大雑把に言えば結果がプロジェクトチームメンバーに戻ってきて、ずれの大きさ、内容が認識されるということです。これは計画(期待値すなわち基準値)を参照することで認識されます。
次に大事なことはフィードバック制御では「結果が原因に戻って原因を変化させる」ということです。原因が変化すればまた結果を変える、という連鎖になります。これは機械工学では実現されていますが、現実のプロジェクトマネジメントに応用するなら、フィードバックの結果、チームメンバーがそれを認識し修正行動を取るということです。次に出てくる結果が変化していることを確かめれば修正行動が適切であったかどうかを確認することが出来ます。人間系ではフィードバックしたからと、そこで目を離してはならないのです。フィードバックのみでは期待はずれや裏切りがあっても仕方がないのです。
フィードバック制御の良いところはシステムの特性などが十分知られていないときでも有効に働くということです。
ではフィードフォワードはどうでしょう。フィードフォワードはあらかじめ想定される制御量をシステム(例えばプロジェクトチームあるいはプロセス)に与える、ということです。例えて言えば開始する前の段取り、打ち合わせ、実施計画などが相当するでしょう。この制御形式はシステムの特性が十分に分かっていないとうまく機能しない性質をもっています。言ってみれば「開始した後は○○に聞いてくれ」というものですが、現実の制御ではフィードバックと組み合わさっているものです。スタート前のプロジェクトメンバーの意識と情報の共有もフィードフォワードの一種といえるでしょう。生命の情報があらかじめ詰まった遺伝子はフィードフォワードの典型です。
システムダイナミクスでは初期値の如何によってその後の挙動ひいては結果に大きな違いが出てくることがわかっています。段取りは初期値の設定を正しくすることです。
いま制御の一形態としてフィードフォワードの話をしましたが、日本語では段取りという適切な言葉があります。「初めよければ半ばよし」という諺は段取りを含めてのことと考えるのが良いと思います。しかし段取りは多くの場合おろそかにされがちな部分ではないでしょうか。プロジェクト計画の中できちんと位置づける習慣が必要です。
新田次郎の小説で「八甲田山死の彷徨」というのがあります。お読みになった方もおられると思いますが、あらすじは青森にある厳寒の八甲田山を二つの部隊がそれぞれ逆方向から訓練のために雪中行軍するというものです。雪中行軍の困難さをあらかじめ予想して十分な研究と対策を重ねた部隊は生還し、怠った他方の部隊が全滅するという結末でした。この事前の研究・対策こそ「段取り」の中心と考えて良いのではないでしょうか。段取りを決まりきった準備でよし、するところに落とし穴があります。
段取りについて日経に興味深い記事が出たことがあります。それは段取りの能力はいわばコンピュータの一時メモリーのようなもので、人によって大きな違いがあるというものです。段取りを雑用の一つとして扱うのでなく、もっとも有能な経験者を当てることが必要だと思います。
・段取りが良いと先手をとることができ、悪いと後手を踏むという事例を挙げてみること。
7.4.制御に不可欠なセンサーとループ
さて制御の中心であるフィードバックは結果を原因に戻すループがあると述べましたが、そのためには結果をタイムラグなく検出するセンサーとループが必要です。優れたセンサーがなければフィードバック制御はむしろしない方がよい、とまで言われるほどです。実際のプロジェクトではなにがセンサーに当たるでしょうか。例えば冷蔵庫の温度制御であれば、庫内の温度を指標として熱伝対温度計というセンサーを使うことが考えられます。庫内の温度変化は冷蔵庫というシステムの挙動データです。熱伝対温度計がセンサーです。
プロジェクトなり仕事がシステムとしてうまく回っていることを示す指標をそれぞれ探さなければなりません。力仕事で人手に頼るプロジェクトでは出勤率や残業時間のような指標も役に立つでしょう。センサーに相当するのはデータをきちんと取る担当者といえるかもしれません。あるいは出勤率や残業時間はタイムカードで正確に記録できるのでタイムカードがセンサーとも言えます。人が行う報告・連絡は最も重要なセンサーといえますが偏見と主観に満ちているという危険もあります。
話が少し横道にずれますがKPIという指標が企業で使われています。Key Performance Indexの略です。代表的なデータを記録し月々の業務の動きをモニタリングしていくというものです。企業によって、仕事によって何をKPIとするかは自由ですが、制御の立場からすればシステム(会社、業務プロセス)の挙動を的確に反映する指標が望ましいということになります。成果の量を直接指標とすることはもちろん出来ますが、その指標が例えば毎日、毎週、毎月記録できるとは限りません。またシステムのある動きが結果に結びつくまでに時間的遅れを伴うこともあります。成果とともにプロセスの挙動を知る指標が必要であることがわかります。
ループの確保もまた重要です。意外とおざなりに考えられている場合があります。共有やフィードバックに失敗があるときは直ぐにコミュニケーションの問題とされますが、センサー役の担当者が毎週の会議で必ず報告するなど、むしろループ確保の問題と考えるべきでしょう。毎週の会議がループに相当します。
・ 組織的なコミュニケーションが成立するために必要なことを挙げてみること。
7.5.制御系の考えを持ち込むことの危険性
制御工学の考え方は自然、ことに生命体のメカニズムを手本としています。従ってこの考え方を人間の営みに応用することには理に適っているところがあると思いますが、それでも限界があるのも事実です。人は工学の部品のように完全な規格化はできません。また単調な動作にはきわめて耐性が弱いものです。
逆に言えば一人一人が基本的な動作を確実に行うことができる(当たり前のことを当たり前に)というのは組織として機能するための基本的条件でありますが、それは規格化、部品化を要求することでもあります。
システムとしてきわめて精巧に人材配置を組み合わせたとしても、人は期待通りに動くとは限らないのです。システムとして考えたときには人間に規格化を要求することは止むを得ないのですが、人間の本質からすればある程度のところでとどめておくこと、また能力差や感情、モチベーション、体調など人間の特性を考慮した配置と定期的メンテナンスが必要です。このことに配慮がなければ人間を高度なシステムに構築することは危険が伴うと考えなければなりません。機械でさえ「遊び」と「メンテナンス」は必要です。
・「あそび」がなくなるとギクシャクする身の回りの実例を挙げてみること。
7.6.納期が迫るとプレッシャーがかかる
プレッシャーが適度であると人はメリハリをつけて動けますが、過度になると弊害が現れてきます。そのときメンバーとマネージャにどのような行動が現れてくるでしょうか?
・ 品質に目をつぶる。
・ 一層のプレッシャーをメンバーに加える。
・ 全てが最優先と指示し始める。
・ 手抜きを容認する(マネジメント)。手抜きを行う(メンバー)。手抜きについて互いに暗黙の合意をする。
・ 思慮なく仕事を分割し、並行作業に移る。
・ 人員を無計画に追加する。
・ 納期の遅れをオプションとして考えない。
・ 担当者を責める。
このようなマネージャの行動はプロジェクトチームを不安定な挙動に導き、時には制御困難をもたらす可能性があります。メンバーのモラルは低下すると考えなければなりません。
プレッシャーが過度になった場合、人はどのような心理的負担を負い、行動に走るかをマネジメントとして踏まえておく必要があります。ここに述べたようなことが生じるとすれば、納期を守れなかった成果物はほとんどの場合品質に問題があると考えるべきでしょう。プレッシャーによる混乱を避けるために納期を延ばしたのではなく、混乱したから納期が延長になったのです。混乱の内に納品された成果物の品質は推して知るべし、です。
・ 納期が近づいてきたとき、そして納期に間に合わない可能性が見えてきたとき、あなたのマネージャはどのような態度をとるだろうか。つぶさに観察すること。
7.7.仕事の追い込み時期に人員を追加すると混乱する
皆さんは仕事の追い込み時期に人手が足りなくなって、どうしても追加を考慮しないといけなくなった経験をお持ちではないでしょうか。そして人手を追加するか、しないか納期をにらみながら迷われたのではないかと想像します。
経験あるマネージャなら容易に理解できることですが、人手を追加することは往々にしてありがた迷惑になることがあります。それは追加の人材の能力とトレーニングに時間を要するという問題が付きまとうからです。追加される人材の能力はさておいても、追加の人材が戦力になるためにはそれ相応の時間とトレーニングが必要です。これらは既存のメンバーに大きな負担となります。
仕事の追い込みの時にはトレーニングが出来る有能な人材は限られており、時間的にも精神的にも余裕がありません。時間を削ってトレーニングするより既存のメンバーでがんばった方が仕事の進捗は効率が良いと判断されることが多いものです。メンバーの負担を見かねて人材を追加するということは必ずしも得策ではありません。仕事の後期に人材を追加することのないようにマネジメントすることがベストです。
7.8.レスポンスの遅いマネジメントは品質が悪い
マネジメントの品質は何で測定するか、という問題を考えたことがあるでしょうか。「全ては結果だ」という立場もあります。しかし成果物の品質は作業という具体的なプロセスで作りこまれるのですから、マネジメントの品質も「結果」とは別の測定項目があってもおかしくないと考えられます。
マネジメントは制御機構であり制御の主体者であるということを話しました。プロジェクトチームというシステムが不断にコントロールされているためにはマネージャに入力される情報に対してこまめな反応、すなわちレスポンスが不可欠です。システムではこのレスポンスを応答性と呼んでいます。
人間の世界でもレスポンスがこまめであるということはレスポンスが早いということであり、判断、意思決定がすばやくできるということを意味します。マネージャであれ、メンバーであれシステムの要素として互いにレスポンスが早いということはチームというシステムをすばやく作動させるために不可欠です。マネージャに入力されるものには判断材料としての情報、疑問、提案、問題提起、判断の要請、意思決定の依頼などがありますが、常にそれと分かる形と表現をとっているわけではないことに注意するべきです。
忙しいことをぼやいているマネージャがいます。能力が不足しているために忙しくしていることもあれば、やむない状況で本当に忙しい場合もあるでしょうがいずれの場合もレスポンスが遅いということはマネジメントの品質がよくないことを示唆します。ResponseとResponsibilityは同じ語源です。善意に解釈してもレスポンスが悪い状態は仕事に追っかけられ、後手に回っている状態ですのでマネジメントの質がよくなるはずがないのです。
・マネジメントの質を簡単に測るその他の指標を考えてみること。
7.9.マネジメントの落とし穴
マネジメントは良かれと思って行うのですが、人間、システム、仕事などの特性を完全には知りえず、また絡み合った要素の挙動はしばしばマネージャの直感を裏切ることが多いものです。これまで見てきたことを要約すれば失敗や落とし穴という事象にも共通のパタンがあるのではないか、と言う目で考えておく必要があります。
またマネジメントについてはマネジメントする側もされる側も、ひょっとして不可能を可能にする万能の技法だと思い込んだり、期待してはいないでしょうか。マネジメントされる側のミスやエラーはする側によって厳しく追及されますが、マネジメントする側の失敗はとかく(意図的にも無意識にも)ごまかされてしまうことが多いものです。
マネジメントは現代が手に入れた運営のための概念と手法ですが、逆に言えばそれ以上のものは手に入れていないというべきでしょう。
7.10.うまく行かなければそれを続けよう
物事を成し遂げるに我慢が必要なことは言うまでもありません。「石の上にも3年」という諺があります。我慢は美徳とも考えられています。そしてうまく行かない状況に陥ったとき、「今は我慢のときである、今の方法を続けよう」という対応があります。これは正しいのでしょうか?難しい問題です。
いま問題が発生している対象の構造が理解できており、その挙動が推測できるものであって、挙動が良い方向に向かうには今しばらくの時間がかかるという推測がつくときには「今は我慢のときである」という対応は正しい可能性があります。
もし対象の構造がよく見えておらず、しかも問題の挙動が相変わらず不安定(たとえば収束傾向を見せないなど)であれば「今はもう我慢するべきときではない」と考えた方が正しいかもしれません。
これと本質的には同じことかもしれませんが、問題が生じたときに必ず何らかの対応が必要か?という疑問もあります。非常識かもしれませんが「なにもしない」という対処の方法もあるのではないかと思います。テニスでも「全てのショットで勝ちに行くな」という格言があります。
・ あなたがいまやっていることでこのまま続けるのが良いかどうかと迷う事例があったらどちらに行くにせよそれぞれについての根拠はどう考えているのか明らかにすること。また自分の感情がどうであるかを見てみること。
7.11.車は急には止まれない・・慣性の法則
「車は急には止まれない」という標語をご存知の方は多いと思います。これは当たり前に見えてニュートンの法則を見事に言い表しています。ある物体が運動をしていると、何時までもその運動を続けようとする性質があります。現実には空気抵抗や摩擦などにより、物体に力を加え続けないとその動きは次第に減速してきますが、それでも急には止まらないものです。そして質量の大きい物体(組織)ほどその傾向は強くなるのです。
この標語は組織がある方向に向かって動いているときに、あらたなルールを持ち込んで仕事のやり方を変えるとか、目指す方向を変えるときに考えなければならないことです。当たり前のことをいまさら、ということを思われるかもしれませんがリーダーはしばしばこのことを忘れるのです。
英語の格言に「Order, counter-order, disorder」と言うのがあります。命令を下し、舌の根も乾かないうちに反対の命令を下せば、現場は混乱することを言ったものです。「朝令暮改」と言う表現もあります。止むを得ず急に方向性を変える、あるいは影響の大きいあらたなルールを持ち込む場合にはある程度の混乱は避けられないものとして、事前の対策を立てておく必要があります。残念なことに組織の上の人間ほど命令一つで組織の動きはすぐに変わりうると思っているかのようです。
7.12.動かすときには最大の力が必要・・静止摩擦係数
重いもの例えばピアノなどを動かそうとしたとき、なかなか動きませんがそれでもあるところまで力を加えていくと動き始め、いったん動き始めるとそれまでより少ない力で動かすことが出来ることを実感したことはないでしょうか?これは先の「車は急には止まれない」ことの反対の事象です。
物体は地面や床など接しているところとの摩擦係数で決まる、加えられた力に反対する(抵抗する)性質があります。この係数は物体が静止しているときと動いているときでは異なり、静止しているときの係数の方が大きい、つまり反対する力が大きく物体を動かすに必要な力をより多く必要とするのです。
飛行機が離陸する場合、エンジンは離陸を開始する直前で最大出力にするそうです。飛行機のことは詳しくは分かりせんが、物体を動かすということからすればその最初に最大の力を振り絞ることが必要だというアナロジーは理解できます。
組織をもってあらたな挑戦を始めるときには相当に大きな力(エネルギー、段取り、準備期間)を必要とするものと覚悟しておく必要があります。さらに組織の構成員の心理的抵抗(パラダイムに起因する)があるときはこれも静止摩擦係数を大きくする要素として対応を考えなければならないでしょう。
7.13.ある量を超さないとものごとは開始しない・・閾値
神経のスパイク現象をご存知でしょうか?神経線維が情報(電気的興奮状態)を伝達する様子を観察しますと、一つの神経が何らかの刺激によって興奮するとき、その程度がある一定の値を超えないとその興奮が次の神経線維に伝わりません。ことのとき超えるべき一定の刺激の量を閾値と言います。この現象は神経線維以外にもいろいろなところで見受けられます。
日常生活ではなにか手を打ったときにその程度に応じて期待する変化がすぐに出てくると思いがちですが、世の中には手を打つ程度が一定量(あるいは一定の強度)を超さないと物事が開始しないということがあります。例えば効果が出てくるまで繰り返し説得やトレーニングの機会を設けなければならないことはよく実際に見られることでしょう。
・閾値を持っていると思われる例を挙げてみること。
7.14.仕事をすると周りに迷惑がかかる・・エントロピーの法則
エントロピーという言葉は特定の理科系の分野を専攻した人でなければあまり聞いたことがないでしょう。これは熱力学の第二法則としてあまりにも有名でかつ強力なものですが、なかなか直感的に分かりにくいところがあります。しかしこの法則が示す現象は日常生活でお目にかかるのです。
難しいことはさておき、エントロピーは「乱雑さの程度」であり、物事は自然に放置すれば「乱雑さが増大する方向に向かう」というものです。逆に言えば乱雑さを少なくさせる(別の表現をすれば「秩序だったものにする」)ためにはエネルギーが必要である、ということを意味します。
皆さんも日常生活で部屋がすぐ乱雑になったり、仕事をしている机の周囲が乱雑になることは経験済みでしょう。机の上の作業はエネルギーを消耗しながら(秩序だった)成果物が出来上がっていきます。消費されるエネルギーは仕事に使われているのですが、エネルギーの一部は仕事として使われず、周囲のエントロピーを増大(机の周りを乱雑にする)させることに使われ、周囲に迷惑をかけるのです。
比喩的に机の上とその周りの状況を取り上げて見ましたが「仕事をすれば良かれ悪しかれ周りへ何らかの影響がある」ということは独善的にならないために心得ておく必要のあることでしょう。日本人はとかく「良い仕事をしておれば周囲はきっと分かる」という伝統的な考え方がるような気がします。周囲からチームへの理解とサポートを積極的に得ることを考えるのもマネージャとして大事な要素です。
7.18.外乱・ノイズ
制御の考え方ではシステムの中に入ってくるものは有益なインプットばかりとは限りません。それがノイズ(雑音)です。たとえばスタッフが風邪で倒れるということも大いにありうることですし、スタート時期には予期していなかった悪条件が加わることも考えられます。経験を積んでいきますと仕事によってよく見られるノイズがわかってくるもので、優秀なマネージャはそれらを想定内のこととして対処できるようになります。
しかし経験の少ないマネージャはひとつ一つのノイズがあらたな挑戦ですから、失敗の経験を含めてノイズの予測、対応方法をメンバーで共有し、次世代に引き継いでいくことが重要になってきます。もちろん対処は実際に経験してみなければ分からないといえますが、それでも予測しているのとしていないのではその対応に大きな違いが出てくることは間違いありません。
物事が何の邪魔、ハプニングもなく計画通りに進行するということのほうがありえないのですが、現実の人間はその可能性を見ようとしないのが普通なのかもしれません。マネージャの仕事の大部分はメンバーの支の障となる雑音を一つずつ取り除くことにあると言ってよいでしょう。それがマネジメントからのメンバーに対する「サポート」といえると思います。(外資に長くいて外人の言う「support」とはどういう意味なのか長い間納得が行きませんでした。今では自分なりにこのように考えています)
・ 仕事をする上でノイズ(仕事の妨げになるもの)の事例をできるだけ挙げてみること。
7.19.共有地の悲劇
プロジェクトマネジメントでよく知られたことに「共有地の悲劇」があります。この例えは共有地である牧草地でいろんな牛の飼い主が勝手きままに草を食べさせた結果、共有地がやせ細ってしまうことを指しています。
プロジェクトで言えばメンバーは共有地です。それはラインとの共有であり、さらにはいくつかのプロジェクト間での共有もありえます。プロジェクトリーダーはまず自分の責任であるプロジェクトのことに意識を奪われがちですが、それぞれのメンバーはいくつもの責任の間で右往左往していることが多いものです。プロジェクトリーダーとして心しておくべきことであるとの教えです。
7.20.ラインがプロジェクトを助ける
企業でのプロジェクトは各ラインから人材を借りてチームを編成して当たるのが普通です。これは人材の調達負担を平均化するとともに、プロジェクト自体がいろいろな専門性を必要とするからです。このようにプロジェクトのメンバーはラインとプロジェクトチームからの二つの支配を受けることになりますが、このことがどのような影響をもたらすか、について考えておく必要があります。
一つはプロジェクトが成功するためにはラインの協力体制と質が不可欠ということです。選抜されたプロジェクトメンバーが独立した部屋で100%その時間を共有する場合もあるでしょうし、また普段はラインに席を置いて、必要なときだけプロジェクトメンバーと共同作業(会議など)を行う形態が考えられます。
しかしいずれの場合もそれぞれのプロジェクトメンバーはその分担領域の問題に関してラインからの支援、指導を受ける必要があります。大方の場合においてプロジェクトメンバーはラインからの最良の人材とは限らず、また経験をもっとも積んだ人材であるとは限らないからです。さらに言えばプロジェクトチームには人材を継続的に教育、トレーニングする機能は通常持っていません。メンバーの時間や能力が足りなくなったら他のプロジェクトメンバーの助けを借りる場合もあるでしょうが、もし専門性の高い分担領域であれば支援は当然ラインに期待するしか道はありません。ラインの質と支援はプロジェクトマネジメントの成功要因の一つです。
7.21.Scope of control
比較的小さなプロジェクトチームではリーダーの周囲にメンバーが集まるという、きわめてフラットな組織構造をとっています。しかしいつもこの構造でよい、とは限らない場合があります。それはプロジェクトの規模と内容によるのです。
一般にリーダーもしくは管理者が直接部下を見ることが出来るのはせいぜい10人まで(7人という説もあります)といわれます(あの聖徳太子でさえ10人まででした)。もし何十人もの部隊でプロジェクトを遂行する場合には当然階層的で適切な組織構造をとる必要があるでしょう。人は直接の部下の数が増えることをもって良しとする傾向がありますが、「個人が制御できる人数には限りがある」ことを心得てリーダーの機能を分担、補佐する組織を考える必要があります。それは仕事の複雑性の増大と通じるところがあります。
7.22.Logisticsの必要性
最近ではLogisticsという言葉も知られるようになってきました。元は「兵站(へいたん)」という軍事用語で戦闘部隊への補給活動またはその任務を負う組織を指していました。日本では例外を除いて歴史的には国内での戦闘しかありませんでしたのでこの兵站という言葉はあっても概念が実体化したことは稀であったといえるでしょう。歴史は第二次大戦でのガダルカナルの戦い、インパール作戦など食料は全て現地調達という悲惨な事例を教えています。アメリカ海軍は補給艦(輸送船ではない)を100隻以上保有していましたが、日本海軍はわずか1隻であったことは物量以上の差があることを示しています。
Logisticsは部隊が大きくなってきたとき、あるいは部隊が昼夜兼行の無理な体勢で当たるときにはぜひとも必要なものです。企業活動においても本社の管理部門は本来ビジネス前線に対するLogistics機能を果たすべきものですが、残念ながら管理のための管理部門であることが多いかもしれません。
Logisticsは本来人間の「食べる、排泄する、寝る、着る」といったライフラインなのです。
7.23.意思決定
実行するかどうか、実行するとすれば何を、どのように、誰が、いつまでにを決めることはなかなか時間がかかるものです。周囲はさっさと決めてくれたら、と思いつつ意思決定の責任者は思案しています。
意思決定は何故難しく時間がかかるのでしょうか?たとえば…
① 納得できるオプションが見つからない。あるいはオプションがいくつかあってもどれがベストか自信がない。つまり未来に対する自信がもてない。
② 関係者の合意がなかなかとれない。
③ 本当の意思決定者は別に存在するが、意思決定のプロセスに関与していない。
意思決定にもさまざまなレベルがあります。いったん決定・開始したら方向転換・撤退が容易でないもの、成功しても失敗しても大きなインパクトが予想されるとき、あるいは結果責任を厳しく問われるときなど意思決定は容易ではありません。
しかし一方それほど高度な意思決定でない場合も多くあります。分類すればハインリッヒの法則のように日常的な意思決定の場面の方がずっと多いのは明らかです。まずはこの日常的な意思決定をいかに早く行うかがチームの運営、進捗に影響してきます。
本田宗一郎は「とにかくやってみなはれ。あかんかったらやり直せばええ」というのが口癖だったそうです。ここでは意思決定と結果の間にフィードバックが成り立っています。最善の策を得ようと時間をかけすぎて機会を失うことより意思決定、実行の機会を多く作ることを是とした考え方であると言えます。
プロジェクトリーダーは万能でもなく全てに責任を負える立場でもありません。意思決定がプロジェクトチームの運営に関わるものであればチームの責任として決定をしなければなりません。決定を逡巡するときその原因は何かを見つめる必要があります。
意思決定がプロジェクトチームの目標を左右するとき、最終決定者が出番です(プロジェクトのオーナーあるいはスポンサー)。しかし最終決定者は往々にして命運を決める決定も下に委ねてしまうことが多いかもしれません。意思決定のプロセスに合議は必要です。しかし合議をしたら意思決定ができるというものでないことは理解しておく必要があります。意思決定は未来の結果に付きまとうリスクを背負い込むことです。マネージャは結果如何に伴う非難を考えて逡巡するのです。「結果を全て見通してから決定しようとするものに決定はできない」という格言があります。
7.24.判断
判断は意思決定と似ているところがありますがとりあえずは区別して考えた方がよさそうです。「判断基準、判断材料」とは言いますが「意思決定基準、意思決定材料」とはあまり聞きません。意思決定は未来に結果を作るためにオプションを作り、選択して積極的に介入することであるとするなら、判断の表現形式は基本的に「容認・採用する」か「否認・棄却する」かの二つしかありません。その結果が未来の結果に影響するという意味では意思決定と似ています。
容認・採用するときはその後のプロセスの進行を妨げませんが、否認・棄却するときその後のプロセスは中止になります。あるいはやり直しになります。つまり判断というマネジメントはONかOFFかの繰り返しです。もっとも判断の後のプロセスが常にあればよいのですが、ない場合には方向性を示す必要があります。それがマネジメントの役割であり機械工学における制御機構とは違うところでしょう。
しかし、判断を下したときの形式は二つであっても判断するべき対象にはあいまいさがつきまといます。あるいは判断基準そのものがあいまいさを含むことが避けられません。あいまいさを分析すると少なくとも次の4つの基本タイプがあるといわれます(あいまい工学)。
① 不特定(non-specificity):一つの言葉(概念)が多くの意味をもつ多義的事象をいう。たとえば検査の結果肝炎か肝硬変か胆石かすい臓がんが疑われたとしよう。この4つを並べるだけではどうしようもない。判断するための情報が不足していると考えられるケース。
② あいまい(fuzziness):境目がはっきりしていない状態である。たとえば肝機能障害などそれが適用される範囲(基準、定義)をはっきり限定できないケース。
③ 不一致(dissonance):完全に対立している状態である。たとえば検査の結果肝臓病かもしれないし肝臓病ではないかもしれない。ある証拠が一方の主張を裏付け、別の証拠がもう一方を裏付けて対立しているケース。
④ 混迷(confusion):完全に、潜在的に対立している状態である。肝臓の検査と胃の検査の二つを行ってどちらにも引っかかったとすると、肝臓の検査結果は胃の病気の兆候を意味しているかもしれない。単に矛盾しているだけでなく証拠(結果)の真に意味するところが明確でないケース。
このように「判断」は多くの場合あいまいな状態に関して「態度を明確にする(onかoffか)」プロセスであるともいえるでしょう。誰もがあいまいさを否定できない状態で態度を明確にしなければならないのですから、判断が高度に困難な作業であることが分かります。
判断は次のどれかについて選択しなければなりません。
① より確からしさを求める…判断の一時保留。しかしいずれはonかoffを決断する必要があります。
② あいまいさのあるがままを受け入れて態度を決める。しかし態度を明確にしたからといって判断すべき事柄のあいまいさが解消あるいは消去されたわけではないことに注意するべきです。あいまいさをもった事柄が時間の経過とともにはっきりとして判断とそぐわぬ結果をもたらすことがありえます。
あいまい工学(Fuzzy technology)では物事を白黒、イエス、ノーなど二つにはっきりと分けられないということを前提にしています。たとえば白を1とし黒を0とするなら、ある物事の程度はその中間のどこかにあるとします。たとえば「概ね白い」は0.8とかです。このような考え方を取り入れてファジイ制御という新しい技術が生まれました。日常生活の家電製品にもすでに多く取り入れられています。
あいまいさを排除するのではなく、あいまいさを認めた上で物事を進めるという考え方は人間の営みを考える上で非常に大事なものと考えます。人間の営みでは「あいまいさ」は避けて通れないものであるのにビジネスではそれを排除しようとする雰囲気があまりに強いのではないかと思うことがあります。あいまいさがすでに工学に取り入れられて成果を生んでいるならその思考方法の示唆するところを学ぶべきでしょう。
しかし一つ留意する点があるとすれば「あいまい工学」ではある「あいまいさ」を0.8とかにそれらしく設定することが出来ますが、人間の営みではどうして0.8に設定することができるでしょうか。ある人にとっては0.8でも別の人には0.4の程度かも知れません。恐らくここのぶれを最小にするのが経験値なのでしょう。
物事のなぞり方を覚えることに経験の価値があるのではなく、あいまいさにどのように向き合ったかということを体感することに価値があるのです。従って経験を積むということは(プロジェクト)マネジメントにきわめて重要なステップです。
あいまいさの他にもう一つ判断を困難にする要素があります。それは判断を行う主体者の感情です。判断が結果を大きく左右する重要な場合に、意思決定の場合と同じく結果責任を問われることを恐れるという感情が出てくるのは自然です。判断は知的作業であるとともに感情の作業でもあります。判断業務に適性や能力を必要とするでしょうが感情をコントロールする訓練も必要とします。
判断の機会は意思決定の機会よりずっと多いと思います。それは時間の経過とともに判断を修正しなければならないことがむしろ普通であるからです。従って当然判断はこまめにする必要があります。あいまいさの大きい事柄を判断した場合ほどその後のこまめな判断を継続する必要があります。判断は変えても良い、という柔軟性が必要です。(「君子は豹変す」、「過ちを正すに憚ることなかれ」)
制御機構においても絶えず情報処理がなされています。レスポンスの遅いマネージャは品質が悪いと話しましたが、判断とレスポンスは密接に結びつき、絡んでいます。レスポンスが悪いということは判断をしていないことが原因かもしれません。旧軍に「兵は拙速を尊ぶ」という格言がありました(出典は孫子)。正しい判断が出来ないことを恐れるより、判断の過ちを恐れるために判断を遅らせることをむしろ警戒するべきでしょう。
制御機構を流れる情報は「判断」の材料と、「判断」の結果が大部分です。つまり判断はシステムの中を流れる血液に喩えることができます。このことは危機管理に携わった経験がある人なら実感できるでしょう。危機においてはあらゆることが密度高く押し寄せてくるのでまさしく判断の連続です。危機が去ったときの虚脱感は判断を強要されない状態になった安堵感と無縁ではありません。判断を停止したとき、放棄したときシステムは機能を喪失します。
8.人間
8.1.パラダイムの功罪
パラダイムという言葉を聞いたことがあるでしょうか?辞書を引くと範例とか規範ということですがなかなか分かりにくい概念です。おそらくこの言葉はビジネスの世界で使われるようになってからその意味がかなり拡大したものの一つではないかと思いますが、私なりに「その世界の常識」と思い切って翻訳してみることにします。しかしそれでもまだ分かりにくいかもしれません。ではパラダイムが具体化されたものはなんでしょう。私の見るところ企業活動で言えばSOP、ツール、評価基準、規則、経験(値)、ノウハウ、蓄積された情報のDB、ガイドライン、帳票、暗黙の了解(不文律)、偏見…などなど構成員が慣れ親しんだ(企業)文化そのものと考えてもよさそうです。パラダイムは一つの系に少なくとも一つは存在します。端的に言えばそのパラダイムにないものはその世界の非常識なものと考えられます。パラダイムはより広い領域に浸透しているルールになります。
カエサルの言葉に「人は世界を見たいようにしか見ない」というのがあります。逆に取れば「人は見たくないものは見ようとしない」のです。彼の言葉の解釈はいろいろ出来るでしょうが、私は思い切って「人は物事を見るとき、その人の持つ常識で判断している」と取ってみることにします。
二つの話をくっつけて考えますと、「人は物事を判断するとき、行動するとき、その人のパラダイムの中から飛び出すことは出来ない」と発展させることが出来るでしょう。プロジェクトの目標があるパラダイムの中で解決できうるものであればパラダイムがもつ資源を使って、パラダイムの属する系と仕事の挙動に沿ったマネジメントをすればよいのだといえるのだろうと考えます。
ところがプロジェクトの目標がいつもチームの属するパラダイムで解決できるとは限りません。このことはプロジェクトを開始する前に理解されている場合もあるでしょうし、開始した後に次々思い知らされる場合もあるのです。いずれにせよ慣れ親しんだパラダイムでは解決できないものを目標にしていると分かったならば、パラダイムを変える必要があります。非常識、発想の転換などと言われるものがそれに当たるでしょう。まさに言うは易し、行うは難しです。プロジェクトXの番組が焦点を当てている一つの部分がここにあります。
もう一つ大事なことはパラダイムを変えるということは仕事のやり方を根本的に変えるということでもあり、またゲームのルールを変えることでもありますから、当然仕事の挙動も変化するということになります。これまで見てきたように「マネジメントは挙動という流れに逆らわず、乱さず、利用する」ことがまず望ましいのですから、パラダイムを変えようとするときにはマネジメントも変えなければならない、という当然の帰結になってきます。よく「あの発想やアイデアはよかったんだけど、やり方がね…」と聞くことがあるのは「新しい発想を実現するにふさわしい行動パタンを生み出す構造に変化できなかった」ということを裏付けています。
8.2.人間の特性
これまでプロジェクトもしくはプロジェクトチームという一つのシステムを捉え、その中に含まれる要素について考えてきましたが、その中でも「人間」という要素は一番複雑で重要な要素です。ここでは人間という要素がどのような特性を持つのかを考えてみたいと思います。人間もまたその特性から逃げることができない、という単純な原理を知ることがチームの挙動を知る手がかりになるでしょう。
思い切って要約すれば人間は「生き物」であり「感情を持つ」ということが人間的要素の中で最大のものです。この二つは本来分離できないものですが便宜上分けて考えて見ます。
まずは「生き物」として「疲れる」ということがあります。「大事故は真夜中に起きる」という本では、過去に起きた世界の大事故を分析してそれらは人がもっとも疲れる真夜中に原因が生じていることを示しています。しかし疲れるのはなにも真夜中に限りません。精神的、肉体的プレッシャーを長期間にわたってかけ続ければ疲れがでてくるのはごく当然なことです。
欧米の企業ではよくstretched goalといって個人や組織のできる範囲を(少し)超えた目標を与えてモチベーションを高めることをします。日本の企業でも同じようなことはあります。これが適切な範囲に収まっているのであれば、また一時期過剰であっても適切な休息時期を与えられるのであれば効果的ですが、多くの場合このstretch状態は常態となって人々を追い込んでいることが多いものです。
仕事の効率はプレッシャーをかけていくと次第に向上していくのですが、あるところで伸びが鈍化し、その後効率曲線はフラットになってあるところで急速に低下を始めます。つまり効率曲線は非線形の挙動を示します。こうなれば却って効率が悪くなるだけでなくミスや事故が生じ、その対応に追われて更に効率が悪くなるという悪循環に陥ります。ミスや事故だけでなく従事している人が倒れると(あるいは退職すると)事態は一層悲惨なものとなります。なぜなら代替要員は容易に見つからず、少なくともしばらくの間は他のメンバーがカバーしなくてはならなくなるからです。次には彼の同僚も倒れるときがくるかもしれません。継続する過度のプレッシャーは人を失うマネジメントの第一歩です。
過去に私も「今が危機管理の時だ」と思える事態を経験したことがありますが、その時に一番の目標にしたのは「メンバーを一人も倒れさせない」ということでした。
8.3.不純物の混入
以前は砂糖や塩、油など精製度が低いものは等級が落ちるものとされてきましたが、最近はにがりの入った天然塩やすこし褐色のキビ砂糖などが体にもよいとされています。また純粋培養という言葉もときにいい意味では使われない文脈も見受けられます。
結晶の世界では少しの不純物を敢えて混ぜることにより性質がまったく変ってしまい大発明をもたらすことがあります。古代から知られているのは刀の鋼です。鉄に炭素を少し混ぜるだけで強度の優れた鋼になります。
生物の世界では、同族結婚は家系の生命力を弱めるものとしてよく知られています。
このように同質のものに異物あるいは不純物を混ぜることによる効果は恐らく人間の集団にも当てはまるのだろうと考えられています。プロジェクトのチームビルディングにおいても異質な人材を参加させることが重要といわれるようになってきました。
人はどういうわけか同質の人間を求める傾向があるようです。海外に行けば日本人同士が固まっていることは珍しくありません。相手を選ぶにしても好きな人、趣味の合う人など無意識に自分と同質の人となりがちです。それだけに異質なものを受け入れ、相乗効果を生み出すことは難しくエネルギーを必要とするでしょう。その覚悟がなければ異質なものの受け入れをスローガンとして終わらせるだけになってしまいます。
・異質なものを受け入れるときどのような心理的な準備をすれば良いか、考えてみること。
7.4.相転移・・いっせいに全員がある方向に向かう
相転移という言葉はなかなかなじみのない物理化学の言葉ですが、水が気体、液体、固体と3つの相(状態)をとることを思い浮かべていただければ理解しやすいかもしれません。とくに液体の状態から固体へは摂氏0度を境にして急激に変化します。同じ水分子でありながらその状態(挙動)は全く異なっています。このようにある点を境にしてある状態が全く違った状態に移ることを相転移といいます。
人間世界でもこれと同じようなことがしばしば起こっているように見えることがあります。それはいい意味でも悪い意味でもです。組織の構成員の考え方、感情、仕事の仕方などがある時期から急に揃いだすということを経験されたことはないでしょうか。どのようになればこのような相転移あるいは同期が見られるのかということは、こと人間については難しいのですが、これが悪い方向へ相転移してしまうと非常に厄介なことになるでしょう。組織の中に悲観的な考えが蔓延し、マネジメントとしても手の打ちようがないといった状態になってしまいます。
物理化学でいう相転移は温度と圧力の要素で決まります。上の例では摂氏0度で水が固体になる、と例を挙げましたがこれはもちろん1気圧での話です。もし気圧が2倍になれば0度以上でも氷になることがあります。
もし悪い方へ組織構成員の相転移が起きたならば、それまでのマネジメントとは全く違ったやり方(例えば気圧を変える)を少なくとも一時期導入しないと元には戻らないのではないかと思います。傾いた会社組織の建て直しに多くはドラスティックな手法が用いられるのは止むを得ないことなのかもしれません。プロジェクトで言えばチームリーダーもしくはメンバーの交代もありうることでしょう。
・集団がある方向に固まってしまう実例を挙げてみること。
9.エピローグ
若い人たちへ
この拙文では世に多くある解説書、教科書が取り上げているような項目、たとえばリーダーシップ、フォロワーシップ、リスクマネジメント、コミュニケーション、チームビルディング、各種のツール、スキルなどには触れませんでしたがそれはこれらの項目がプロジェクトマネジメントとして大事でない、ということではありません。これらのことは別に勉強していただきたいと思います。さらに人間が仕事をするということから、人間の心理的・生理的な側面、要素を理解することは不可欠になっています。スキルや知識を学ぶと同時に人間について理解しようとする姿勢が必要です。
さて最初に触れましたようにラインマネジメントとプロジェクトマネジメントには違いがあるのか?という問いに戻ってみたいと思います。AMA(American Management Association)によるプロジェクトマネジメントの研修を受けたことがあります。講師の方に両者に違いがあるのか、と尋ねたところ「プロジェクトマネジメントが出来る人はラインマネジメントも出来るが、その逆は難しい」という答えでした。その周辺についていろいろ話した印象では、プロジェクトマネジメントはラインマネジメントと違う、ということを言いたかったようです(要求されることなのかやり方が違うのか、いま一つはっきりしませんでしたが)。
しかし私はこの考え方に必ずしも与しません。ラインでも日常業務の中で明確な課題を抱えていることはよくあることです。特にそのラインが組織的に大きくなりつつあるときや、新しい業務領域に発展しようとするときにそうです。プロジェクトマネジメントとラインマネジメントに要求されるものは基本的に同じと考えています。
中国の古典に「創業と守成のいずれが難き」という言があります。太宗の時代になった時に「国を興すのと、出来た国を守っていく」のとどちらが難しいかを問うたものです。新しいものを作り上げていくことに適した人材と出来上がった枠組を守るに強い人材はやはり違うのでしょう。それは能力差ではなく性格とか志向の違いなのだろうと思います。もしプロジェクトマネジメントとラインマネジメントの違いがあるとすればそこなのでしょう。
ではプロジェクトに向く人材というのはどんな人なのでしょう。思いつくまま挙げてみましたがプロジェクトの経験者にはまた別の見方があるかもしれません。
・ 新しいものを創り上げることにわくわくする人
・ 考え込むより行動で試してみようとする人。
・ あきらめの悪い人。
・ レスポンスが早い人
・ 判断が早い人
・ 物事、議論を視覚化できる人。
・ 段取りの得意な人。
・ 思考実験が出来る人。
・ 逆算思考が出来る人。
・ 楽天的な人
少し説明が必要かもしれません。
「思考実験が出来る人」というのは頭の中で物事の推移、展開を想像できるということです。こういう手を打てば相手はどう出てくるだろうか、その次は…と手筋を読むことです。シミュレーションと言ってもいいでしょう。逆算思考というのは最終目的地をイメージし、その一つ前には、もう一つ前の段階では、と推移、展開の逆をたどって出発点に戻ってくる思考のことを言います。しかし同質の人材ばかりを揃えるのもどうでしょう。異質な人材を取り込み活用することも考えなければなりません。
マネジメントという言葉にまつわる個人的な感想を述べておきたいと思います。プロ野球では近年日本でもフロントの役割が認識されてきています。勝てるチームを作るのは現場のマネジメントではなくフロントの球団つくりという一段上のマネジメントであると言うことです。それが誰だったか今は忘れてしまいましたが「監督の采配で勝てた、といえる試合は年間140数試合を通して10試合あるかないかだ」と言った監督がいました。常に現場のマネジメントが問題にされますが、実はペナントレースの大きな流れは球団の戦力整備というゲームの中で決まっているともいえます。マネジメントはどのレベルであっても常に与件という枠内での悪あがきにしか過ぎないのかもしれません。とすれば与件を支配するプロジェクトのオーナー、スポンサーの理解とサポートが決定的な要因になってきます。
ローマ帝国はその版図を拡大する過程において実にざまざまなプロジェクトを実施してきました。同時にローマ人ほど作り上げたもののメンテナンスを徹底した民族はいなかったといわれています。創り上げたものを強固に維持し続けたことが持続的な挑戦を可能にしたのです。
プロジェクトは一回きりのものですが、それを支える基盤がやはりあるのです。基盤があるところではプロジェクトの成功率も高くなるでしょう。プロジェクトという特殊性に目を奪われるのではなくプロジェクト遂行を可能にする基盤に普段から目を向ける必要があります。教えてもらっていないから分からないという姿勢ではなく、物事の本質を自ら捉えようとすることが何より大事です。言葉足らずのこの文章がヒントになれば幸いです。
最後に・・
・ プロジェクトマネジメントの対象は「人と仕事と環境(制約条件)」
・ アプローチは「物事の構造を見て挙動を知る」。
・ 共通の言語は「科学・工学の概念と人智の経験則・教訓」
文献
1.システムシンキング入門:西村 行功、日経文庫
2.理解しやすい物理IB.II:近松 聡信、文英堂
3.「複雑系」とは何か:吉永 良正、講談社現代新書
4.複雑性のパラドックス:ジョン・L・キャスティ、白揚社
5.複雑な世界と単純な法則(ネットワーク科学の最前線):マーク・ブキャナン、思草社
6.SYNC(自然はなぜ同期したがるのか):スティーブン・ストロガッツ、早川書房
7.新ネットワーク思考(世界の仕組みを読み解く):アルバート・ラズロ・バラバシ、 NHK出版
8.複雑性の科学(コンプレクスシティへの招待):ロジャー・リューイン、徳間書店
9.ローマ人の物語1~10巻:塩野 七生、新潮社
10. ガリレオの指(現代科学を動かす10大理論):ピーター・アトキンス、早川書房
11. 制御工学の考え方:木村 英紀、ブルーバックス、講談社
12. あいまい工学のすすめ:寺野 寿郎、ブルーバックス、講談社
13. ワインバーグのシステム思考法:G.M.ワインバーグ、共立出版
14. プロジェクトマネジメント再入門:日経(非売品)
15. シグマ漢文の探求:谷本 文男ほか、文英堂
16. 世界の故事・名言・ことわざ:自由国民社
17. パソコンで遊ぶ数学実験:涌井 良幸ほか、ブルーバックス、講談社
18. 失敗学のすすめ:畑村 洋一、講談社
19. 失敗の本質(日本軍の組織的研究):戸部 良一、ダイヤモンド社
20. 魔性の歴史(マクロ経営学からみた太平洋戦争):森本 忠夫、文藝春秋
21. 聖書:日本聖書協会
22. つながりの科学:小田垣 孝、ポピュラーサイエンス216
23. 「量子論」を楽しむ本:佐藤 勝彦、PHP文庫
24. 危機管理のノウハウ Part 1、2、3:佐々 淳行、PHP文庫
25. 組織の盛衰:堺屋 太一、PHP文庫
26. 零式戦闘機:柳田 邦男、文春文庫
27. ストレスと自己コントロール:平井 富雄、講談社学術文庫
28. ファジイ・ロジック:D.マクニール/P.フライバーガー、新曜社
29. 偶然の確率:アミール・D・アクゼル、アーティストハウス
30. A Guide to the Project Management Body of Knowledge (プロジェクトマネジメントの基礎知識体系 和訳版):エンジニアリング振興協会プロジェクトマネジメント部会
録付
「プロジェクトマネジメントは新しい職業である」という位置づけで国際的な組織、資格、教育資材があることを紹介しておきます。
国際的な組織 URL:http://www.pmi.org/info/default.asp (ただし全部英語です)
資格と教育資材:上記の組織が出しているテキスト(Project Management Body of Knowledge 上記文献番号30)を基にしたプロジェクトマネジメントの認定試験がある。日本語で受験可能。ただし受験資格がある(大卒であれば4500時間以上プロジェクトマネジメントの実務経験およびプロジェクトマネジメントの社内外の教育を35時間以上受講していることを必要とする)。受験をするための便利なコース(教材)が下記のURLに載っています。このコースを取れば35時間の公式受講証明が与えられます。日本では4~5000人程度の有資格者がいるとのこと。
http://www.pminfo.jp/soft/seihin/21-1seihin.htm (学会など啓蒙団体のリンクもあります)