ナーズム・オラトリオ 朗読の力を観る、聴く

2022年9月23日 

 オラトリオは気軽に楽しめる音楽とは異なり、元々がローマカトリックの宗教音楽に源流を持つものであるので、私自身もCDなどでもめったに聴くことはなく、ましてや演奏会に行くことは例外を除いてなかった。それがふとしたことから名古屋での演奏会に出かけていくことになった。この一文はその感動と顛末を文字に残したいという気持からしたためたものである。

 

 ナーズムとは、本名をナーズム・ヒクメットと言い、1902年にギリシャ領テッサロニッケを出自とする詩人であった。長年、政治的弾圧を受けてきた影響からか、写真で見る彼は気難しそうな、でも少々気取った表情をしている。一方のファジル・サイは1970年、トルコのアンカラに生まれた。ピアニストであり、現代作曲家でもある。サイは「異才、天才、ファジル・サイ」と語呂合わせで語られるように、愛嬌ある風貌と丸みのある大柄な体躯を持つ。この歳の大きく離れた、第二次大戦をはさんだ二つの世代の力が一つに結実した作品が、このナーズム・オラトリオである。二つの力を結び付けた直接のきっかけは、トルコ共和国文化省がファジル・サイに委嘱したことによる。作品ジャンルを示すオラトリオとは、1640年頃、イタリアで始まったクラシック音楽における楽曲の種類、ないし曲名の一つで、バロック音楽を代表する楽曲形式である。日本語では「聖譚曲(せいたんきょく)」と呼ばれる。譚は物語で、聖譚はキリスト教の叙事を扱う。 

 名古屋に住む義理の妹から演奏会へのお誘いは、彼女が、ナーズム・オラトリオの演奏会に合唱パートとして参加するので、いかがですか、というものであった。彼女はコーラスを十数年続けており、このオラトリオの合唱の一般募集に応じたのであった。演奏は、オーケストラ、詩の朗読、合唱、独唱から構成される。オラトリオを生演奏で聴くのは何十年ぶりかであったし、トルコ語による詩が日本語で朗読されるということで、関心を持たせるものであった。ナーズムが何者であるか、トルコ出身の現代作曲家が書くオラトリオなるものがいかなるものか、予備知識は敢えて一切詮索せずに名古屋に向かうことにした。

 演奏会場は日本特殊陶業市民会館フォレストホール。主催は「ナーズム・オラトリオ」実行委員会、“反核日本の音楽家たち”名古屋。後援は名古屋市教育委員会とナーズム・ヒクメット文化芸術財団である。演奏会場は予想以上に大きく立派で、2000人は入るであろうと思われた。ステージは名古屋フィルハーモニー交響楽団のフルメンバーと、その後ろに混声合唱団110人ほどが控える本格的な規模と体裁であった。市民コーラスが参加する演奏会という印象を、佳い意味で全く裏切るものであった。開演前に会場はほぼ満席となった。

 演奏はサミュエル・バーバー作、「弦楽のためのアダージョ」で始まった。この曲は宗教性の香り高い、美しい抒情性をたたえた曲で、ケネディ大統領の葬儀の際に、また日本では昭和天皇の崩御の際にNHKが流したとされる名曲である。もっともバーバー自身は生前「葬式のために作った曲ではない」と不満を漏らしていたという。バーバーのアダージョというこの別作品を、ナーズム・オラトリオの前に置いたのは。この曲の持つ静けさを、ナーズム・オラトリオが持つ精神発露の前奏とするプログラム演出であったのだろう。指揮は高橋直史、欧州で活躍した実績を持つ実力派である。ただ、本題のオラトリオに入るまでに空いた間は流れを少し損ねたように感じた。

バーバーのアダージョの後、短い休息を挟んで、オラトリオ本番が始まった。オラトリオは聖書の朗読、祈り、歌唱を基本とする伝統形式なので、この現代曲としてのオラトリオも、詩の朗読を抜きにしては成り立たない。ここに詩は聖譚となる。以下はその全体の構成である(演奏会パンフレットから)。

■青年期

1 糸杉(バリトン独唱、合唱)

2 狂気の瞳(合唱)

3 ケレムのように(朗読

■獄中にて

4 膝まで積もった雪の夜(朗読、合唱)

5 日曜日(バリトン独唱)

6 私が刑務所に入ってから(朗読、合唱)

7 プルサのお城(合唱)

■人間について

8  刑務所を出てから(朗読

9  女の子(児童独唱・合唱)

10  ヒロシマ(女性独唱、女性合唱)

11 私たちはどこからきてどこへ行くのか(朗読

■故国について

12 国賊(朗読、合唱)

13 国民軍の死者たちよ(合唱)

14 よびかけ(バリトン独唱、合唱)

15 ふるさと(女性独唱、合唱)

■終曲

16 生きることについて(朗読、独唱者全員、合唱)

 

 ナーズムは反戦の詩人であった。トルコ政府に弾圧されて作品は発禁となり、10年の獄中生活を送った。恩赦で釈放されて後、亡命してポーランド国籍を得た。亡命は妹の操縦するモーターボートで黒海を疾走し、遭遇したポーランド貨物船に救われたという。発禁措置の解除、そして彼の名誉とトルコ国籍の回復がなったのは、彼がロシアで死去してから40年後の2009年である。このナーズムの詩は、己の人生を顧みると同時に、他者へのまなざしと、生きよ、というメッセージに溢れている。

 義妹が合唱セクションに加わったのは、この作品が広島の原爆惨禍を詩の中に織り込んでいたからである。義妹の母親は私の妻の母親であり、広島での原爆に被爆して生き延びたのである。二人姉妹は原爆二世である。義妹は、トルコというユーラシア大陸を挟んで日本とは対極に位置する国の詩人が、広島の原爆投下を取り上げ、その日本語訳の詩によるオラトリオとして世界初演となることを、コーラスの友人から教えられていたのである。その惨禍を切り取った詩を以下に紹介する(演奏会配布資料から)(注1)。

人間について

9 女の子(女児独唱、合唱)

扉をたたくのは/ それはわたしなの/ わたしは死んだの/ 誰にも見えない/ ヒロシマで死んだの/ ちょうど十年前に

七つで死んだの/ 今もまだ七つ/ わたしの髪の毛/ わたしのお目めも/ 燃えて灰になったの/ お空に飛んでいったの

わたしのお願い!/ なんにも要らないの/ 飴も食べられない/ 燃えたの 紙のように!

扉を叩いてます!/ 署名を!/ 子どもが殺されないように!/ お願い署名を!

10 ヒロシマ(女性独唱、合唱) 

女の子/ 小さくて可愛い子/ 日本にいた

空にはきのこ雲、人を殺そうとして/ 襲いかかる おばあさんを/ あの子のおばあさんを

灰は空に高く広がり/ 突然ころすのだ 舞い降りて

父さんに そして少女にも

それでも満たされぬのか/ 獲物を求める/ 原爆死 その名は/ 闇の中 叫ぶ声

女の子/ 小さくて可愛い子/ 日本にいた

空にはきのこ雲/ 人を殺そうとして/ その雲が殺したのだ/ 彼女のおばあさんを

輪となって 世界で/ 魔物に打ち勝とう

戦いに打ち勝とう/ 魔物を打ち砕こう

輪となって 世界で/ 魔物に打ち勝とう/ 戦いに打ち勝とう/ 魔物を打ち砕こう

 

 ナーズムはオスマン宮廷の伝統詩から出発したが、10年に及ぶ投獄を機にイデオロギー色の強い詩風から、平易な日常の言葉による作品を多くものにしたという。ナーズムの詩は彼の人生の物語でもある。この原爆を詠んだ詩は、女の子を主人公として、特に平易な言葉で書かれている。原爆投下を、難解なイデオロギーで色付けせず、「魔物」という誰もがもつ感性に訴える言葉で表したと言えよう。この「魔物」という言葉に、シューベルトの歌曲、「魔王」のおどろおどろしさを思い起こすのは私だけではないかもしれない。

 詩の朗読は佐山陽規。オペラからアニメの声優までこなして高い評価を受けている。この夜の朗読はオーケストラと対峙するかと思えば、従えもし、一体ともなった。オーケストラが醸し出す雰囲気に助けられて朗読する、というものでは決してなかった。彼の他にプロのメゾソプラノ歌手と、同じくバリトン歌手がソリストとして共演していたが、たとえて言えば、彼の朗読は協奏曲におけるマエストロによるピアノのごとく、圧倒的な存在感を示し空間を支配した。彼は聴衆に向き合う方向を変え、姿勢と表情を変え、身振り手振りを交えた。オラトリオはオペラと異なり、演技を伴わないが、彼の朗読は観るものでもあった。朗読が力強くも優しくも劇的に変転するのを聴いて、言葉から祈り、物語、詩そして音楽が生まれ来た長い歴史を思った。それらが一つになるとはこういうものかと感じ入った。

 サイはピアニストであり現代作曲家であることを先に紹介した。当日のピアニストは名古屋出身の中岡秀彦。オーケストラの雄弁さに比べて控えめに徹していた。サイはグランドピアノの弦に、いろいろな仕掛けを曲の構成に応じて変化させることで、民族色ある音色に変化させるという手法を取った。おそらくトルコの民族楽器を模したのだと想像した。もしそうならトルコの民族楽器を知らない私には、この斬新なサイの試みが成功したかどうかはわからない。このようなピアノの音は私には初めてのことであった。対してシンバル、ドラ、タンバリン、シロフォン、大太鼓、スティックドラムなど、持続するリズムと、ここぞという衝撃音がクライマックスを盛り上げる効果を発揮し、サイのオーケストレーション技術、オラトリオを現代曲として蘇らせる確かな語法を示した。打楽器群はオスマントルコの進軍からのイメージであったかもしれない。そのリズムはストラビンスキーの春の祭典を連想させた。

 オーケストラも名古屋を代表するフィルとして力量を十分に示した。個人的にはビオラ、チェロ、コントラバス群の音色が、いかにも若さに溢れているようであった。評論家によってはバイオリン群とのアンバランスを指摘するかもしれないが、これから楽しみなオーケストラと思いたい。

 

 肝心の合唱隊は名古屋の複数の市民団体コーラスを核として成る。この公演には当初170名が応募、参加したが、コロナのために練習が3年間延び延びになり、最終的には113名になったという。義妹に聞けば、合唱隊の平均年齢は70代半ばぐらいではないかという。合唱を愛する人は、総じて長く歌い続ける傾向があり、若い時にその魅力にはまった人たちがこの合唱隊に入っていることを年齢が示している。このオラトリオに限らず、メサイヤなど商業ベースに乗らない演奏会では、チケット収入と観客を確保するために、特に合唱隊にチケット販売が割り当てられるのが常である。義妹が今回何枚分の自腹を切ったかは聞いてはいないが、関係者の中には相当の負担した人もいるという。仮に一席が4000円(S席5000円、A席4000円、B席3000円であった)として、2000枚のチケットを割り当てれば、総額800万円、これを110名が均等負担すれば約7万円である。もちろんこの規模の演奏会の経費がこれで収まるわけはなく、他の後援団体などからの補助、支援があったであろうが、コーラス団員の負担は不可欠である。それでも収支は赤字であったのでは、と想像する。

 西洋音楽の主のパトロンは、教会から貴族、そして市民へと変化してきたが、一般市民が商業ベースに乗らない演奏会の企画から、実施と演奏そのものにまで主体的に参加し、同時にパトロンの一部となるのは欧米でも当たり前になっているのだろうか?この演奏会は一人の市民の発案から実を結んだという。その熱意に感嘆する。

 

 合唱はオラトリオには不可欠である。アマチュアにとって人前で演奏、歌うということは尋常でない緊張状態に陥る。緊張は声帯に来る。自分の緊張した声を聴いて、さらに緊張度が高まる。合唱は総じて出だしが硬く、歌い続けるうちに声がホールになじんでくるのを、歌っている本人が自覚できる。今回は、オラトリオが最高潮に達するまでに合唱の響きが良くなった。合唱とオーケストラが一体とならなければクライマックスには届かない。合唱隊とオーケストラのリハーサルは当日を含めて3回のみであったという。オーケストラとのリハーサルにも費用がいる。特に今回の場合は、通常の場合の五割増しの費用だったという。オーケストラの団員にとっても、初演の譜読みは大変である。

 リハーサルと本番とは音響的に全く異なる。本番前のリハーサルでは、自分たちの声が客席から戻ってくるのが分かるが、観客が入ると音が吸い込まれるのである。第九やメサイヤなど、何度も経験しているとその落差は予測できるが、初演ではそうはいかない。寄り合い所帯の合唱隊でありながら実によく歌ったと言いたい。合唱と一体となってオーケストラはクライマックスで器楽音響の限りを尽くした。クライマックスで合唱の歌い手は自分の発声が聴こえなくなくなるという。今日のオラトリオは一般に大編成で、しかもステージで演じられる。この日のオラトリオもおしなべて大編成の音が空間に充満したが、サイは、日本の唱歌を思わせるメロディを詩の連にあわせて作曲し、ピアノや、最小限の器楽で伴奏とした歌曲は、小さきもの、弱きものに想いを馳せるという、ナーズムの姿勢をくみ取ったサイの感性を示している。それは「女の子」の音楽に現れている。サイはこの部分の独唱に女児を起用した。

 いま、詩の連に合わせて作曲したと書いたが、原語はトルコ語である。それを日本語に翻訳し、さらに違和感なくメロディに沿う歌詞にするのは一般に気づかれない困難な作業である。トルコ語(に限らないが)と日本語とはリズムも、アクセントも、なにより間尺が異なるからである。それは創造的作業である。配布された演奏会資料に和訳者と歌詞及び作詞者が明記されているのは、その作業に敬意が払われていることを示している。それにしてもトルコの民衆の歌には、日本の懐かしいメロディと似たところがあるのだろうか。

 

 トルコは親日の国と言われてきた。かの国はロシアの圧迫を受け続けてきた。日露戦争(1904年)で日本が勝利したことから、日本に親近感を持ったと言われる。しかし、それ以前に親日感情を高めた事件が、1889年9月16日、和歌山県串本町樫野沖で起きたトルコ軍艦エルトゥールル号の遭難と、大島島民の懸命の救助であったことはよく知られている。今回、ナーズム・オラトリオの日本初演にあたり、主催者はトルコ領事館に事前の挨拶に出向いたという。演奏会の前日に領事は通訳を伴って主催者を訪れ、演奏会の招待に残念ながら応じられないことを詫びるとともに、花束を贈って主催者を激励したという。それはこの演奏会の当日が、エルトゥールル号の慰霊の日(注2)であり、三年ぶりに在日トルコ大使館から串本町で行われる慰霊祭に対面出席するため、名古屋領事館もそちらを優先するということが理由であったという。演奏会の当日がはからずも、トルコと日本をつなぐことになった大事件の日と重なったことは、関係者に感慨深いものであったであろう。

 ローマのユダヤ属州で生誕したキリストが愛を説き、その教義はローマ帝国に迫害されて後、その国教となった。長い時を経て、西欧の精神的支柱として確立したキリスト教文化はオラトリオという宗教音楽形式を生むに至った。オラトリオはさらに西洋と隔絶していたアジア諸国にも受容されるまでになった。グレゴリオ聖歌を源流の一つとする西洋音楽は、教会をパトロンとしたバッハが一八世紀初めに平均律の確立に貢献したことで、今日様々な精神文化とエンターテインメントを受容しうる普遍的な音楽となった。トルコが迫害したナーズムの名誉が時を経て回復され、彼を弾圧したその国が、その作品を世界に知らしめるべく、自国の作曲家に委嘱した。ファジル・サイは現代曲にありがちな奇をてらうことなく、古典となったオラトリオの形式を借りてナーズムの普遍性のある反権力、反戦への想いをさらに豊かにしたのである。そのオラトリオの日本初演を観て聴いて、短い人生の中にも歴史の変転と普遍性に触れる機会があるのだと思った。日本語に訳された朗読でなければ、この一文を書くにはならなかったかもしれない。書評は、紹介された本を読みたい、と思わせるものが優れていると思っているが、この雑文を読んで、一人でもナーズム・オラトリオを聴いてみようと思われる方がおられれば、これ以上のことはない(注3)。

 

(注1)トルコ語和訳はイナン・オネル。1974年生まれでトルコ現代詩の日本語訳に専念する。現在はアンカラ大学社会学研究科博士課程在学。歌詞と作詞は江崎栄二と高橋昭弘による(演奏会パンフレットより)。パンフレット資料からの転載は公演事務局のご好意を通して了解を得た。

(注2)この慰霊祭の詳細は2022年9月19日付けでインターネット配信された。

(注3)ユーチューブで「ナーズム・オラトリオ」で検索しても出てこなかったが、Nazim Oratoryosuで検索すれば、サイ自身がピアニストを務めた全曲を聴くことができる。およそ1時間半である。「バーバーの弦楽のためのアダージョ」も聴くことができる、約10分である。

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