ガード下の同期会
2023年11月24日
ここに来てホッピーを飲むのはいつだったか。思い出せないほど前のような気がするが、思い出せないからそのように思うのだろうか、そんなことを考えながら社会人になりたて時の一人の同期生とカウンターに座った。その日私は新幹線に乗って久しぶりに東京は有楽町に出てきた。雨が強く斜めに降りつけるお昼過ぎから同期会が始まり、二次会は喫茶店、三次会は私と同期生のO君と二人きりになってしまった。どこで飲もうかと有楽町駅前に来たら、日暮れのネオンに有楽町ガード下が見えた。一も二もなく、その同期生が何十年来行きつけという居酒屋に入った。ガード下には何軒もの居酒屋が並んでいる。私が若かったころとはとうに代替わりしているはずだが、昔のままのように、店の間口は手狭で入れば「あっとほーむ」な雰囲気がなんとも言えず、懐かしい。同期会の締めに格好であった。
有楽町ガード下にはいろいろな思い出が転がっている。勤めていたビルは有楽町の駅前にあり、ガード下まで1分もかからない。会社の同僚と誘い合い、上司に連れられては呑みに行った。部長によく誘われた昼飯は、ことのほか銀シャリが旨い刺身定食だった。有楽町駅から晴海通りを10分も行けば築地の魚市場があった。労働組合の専従であった時は、人事部の連中ともよく連れ立ち揃って会社の愚痴を言い合ったこともあった。会社と労組は対立していなければ、なれ合いと言われるだろうが、しょせん一つ小舟の中で向かい合う同舟の身である。
私は社会人としてスタートを切った会社に12年間在籍した。50年を経て同期会に出席すると、スタートした会社で培った人間関係のありようは、その後に転職した先々の職場の人付き合いにも影響していることを思う。前夜の深酒を遅刻の言い訳にするな、と先輩から戒められ、割り勘をしようとしたら、先輩、上司が奢るのは順繰りだから、と諭されたりもした。会社はスマートではなかったが、どことなく温かみのある人たちがいた。
私が転職をした後、会社の業績は浮沈を繰り返すも何とか続いていたが、最後には同業他社に吸収・合併されてしまった。名前は新会社名にも引き継がれたが、内実は冷や飯を食わされた人たちも当然いたであろう。私と同期の入社は女性社員を含めて35名であったという。そのうち今回の同期会に出席した同期生は12名。彼らは吸収された先でサラリーマン人生を全うしたことを、横に座る同期の話しぶりから推しはかることが出来た。当時12年ぐらいの在籍で転職した者は稀であっただろう、その私を長年の不義理にも関わらず今回も声掛けしてくれた同期の温かさを、ただただ有難いと思うのである。若い時代の在籍であったから、会社に大した貢献もあろうはずがなく、自分の経歴として特記すべきことがないと思っていた時代が、己の形成のために良い時代であったとつくづく思い知らされた同期会であった。