偏見とブラインド
2023年10月13日
偏見とは偏って見ること、あるいは偏って見えることである。私たちの視覚から得る情報量は大きく、また役に立つ。
いきなりの横道であるが、可視化ということが盛んに言われ出したのも、近年は文章で理解する能力が落ちたことを補うためだとも言える。カエサルは、「人は見たいようにしか、物事を見ない」と言ったらしいが、それは見ることが偏見に繋がることも示唆している(もっともカエサルは、人は最初から偏見を持って物事を見る、と言いたかったのかもしれない。最初に偏見ありきである)。
先日の新聞のコラムに、ブラインドオーディションのことが載っていた。ブラインドオーディションは今では普及しているやり方のようだが、オーディションを受けに来た人が審査員から見えないようにカーテン越しに歌や演奏をするという。審査員には演技者の名前や素性を知らされず、姿も見えない。いわば視覚的情報を排除することで、純粋に歌唱力や演奏技術を評価するのである。この方法を研究したセシリア・ローズによって、米国のオーケストラ団員に占める女性の採用率が劇的に高まったことが論文として発表されている(注1)。
カーテンで見えなくするということはブラインド化(対象を視覚的に識別できなく)することである。ブラインド化の事例としてよく知られているのは、薬の薬効や安全性を確かめる二重盲検試験である。この試験方法が普及する以前はいわゆる「三た」主義と言われる方法がまかり通っていた。製薬会社が医学界の権威者に試験薬の使用を頼むとする。権威者が試験薬を「使った」ら「患者は治った」だからこの薬は「効いた」と結論付けるのである。一般人がこういう一連の流れを聞くと、確かに薬は効能があるに違いない、と思うだろう。権威者が使った結果なのだから。そう、私も権威者に弱いのである。
このいかさまというべき薬効評価に革命をもたらしたのが二重盲検試験と呼ばれるものである。試験物質(薬の候補となる化学物質)と、うどん粉それぞれで、外見も感触もそっくりな二つの薬を用意する。一つは薬の候補であり、他方はうどん粉(ダミーあるいは偽薬という)で病気に効くはずがないものである。これらをセット(例えば2種類が2個ずつランダムに入っている)として、多数の試験医師に配布して、患者に投与し、その病気がどのように変化するかを記録する。医師も患者もどちらを投与しているか、投与されているかが分からない。このようにして、試験薬とダミーの投与によってえられた成績は偏見なしに得られたものであると考えるのである。びっくりすることがままあるのは、特に精神科領域における試験で、薬の候補がうどん粉と差がないか、統計的にも負けてしまう成績が得られることがあるのである。イワシの頭も信心、とはあり得るのだ。客観性を確保することの重要性が分かろうというものである。
さて、話は楽器の音色、というか高価な楽器は値段相応に良い楽器なのか、という話に移る。同じ楽器、たとえばピアノの上を猫が歩いたときに出る音と、優れたピアニストが弾いた音と、何が違うのか、という挑戦的な質問もある。話を戻して、先のブラインドオーディションと同じように、同一の奏者が目隠しをして安物の楽器と超高価な楽器を弾き比べする。あるいはカーテン越しに同一奏者が弾き比べする音色を聴衆が聴いてその差が分かるか、ということも試されている。この話題については私が多少音楽をたしなんでいるので、とても興味のあることであるが、別稿に譲りたい。私たちは偏見から逃れようとするが、偏見を悪以外のなにものでもない、と決めつける態度がすでに偏見かもしれない。人や公衆に迷惑をかけない範囲であれば、それはその人の人生のスパイスになるかもしれないのだから。
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注1)
オーケストラ編成における公平性:
「ブラインド」オーディションの女性音楽家への影響
概要
女性に対する差別は、多くの職業の雇用慣行がそうであると叫ばれているが、性に偏った雇用を証明することは極めて困難である。交響楽団の団員採用方法の変更は、性差別採用を検証する珍しい方法である。採用における偏見の可能性を克服するために、ほとんどのオーケストラは1970年代と1980年代にオーディション方針を改定した。主な変更点は、審査員から候補者の身元を隠すための「スクリーン」を使った「ブラインド」オーディションの採用である。米国の上位5つの交響楽団に所属する女性演奏家は、1970年には全体の5%以下だったが、現在では25%に達している。我々は、"ブラインド "オーディションを使用することで、女性が昇進したり採用されたりする可能性が高くなったかどうかを検証する。実際のオーディションのデータを用いて、個人固定効果の枠組みで検討した結果、ブラインドオーディションは、女性が特定の予備選考を通過する確率を50%増加させることがわかった。また、スクリーンは、最終選考で女性の出場者が優勝する可能性を数倍に高める。オーケストラの人事に関するデータを用いると、「ブラインド」オーディションへの切り替えは、1970年以降の新入社員の女性比率の増加の30%から55%、オーケストラの女性比率の増加の25%から46%を説明することができる。
クラウディア・ゴールディン(注2) ハーバード大学経済学部 ケンブリッジ
セシリア・ラウス 経済学部およびウッドロー・ウィルソン・スクール プリンストン大学 プリンストン(ニュージャージー州)
結論
米国の主要な交響楽団のオーディション方法は、1970年代のある時期から変わり始めた。その変更には、オーディション競争の開放、つまりプロセスの「民主化」と、オーディション中に物理的なスクリーンを使用することで、候補者の身元を隠し、公平性を確保することである。私たちは、「ブラインド」オーディションが女性音楽家にとってどのような違いをもたらしたかを分析する。
私たちは、オーケストラの管理ファイルとアーカイブから、8つの主要オーケストラのオーディションのサンプルを収集した。これらの記録には、候補者全員の氏名が記載されており、次の選考に進んだ者を特定することができる。このデータは、採用プロセスの各部分において差別が存在したかどうかを検証するユニークな手段を提供し、さらにオーディションをまたいで個人を結びつけることも可能である。女性音楽家、特に大オーケストラの女性音楽家の雇用は、差別によって制限されてきたことが強く推定される。
1970年代まで女性音楽家の数が極端に少なかっただけでなく、最終的に新しい音楽家を採用する責任者である音楽監督の多くが、女性奏者には音楽的才能がないという信念を公にしていた。 問題は、差別が採用に与える影響を裏付ける確かな証拠があるかどうかである。
オーディションと名簿のデータを分析した結果、それは可能であることがわかった。オーディション・データを用いると、スクリーンは、女性が特定の予備選考を通過する確率を50%増加させ、最終選考で女性が選ばれる確率を数倍に増加させることがわかった。名簿のデータを使えば、「ブラインド」オーディションへの切り替えは、1970年から1996年までの新入団員の女性比率の増加の30%から55%、オーケストラの女性比率の増加の25%から46%を説明できる。経済学や他の分野における「二重盲検」レフェリーに関する研究(例えば、Blank 1991を参照)と同様に、「盲検」手続きは公平性に影響し、ジャーナル(ここではオーケストラ)にとってのコストは比較的小さい。我々は、「スクリーン」と「ブラインド」オーディションの採用が、オーケストラのポジションを求める女性音楽家を助けるのに役立ったと結論づける。
注2) クラウディア・ゴールディンは2023年のノーベル経済学賞を受賞した。授賞理由は「労働市場における女性の成果に関する功績」。