寿命に徒然思うこと
2021年11月26日
父親が他界した。大正十一年生まれ、数え年百歳、紀寿を全うした。親父様の人生は良かったかどうだったか。他界する前、三年半の寝たきり状態は二度目の脳梗塞で、半身不随、発語不能の末の大仕事であったから、それは本人しかわからない。とはいえ寿命の長さだけを取り上げれば、十二分に生きたと人様に言ってもらえるだろう。大正時代、生まれ落ちた赤子が一世紀を生きるということは、想像外であったに違いない。人生の良しあしは寿命だけで決まるものではないのはむろんであるものの、寿命の長さは人生の品質を測る一つの目安である。世界の平均寿命の順位は毎年のニュースになる。寿命という字は「命を寿ぐ」ということであり、長寿は文句なくめでたいことと古人は考えていた。しかし七五三から始まり、還暦、喜寿、卒寿などと並ぶのは、単に「長きが故にめでたし」だけでなく、生き抜くことの困難さが人生の節目に込められている。無事之名馬は、長きに亘って無事生き抜く寿命が何よりの前提条件であると解釈する。
寿命から思いつくことに、我が家の電気製品類の製品寿命はかなり長いのではないか、と思うことがしばしばある。私だけでなく家内もそう思っているが、一つには流行を追わず、新型が出ても買い替えに無頓着なので、必然的に長く使っているということがある。それが突然の故障で、それきり絶命するとなると、新機種の事情に疎いので何に買い替えればよいか、しばし思案を抱えることになる。彼ら電気製品の突然死は一斉に、しかもあれもこれもと続けてやってくる傾向があるからである。今年の夏も例年より暑かった。若い時からエアコンをぜいたく品と思ってきた私たちの考えは、年と歳を経るにつれ次第に変わってきたように思う。今や寝入りばなには最低限、エアコンに働いてもらう夏の日々となっている。そのエアコンが突然絶命した。
今年は特に暑さがこたえたように感じたが、若い時分とは違って暑さに弱くなったこともある。しかしそれ以上に温暖化のせいであろう。十年ほど前に家の外壁を遮光塗料で塗り直し、南側の一階の窓にオーニングを設置し、屋根には太陽光パネルを設置するという、思い切ったメンテナンスを施した。工事が完了したときは四月末であったが、夏場になってもエアコンはほとんど必要がなくなった。それがここ数年はエアコンをかけなければ、昼夜を問わず我慢できないほどになった。
我が家にエアコンは四台あるが、三台は子供たちが独立していった時のおさがりである。自分たちのために買ったものは一台のみである。それで十数年以上過ごしてきた。そのエアコンが突然「ボンっ」と音を発したのはこの夏のまどろんだ午睡の時だった。音に目覚めてとっさに思ったことは、枕元に置いた格安スマホの電池が爆発したのかと。しかしスマホを手に取っても異常はなく、あたりを見回してもそれらしい様子もなかった。にもかかわらず、少し焦げ臭いにおいがしたので、おかしい、と何度も首をかしげつつ、そのまままどろみに戻ってしまった。原因が分かったのは夜だった。寝苦しいのでいつものようにエアコンのコントローラのスイッチを入れたが、うんともすんとも言わない。不思議に思って、頭上のエアコンに目を向けると、なんとフアンの羽が開いたまま、固まっている。「そうか、あのボンっ、はエアコン内部で漏電、故障した音に違いない」と思い当たった。
漏電は怖い。眠気は急に吹っ飛び、慌ててエアコンのラベルを確認すると、一九九八年製とある。かれこれ二十三年も働いてくれた老兵であった。翌朝、家内の部屋のエアコンのラベルを見ると、これまた一九九九年製である。家内もさすがに、今年の暑さと漏電の恐ろしさを思うと、早速買い替えようということになった。ついでのことに、それまでエアコンをつけてなかった客間にもつけようということになって、二台を買い替え、一台を新調することとなった。ところが私の部屋のエアコンもかなり古いことを思い出し、ラベルを確認すると一九九七年製造と最古参である。エアコン三台を一度に買うとなれば相当な出費であるが、この夏の暑さに耐えられる体力気力はすでになく、漏電で丸焼けになるのはなにより恐ろしい。結局四台を一度に調達する羽目になった。それでも買い替えを免れた一台は既に十歳を超えている。
電器店が教えてくれたことがある。それは有名ブランドのエアコンと、その電器店のプライベートブランドのエアコンとの品質と性能の違いはまずない、ということであった。もちろん電器店としては、自社のプライベートブランドエアコンを四台も買ってもらうためのセールストークであったと思うが、納得するところがあったのである。店員さんが言うには「今のエアコンの部品は中国など海外から調達して、日本あるいは海外で組み立てているものが多い。そしてエアコンの製品寿命は十年間持つような基準に基づいて作られている。十年を過ぎれば買い替える目安である」という。逆に言えば、今のエアコンは十年を耐久すれば品質上は合格である。日本製品の品質は世界の中でも優れているという自負が社会で共有されているように思うが、電気店の話は説得力があった。つまりグローバリズムが浸透し、各国での分業が進むということはそういうことなのだ。品質も好ましくない意味で、基準に向けて収束、平均化するということと思い当たる。そういわれると、改めて我が家の老兵たちをねぎらいたくなった。
夏の暑さが過ぎ、衣替えと扇風機をしまう頃合いとなった。エアコンのことを思い出し、改めて扇風機の製造時期を確認すると四台ある扇風機のうち、一番若いもので十歳、一番年寄りは二十三歳であった。我が家ではエアコンは寝入りばなの三十分ぐらいに留め、寝ている一晩中扇風機を回すのである。エアコンの不自然な冷気より、夜間に自然に冷えた空気をそれとなく攪拌するのが体に優しい。目線の上にへばりついているエアコンより、手の届く範囲に存在する扇風機は身近である。女房殿は扇風機を分解し、汚れを拭きとりながら、「来年もよろしくね」と一台一台に声をかけ、大きなポリ袋で丁寧に覆って屋根裏に格納する。今年はどれも問題なく動いてくれたが、来年はどうであろうか。回っているうちにファンが外れてこちらに飛んでくるとか、漏電で火を噴かないだろうか。エアコンの買い替え事件を思い出せば、来年はきっぱりと扇風機のまとめ買いを決断しなければならないかもしれない。
話はさらに電子レンジに移る。
電子オーブンレンジを長年重宝してきたが、これもついに寿命が尽きた。加熱ボタンを押して、一分ぐらいするとエラーコードがでる。何度やり直しても同じで、インターネットでエラーコードを調べると、どうやらマグネトロンの寿命が来ているとのこと。マグネトロンとは加熱に必要な電磁波を発生する、いわば電球みたいなものである。はたして製品の寿命を確認すると、十八年間使ってきた勘定になる。翌日、先のエアコンを買い替えた電気店に行き、店員さんにいろいろ相談すれば、電子レンジの寿命は基本七年から十年であるという。やはり我が家の電子レンジも相当に長寿であった。
このように我が家の電化製品が長寿なのは日本だけのことなのか、よそ様のお宅ではどうなのか。夜間中学で私の生徒さんの一人にパキスタン人のビジネスマンがいる。彼が日本で二十五年間やってきた生業は、日本の中古車をオークションで買い取り、ロシアやパキスタンに輸出することである。彼は「日本の中古車は彼の地で人気が高い。それは品質が良くて故障が少なく、長持ちするからである。日本では乗車定員を厳密に守る上に、平均して一台の車に一、二名しか乗っていない。パキスタンでは定員五名の車に七人ぐらいが乗ることは珍しくない。日本車の数十万キロ走行は元気の盛りである。ようやく本当に働ける場所としてロシアやパキスタンに輸出されている。お金持ちは別として中古の日本車は本当に修理不能となってぶっ壊れるまで走る」と話す。日本の大型トラックなどは百万キロ走ってもかの国には需要がある。さらに「同じアウディの中古車でも、日本向け仕様の車と、ドイツ国内向けの車では、日本向けに製造された車に人気がある。それは日本の消費者の要求が高く、品質が良いからである」。なるほど絶命するまでの製品寿命と最低基準として設計された寿命の二つは全く別物で、結局、前者は品質の一番の指標なのだ。長持ちするものを作り、メンテナンスしながらできるだけ長く使う経済への転換こそ、「持続可能な開発目標(SDGs)」の根幹というべきである。脱炭素など個別目標の羅列ではなく、大仰に言えば経済哲学の転換が最初に来るべきである。中古車ビジネスは、日本の浪費経済を大いに緩和させる役目を果たしているのだ。ちょっといい話だと思った。
中古ピアノを買い取るビジネスがテレビコマーシャルに現れるようになって、かなりの年月が経つ。日本の中古ピアノは再生されてアジア諸国(のみならず欧米諸国にも)に輸出される。彼らの第二の人生は一般家庭で使われて、アジア諸国における西洋音楽の底辺拡大に役立っているのだろうか。五年前のショパンコンクールを密着取材したテレビ番組を最近見た。ピアニストが会場で選択できたピアノメーカーは四社であった。うち二社はヤマハとカワイであった。コンクールに参加した七十数名の半数近くが一次予選で日本製のピアノを選択し、三次予選を通過したファイナリスト五名が選択したピアノはヤマハが二台とシュタインウエイが三台であった。シュタインウエイは一八五三年創業のピアノ専業メーカーで、言わずもがな世界一の名声をほしいままにしてきた老舗である。対してヤマハは一八八八年にようやく日本で最初のオルガン製造に成功した後発である。なにより日本における西洋音楽の歴史は明治以降である。ピアノ愛好者という底辺の広がりと厚み、歴史ともに欧州とは比較にならなかった。にもかかわらず日本のピアノメーカーは営々としてシュタインウエイの牙城に迫ってきた。優勝者はアジア出身のピアニストで使用ピアノはシュタインウエイ、二位のピアニストの使用ピアノはヤマハであった。品質に優れた日本の中古ピアノは、アジア諸国の音楽文化に貢献していると思いたい。
日本ではその文化の特徴から、製品そのものの精度を上げる職人的な競争が、最先端技術を用いる工程でも日々展開されてきたという。ドイツ車の例も、設計・製造側と利用者の相互作用が品質を高めてきたのであって、エアコンの場合のように耐用年数をあらかじめ十年を設計基準とする場合とは話が全く異なっているのではないか。となれば基準が一方的に作られることについて最後に少し考えてみよう。
先のエアコンの品質基準が十年であるとして、それを大きく超えて製品が永らえる必要がないとなれば、基準の最低を満たせばそれでよい、という発想になっても不思議はない。特に部品生産や組み立てを受託する下請け企業では、委託先から明示された要求以上のことは絶対にしないだろう。それは国際競争力の強化とか、消費者のための価格破壊など、耳あたりの良い言葉と引き換えに、自社生産や国産化を必要以上に放棄してきたグローバリズムの現れである。
賞味期限という基準を絶対視することで大量の食品、食材が廃棄され、日本は飽食列島化した。基準を超えれば品質は即劣化し供するに不適とする、という基準が日本を浪費社会に変質させてきたように思える。建築基準法によって日本の建築の品質は落ちた、と言うことをずいぶん前に聞いたか、読んだことがある。基準法の趣旨は、最低の基準を定めていることであるという。「この法律で制限するレベルはあくまでも最低限であるから、この法令による技術的基準を守っていれば建物の安全が保証され、私達の生命・健康・財産の保護が完全に保証されるというものでもない」とある。まことに心もとない。この一文は「品質」と「基準」いう関係性に私たちが抱く信頼感やイメージを裏切る。「基準」という言葉に限らず、信頼をいかにも募る言葉がどのように使われるのか、もっと敏感にならねば危ういと思う。一年しか寿命のなかった前政権の世迷い言は、前々政権から引き継いだ「安心・安全」、「丁寧に説明」、「しっかりと取り組む」の三フレーズであった。