逃げるは恥だが役に立つのか
2023年7月8日
田知和樹
二月下旬のある日。夕食後のことだった。
「ねぇ、新垣結衣がおめでただって」
一緒にコーヒーを飲んでいた妻が教えてくれた。そうなんだ。芸能ニュースに特に興味があるわけではないが、すぐにスマホでネットを検索してみた。だがその記事はどこにも見当たらない。本当なのか。
「あれ、そう聞いたんだけどな」
どうやら職場の同僚から仕入れたネタのようである。新垣結衣ファンの妻からすれば気になるというところか。今のところ公式発表はない。
新垣結衣の夫は俳優の星野源である。「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマで夫婦役を演じ、その後交際を経て本物の夫婦になったようだ。さすがにこれはニュースになったので私も知っている。
「だいたいこういうネタってさ、週刊誌のスクープでバレるじゃない。マスコミからうまく逃げ切ったということかもね。まさしく逃げるは恥だが役に立ったということかも」
こう結論付けた妻に、私はすかさずうまいっとツッコミを入れた。妻は満足げだ。そんな会話を交わしながら、私は再びマグカップを口にした。
そんな他愛もない会話を交わした翌日のこと。出社して地階にあるロッカールームにいると、どうやら今日人事異動の内示があるらしいという情報が他部社員からもたらされた。例年は三月一日だから今年は少し早い。真偽を確かめる間もなく事務室に入り自分の机に着くと部長からもそう伝えられた。そうか、今日か。今回異動には引っかかりそうにないと内々に伝えられていた私は、形だけ驚いてみせて何食わぬ顔で仕事に取り掛かった。
私の働く法人営業部は同じフロアの支店長室のすぐ隣にある。角度的に支店長室に出入りする人間は知らないふりをしたくてもできないくらいよくわかる。ましてや人事異動の内示だったら、希望通りだと晴れがましい顔で出てくるし、そうでなければ虚ろな目で出てくる。わかりやすい。
私も人事異動の可能性はあったが、前述の通り先週に次年度を見越して残ってもらう旨を早々と言い渡されていた。そのため今回の内示伝達劇場は観客を装うことができる。さてさて。誰がどういう顔で出てくるか。次々と支店長室に入っては出ていく光景をさも気にしないふりをしながら見ていた。
得意先から電話が入り応対していたのではっきりとはわからなかったが、最後に入ったのはリテール営業部の若田のようだった。若田は私より八つほど若い四十三歳男性社員。仕事ぶりに関してはあまりいい評判は耳にしない。若田が支店長室に入っていったということは異動の内示があるのだろう。この支店がある地域が地元だけに、転勤の希望を出したという噂も届いていない。転勤を伴う異動ではないとするならば、もしかして。その予感は当たった。
支店長室から出てきた若田は、晴れがましい顔ではなかったが残念そうな顔でもなかった。支店長室を出たら一目散に私のところにやってきて笑みを浮かべながら大きな声でこう言うではないか。
「ただいま四月一日付で法人営業部勤務の内示をいただきました。平野課長、よろしくお願いします」
お、おうっ。よろしく。椅子に座っていた私は少し後ろにのけぞってしまった。なんで真っ先にオレのところにあいさつに来るんだよ。その違和感はあとでわかることになるのだが、それはともかく、若田がまさかの支店内異動でうちの部に来るかあ。これでお荷物がまた増えるなあ。そんなつぶやきが思わず出ていた。
若田が出て行ってからは誰も支店長室への出入りがない。どうやらイベントは幕を閉じたようだ。何事もなかったように装う静まり返った事務室内。とりあえずは目の前の仕事に集中しなければと思い直したそのときだった。
「平野課長、ちょっといいか」
不意に支店長から声がかかった。内示終わったんじゃないの。完全に気を抜いていた私の体は虚を衝かれてしまい体がビクッと動いた。アンコールか。まさかのサプライズか。急に胸の鼓動が速くなる。周りにいる部下たちも視線は目の前のパソコンだが、意識は明らかに私の方を向いている。返事をして椅子から立ちおもむろに支店長室に入った。
「まあ座れ」
応接用のソファにかけるよう勧められた。この言い方からすると明らかに内示ではない。ちょっとホッとした。だが何を言われるのかさっぱり読めない。身構えた。
「あのな、若田を法人営業部に異動させたよ。よろしく頼むわ。平野課長にちゃんとあいさつしとけよとも言っておいたから」
だからすぐに私のところにやってきたのか。そして私を教育係に命じたという事後報告か。次年度を見越して残ってもらうという意味もこれでわかった。すべてを読み切った私だったが何も返答できずにいた。
「わかっていると思うが若田は病気休み明けだ。しっかり休養を取って体調を整えて頑張るかと思ったがやっぱり一度休んでしまうとクセになるんだろう、どうも性根が入らなくてな」
若田の病気休暇は二度目と聞いている。うつ病ということも。最初の病気休暇は今から五年ほど前のことだったようだ。営業成績が上がらず上司から叱責され精神的に参ってしまったとことが原因らしい。私がこの支店に赴任してくる前のことだ。この頃からよく仕事で虚偽の報告や顧客からの苦情が増えたようだだった。
そして昨年また病気休暇を申請し今年一月末まで休んだ。病名はやはりうつ病。営業成績も低空飛行だったが、前回と明らかに異なるのは上司からの叱責はなかったということである。上司は腫れ物に触るような感じで若田とはあまりコミュニケーションを取らなかったようだ。具体的には営業成績などについてはノルマに達しなくてもお咎めはなく、あまり強く指導することもなくほとんど放置だったとのこと。営業の仕事で成績が上がらなくても叱られることはないなんてなんと楽なことか。それでも若田は休んだ。そうなると若田の評価はきりもみ急降下となる。
「まぁ、逃げるは恥だが役に立つをそのまんまやるような社員だということよ」
ここで逃げ恥ですか、支店長。心の中で苦笑いした。昨日の妻との平和な会話がバレていたような気がしたからだ。昨夜は平和だったが今日は不穏な空気を感じる点に決定的な差があるが。
「そう、病んで休むのは恥ずかしいけどその間は働かなくても休職手当は入るからな。その意味では役に立つんだろう。働かずして金が入ると味を占めてしまうんだろうな」
視線を斜め下に向けながらまるで唾を吐くように支店長は言い放った。虚偽報告や苦情が多いどうにもならない社員、休んで手当だけもらう狡い社員と言いたげだったが、さすがに次に異動させる部署の、おそらく教育係になる私にそういうネガティブ情報は吹き込まないという配慮だろう。だが口に出さなくても伝わってくるような勢いだ。とはいえそういう噂は早い。私もすでに耳にしている。
「でもな、環境を変えてやればなんとか戦力にならないかとも思ってる。平野再生工場に賭けてみたいのよ」
店長は居住まいを正しながら私を見て言った。いやいや、あまり期待されると困ります。すぐさまそう反駁した。営業成績の悪い社員はどこも取りたがらない。こころの病があればなおさらだ。引き取り手がなかったというのが本当のところだろう。管理職でもない私に賭けるとは。店長、断末魔の叫びですぜとチクリと言ってやりたかったが、そこは私も一介のサラリーマン、嫌味になると思いその言葉は飲み込んだ。
その代わりに、平野再生工場は誰でも再生できるわけではありませんよと言っておいた。以前に営業成績の上がらなかった若い社員を立ち直らせた辺りから巷でこう言われているのは知っている。気恥ずかしい限り。でももう勘弁してくれよ。正直そう思った。
「せめて人並みに働くようにしてくれればいいから」
ったく、ひとまかせかよ。その思いを噛み殺したあと、短時間ながら意見交換をして支店長室を辞去した。
ところで、逃げるは恥だが役に立つという言葉であるが、もともとはハンガリーのことわざのようだ。言葉の意味をそのまま捉えると、逃げることは恥ずかしいけど役に立つということになる。これは逃げを肯定することなのだろうか。初めて聞いたとき、そんな疑問が湧いた。恥ずかしいと思うなら逃げるなよ。声を大にして私は言いたいのだ。というのも私は逃げて恥ずかしい体験をしたことがあるからだ。
物心ついたときから吃音だった私は、小学生の頃から授業で指名されて教科書を読まされるのが嫌いだった。クラスメイトのようにすらすらと読めないからだ。声に出して読もうとするとどうしても途中つっかえる。呼吸は苦しくなるし、顔をしかめても、体を動かしても言葉が口から出てくれない。その姿が他人から見れば滑稽に見えるらしい。こんなにつらいのに笑いのネタにされるのが嫌だった。そしてもっと酷いことにその姿は真似をされ、格好のいじめのネタになった。
そのため気を遣ってわざと私に教科書を読ませない教師がほとんどだった。それはそれで楽ではあったが結果的に特別扱いされることになる。いわば腫れ物扱いだった。それはまさに恥ではあるが、うまく困難をすり抜けるという意味では、吃音が露わにならないように役に立っていた。だが気持ちの上では晴れることはなった。
だが小学校六年生の時の担任であった鈴木先生は違っていた。授業中は私を特別扱いせずに音読をさせた。うまく読めない私はいつも笑われたし、とてもつらかった。
ある日の国語の授業でも鈴木先生はまた私に音読をさせた。私はいつものようにつっかえながら読み進めていくが、その日はいつも以上に調子が悪くスムーズというにはほど遠い出来だった。平常運転ではあるのだが、だんだん恥ずかしいというより情けないという気が私に中に蔓延してきたのだった。後半になるとますますスピードは落ち、加えて当時苦手だった母音がどうしても出てくれなくなった。教室内はシーンと静まり返っている。時間だけが無為に流れていく。不甲斐なさのため涙が出てきた。でも内心は涙を流すことでこの音読から解放されるのではないかという狡い考えもあった。少し時間が経った頃、先生はもういいと私を座らせて後ろの子に音読をさせた。逃げた感は否めず何とも言えない気持ちだったが、とりあえずはその場から解放されたことでホッとしている自分もいた。
放課後鈴木先生に職員室に呼び出された。先生は開口一番なぜ吃音の私にみんなと同じように音読をさせるかを教えてくださった。来年は中学生。次は高校生。徐々に大人からの庇護はなくなっていく。吃音でスムーズに言葉が出てこないのはつらいと思うが、それでも生きていかなくてはならない。いじめられたりからかわれたりすることがあると思うが、それでも現実から逃げないで向かっていく姿勢がないと逃げ癖がついてしまう。吃音という困難にも負けない強い心を養ってほしい。だから特別扱いはしない。今日授業中音読をしていて涙を流して逃げたことは狡いことだと叱られた。そしてしっかりゲンコツまでいただいた。痛かったが、理由が分かって安心したのも事実だった。
確かに今は柵の内側にいるようなもの。年齢が上がるにつれ、柵はなくなっていく。要するに逃げたら負けなのだと言われているような気がしたのだった。その後も鈴木先生はあらゆる場面で私を特別扱いしなかった。私もそれに応えようと自分なりに考えながら行動するようになった。音読などは相変わらずだったが、いくらいじめられてもからかわれてもなんとか耐え抜いた。考えながら行動するといえば聞こえはいいが、ただ耐えていただけだ。それでも今思えば、よく耐えたと思う。あのとき鈴木先生の指導があったから今の私があるとさえ思うと感謝しかない。
こんな経験があるからこそ逃げたら負けという言葉が私の中に沁みついている。そのため逃げるは恥だが役に立つという言葉には違和感があるのと同時に、それを許す風潮に腹が立つのである。
最近は職場での強い叱責や人間関係の悪化などからこころの病が広く蔓延している。もちろんいき過ぎた指導やハラスメントは問題外だが、そこまで至らない強めの指導や人間関係の摩擦が働く人の心を弱らせるようだ。昔はなかったメンタルヘルスという言葉が現れ堂々と幅を利かせる。それだけストレスの多い世の中に変わったということだろう。自分が思ったようにならないときやつらいときは我慢しなくてもいい。そういう考え方が主流なのだ。優しい時代になったものだ。私のようにとにかく我慢して耐え抜くのは時代遅れなのかもしれない。仮にそうだとしたら今度私の部下になる若田は時代に合った選択をしたということになる。
しかしながら私はそういう部下の育成は経験したことがない。どうすればいいのだろうか。自信がないのが正直な気持ちだった。
内示があった日から数日経ったある日の午後だった。アポイントがあるため外出の準備をしていた時、直属の部下である橋本が私の方に寄ってきた。
「か、課長。いいですか、ちょっと相談が」
橋本は御年六〇歳。あと一ヶ月弱で定年だが再雇用予定の社員である。橋本は一言でいうならばポンコツ社員。どこも取り手がなく、仕方なく本人の地元である我が支店が引き取ったという噂だ。なぜポンコツなのか。それはコミュニケーション能力が圧倒的に不足しているからだ。まず何が言いたいのかさっぱりわからない。私みたいな吃音を患っているわけではないのだが、とにかく言葉を発しても何も伝わってこないのだ。そのため報連相ができないし、指示したことが理解できないという致命傷を抱えている。
もともと橋本は別の支店のリテール営業部にいた。ところが若田と同じく営業成績が上がらなかった。もっともポンコツ過ぎて仕事らしい仕事を任せることができなかったようだが。年齢が年齢だけに期待されるわけでもなく、当時の上司は橋本を避けていたと聞く。それを逆手に取る知恵があったかどうかはわからないが、仕事が与えられないのをいいことに鉄砲玉の下をかい潜って生き残ってきた稀有な社員なのだ。
二年前に私のいる支店に異動してきたときのこと。教育係の私は最初に橋本と面談をした。そのときこう言ったのを思い出した。
「他の社員と同じ扱いをしてほしい」
異動前の支店での橋本の働きっぷりというか、働かない噂は耳にしていた。だから他の社員と同じ扱いをしてほしいという橋本に驚いた。特別扱いしないでほしいという意味かと問うとそうだという。私が小学六年生の時に鈴木先生から特別扱いしないと言われたが、それを橋本自らが望んできたということは少しでもやる気があるのだろうと考えた。
わかった。法人営業は初めてだろうからまずは半年間マンツーマンでしっかり教える。その代わりそれなりの結果は出してほしい。そうでなければ私の指導はだんだん厳しくなる。それでもいいかと尋ねると、構わないというではないか。橋本の望み通り、これまで私の下についた若手社員を指導するのと同様に扱った。念のために言っておくが、取り立てて厳しい指導ではない。業務知識の付与や顧客対応の実践など通常の指導の範囲内だ。
さてその指導を受けた橋本がその後どうなったか。丸二年が経ったが、業務知識は乏しく、顧客対応はおぼつかない。加えて社会人としての礼儀や普段の行動言動から、パソコンの表計算ソフトやワープロソフトの使い方まで及第点を与えることができない。仕事をする上で当たり前のスキルさえを得ることができていないのだ。そもそも自ら学ぼうという姿勢にも欠けている。だから指導する私もだんだんと声は大きくなり言葉遣いは粗暴となる。傍目から見るとどう見てもパワハラと勘違いされるくらいだ。一般的に叱られたら次は気を付けようと思うものだが、橋本にはそういう姿勢が一切見られない。人間はそう簡単には変わらないものだと痛感している。
話が逸れたが、肝心の相談はこれまたベテラン営業社員とは思えないような内容だった。
「先方に送るメールを添削してほしいのですが」
ああん。一瞬にして私の眉間に皺が寄った。相談内容にイラっときたからだ。ボルテージが上がる。赤ペン先生じゃねえんだ。ビジネス文書の書き方なんて営業マンとしては当然のスキルだろうが。それくらい自分でやってみろよっ。捲くし立てた。
見せてみろ。それでも一度読んでやろうと思って印刷したメールを読んでみた。すぐに後悔した。文面は支離滅裂、漢字も間違えているところがある。さらに血圧は赤丸急上昇である。これ以上引っ張るとアポイントに遅れるし、先方との面談にまで影響してくる。私はたまらず係長に助けを請うた。ちょっと面倒を見てやってくれと頼んで外出した。
営業車のハンドルを握りアポイント先に向かいながら先ほど叱り飛ばしたことについて考えていた。あれだけ叱っても橋本はめげることがない。正直仕事ぶりは下の下。私からだけでなく、支店長からも私たちの上司である法人営業部長からもよく叱られている。それでもこころの病や休職の気配はまったくない。そのメンタルや賞賛に値する。とにかく逃げないのである。
そういえば以前こんなことを訊いてみた。
「橋本、年下のオレにガンガン叱られて恥ずかしくないのか」
「恥ずかしいですよ」
一応は恥ずかしいと思っているらしい。でも逃げない。逃げないということは逃げるのが役に立たないと思っているのだろうか。いや、橋本にそんな計算はできないと思う。とにかく耐えているのが正直なところだろう。
このメンタル、若田とは対角線上にあると感じた。橋本も若田も仕事上の評価はよくない。それでも橋本は逃げないが若田は逃げている。若田は法人営業部に来ても逃げるのだろうか。ちょっと不安になった。せっかく縁あって一緒に仕事をすることになる。どうせなら立ち直らせてやりたい。イソップ寓話に例えるなら橋本には北風方式で接している。こころの病から立ち直ろうとしている若田にそれはまずいかもしれない。すると必然的に太陽方式になるのか。若田への指導は橋本も目の当たりにすることになる。橋本は不満を漏らすかもしれない。私にだけつらく当たるというかもしれない。こりゃ簡単じゃないな。気を引き締めてかからないと。私はますます不安になった。
三月中旬のこと。夕刻の時間帯に支店長に呼び出された。
「若田のことだけどね。三月最終週は法人営業部で勉強させようと思うのよ。面倒見てやってよ」
断る理由はない。わかりましたと伝えて支店長室を辞去した。
だがその数日後。また支店長に呼ばれた。
「若田の仕事ぶりがあまりよくなくてな。苦情もあったし。この前の話だけど白紙ということにしてくれ」
店長の指示だ。反論する理由はなかった。わかりましたと返事をして自席に戻った。だがこの時私はどこか引っかかるものを感じた。
内示の日以降私は若田と話をしていない。教育係を非公式に支店長から命じられている私に入ってくる情報は、周囲からの無責任な噂と支店長というフィルターを通してのものだけなのだ。もちろんネガティブなものばかりだ。だが話をしてもいないのにそれを鵜呑みにはできない。なぜなら内示があってすぐに私のところにきて笑顔であいさつをする若田の表情が印象に残っているからだった。
自席に戻り腕組みをしながら考えた。支店長は若田の仕事ぶりに間違いなく不満を抱いている。それはしっかりとコミュニケーションを取ってのことならばある程度は仕方ないが、そうでなければ支店長は大事なことから目を背けていることになる。大事なこととは、しっかり向き合っているかということだ。それがなければ社員の成長はないと言っても過言ではない。支店長にはリテール営業部長からの報告しか上がってないのではないか。すなわち現在の若田の上司、すなわちリテール営業部長や課長がしっかりとコミュニケーションを取っていなければ、若田も本当の気持ちをぶつける機会もなくなる。そして若田の本当の気持ちは支店長に通じない。それをせず一方的に仕事ができないというレッテルを貼られているとしたら若田が不憫だと思ったのだ。
確かに若田は病休明けだ。しかも仕事ぶりも支店長やリテール営業部長のお眼鏡にはかなわないかもしれない。過去二回の病休は営業成績が不振だったことが絡んでいる。この状況下病休明け一ヶ月ほどで営業成績を上げろと言われて結果を出せるだろうか。それはあまりにも大きな壁なのではないか。そしてその壁に双方が納得しているのか。どうもそうとは思えないのだ。どちらも向き合うことから逃げている。そう感じずにはいられなかった。
気が付いたら私は支店長室のドアをノックしていた。
「店長、すみません。お話しよろしいでしょうか。確認したいことがございます」
声が上ずるのが自分でもわかった。
「ああ、いいよ。なんだ」
「若田のことです。先ほどのお話は若田は納得している話なんですか」
「まあ、座れ」
支店長は若干興奮気味の私をソファに座るよう促した。
「リテール営業部長と相談しながらの決断だよ。少なくとも若田には現在の仕事をしっかりと仕上げてから法人営業部に行ってほしいと思っている」
「それは具体的に言うとリテール営業部で成績を上げてからということですか」
「もちろんだ」
「では若田を最終週は法人営業部に勉強に行かせるとおっしゃったのは」
「若田に期待した。休み明けから営業目標を設定してそれをきちんと仕上げるかどうかリテール営業部長が見ていたが、どうもそれは期待できなさそうだと報告を受けた。だからリテール営業部での仕事を三月末までまっとうしてもらってから法人営業部に行かせようということになった」
「それは若田が納得しているんですか」
「若田には何も話をしていない」
「若田を試していたわけですね」
「結果的にはそうなる」
「若田の知らぬところでいろいろ言われて決められていたら本人も納得のいく仕事ができないと思うんですよね」
「そうかも知らんが、これまでの若田の実績や言動行動だと好きにはさせてやれんよ」
やはり。若田はリテール営業部で上司としっかりコミュニケーションを取れていない。上司に試されていたのだ。当然本人は気が付いていない。こんな状態でいい仕事ができるはずがないし、支店長やリテール営業部長はいい印象をもたない。お互いが大事なことから逃げている。こんな同じ職場内での軋轢は全てにおいて役に立つことは絶対にない。
一方でこうも思う。若田もなんとなくリテール営業部は居心地が悪いと思っているのではないか。結果的に異動でリテール営業部から逃げることになるが、法人営業部でがんばろうと思いを馳せているのではないか。本人の資質はあるにせよ、リテール営業部での二度の病休は本人も不本意だっただろう。だからこそ新天地に懸ける思いが強いのではないか。だから内示後すぐに私のところにきて笑みを浮かべて大きな声であいさつをしたのだ。私はそう確信した。
わかりました。お時間をいただきありがとうございましたと告げ支店長室を出た。
人を育てるためにはコミュニケーションが欠かせない。しっかりと向き合い、時間をかけて自立を促す。こうして育った社員がまた次の世代を育てていく。それが企業の存続の鍵を握る。コミュニケーションのない組織は、最終的にはいい結果をもたらすことはない。
私はまた自席に戻った。しばらく一点を見つめていた。さっきよりも深刻な顔つきで腕組みをしていたようだ。橋本が不安そうに声をかけてきた。
「課長、また怖い顔して。なんかあったんですか」
はっと我に返った。ちょっと気持ちがざわついていたせいだろう、険しい顔をしていたようだ。ああ、ちょっといろいろあってな。とりあえずそう返答した。橋本は心配そうな顔で私を見ている。少しだけ橋本と話をしたくなった。
「橋本、久々に同行営業するか」
そう声をかけて二人で外出した。行先はどこでもよかったが、橋本の数少ない得意先とした。
私は橋本と同行訪問するのは嫌いである。なぜなら風貌からして橋本の方が上司に見えるからだ。そして橋本の営業スキルが欠如しているため、先方は私の方を見て話をする。やむを得ず私が営業スキルを繰り出してトークを展開することが圧倒的に多いのだ。いわば橋本は楽をして営業成績を上げていることになる。それが許せない。橋本自身上司に営業をさせるということに恥ずかしさを感じて反省してくれていればいいのだが、そうとは思えない。でも楽して営業成績が上がるということに役に立っていると考えているのでは、と勘繰ってしまうのだ。まあ今日はそんなことには眼を瞑ってやろうと思った。
私は得意先に向かってハンドルを握っている橋本に尋ねた。
「前の支店から今の支店に異動が決まったときどんな気持ちだった」
若田になぞらえて尋ねてみた。
「まあ以前いた支店ではたいした仕事は任せてもらえなかったですからね。内示があってからはほぼ次の支店に赴任して頑張ろうとしか思わなかったっすね」
やはりそうか。おいっ、がんばりが見えないぞ。心の中でツッコんでやった。橋本はさらに続けた。
「でもここぞとばかりに使い倒された気がしますね。厳しいお客様のところに行かされるとか、クレーム対応とかさせられていました」
なるほど、まるでさっき聞いたような話だ。これってどこの支店もそういうことをするのだろうか。
「それって上司と対話して納得してやっていたのか」
「納得いかなかったですけどね。もう異動になるので必然的に敗戦処理担当ってことになってました」
なるほどね。最近のリテール営業部はどこの支店もこういうことをするのかと思うと腹立たしい。
「上司とコミュニケーションが取れていなかったら仕事も楽しくないと思わんか」
「そうなんですよね。前の支店では叱られることさえなかったんですよ。今は働いてるって気がするんですよね」
前の支店では相手にされていなかったということだろう。そもそも今でも働いているうちにならねえんだよ。いかん、心の声が漏れそうだ。
「それってどういうところで自分が働いているって実感するんだよ。正直働きぶりは下の下だぞ」
おっと、とうとう本音が出てしまった。
「だって前の支店ではずっとだれにも相手にされてませんでしたからね。課長は言い方は厳しいけど、それでも相手にしてくださってるわけでしょ。ありがたいなあ」
いや、好きで相手をしているわけじゃねえんだよ。上司なので仕方なく相手してやってるんだよっ。そう言いたいのを私は必死にこらえた。
そんな橋本でもたまに案件を持って帰ってくることがある。そのときは思いっきり褒めてやる。確かにその時は嬉しそうな顔をしている橋本の姿が浮かぶ。少なくとも橋本が前にいた支店の上司よりはコミュニケーションを取れているのではないだろうか。
ちなみに私の部下は橋本だけではない。他に何人もいる。橋本と橋本以外で対応は変えてないつもりだ。基本的には報連相を徹底させる。それは部下からも上司からも、だ。トップダウンとボトムアップのバランスが大切なのだ。そうしてコミュニケーションをしっかり取りながら仕事を進めていくのが私のスタンスだ。誰もが声を上げやすい環境作りには自信がある。
それに見合う行動を取ることができなければ叱る。組織を預かる身としてはそこは譲れない。橋本は何を言っているのかわからないし、何を言っても理解しない。だから強く指導するだけのことだ。若田への接し方もこれでいい気がしてきた。
そんなことを考えているとき、橋本がボソッと言った。
「若田くんとは同じ支店で一緒に仕事したことがあるんですよ。私より仕事できるから大丈夫ですよ」
なんと、橋本。上から目線とはエラそうに。橋本を見ていれば若田は仕事できると錯覚するかもな。でも私は返す言葉に窮した。橋本は私のことを気遣って言ってくれているのか、それともただの空気が読めない人間なのか。おそらくは後者だろう。私は結局こう返答した。
「せっかく一緒に仕事するんだから、一人前に育てなきゃな」
そういったあと私はすぐ付け加えた。
「もちろん橋本もな。それに応えてくれねえんだから困ったもんだけどよ」
橋本はバツが悪そうにした。
「私はもう引退で」
「来月から再雇用だろうが。容赦しねえぞ」
舌を出した橋本。いつもの橋本だった。
「何度も言ったことあるけど、橋本の逃げない姿勢は立派だよ。もはや神の域だ。あ、これ褒め言葉だからな」
橋本は苦笑いを浮かべていた。
「だからさ、がんばろうぜ」
返答はなかった。聞こえているのか、いないのか。まあどちらでもいい。これもいつものことだ。気にしていない。そのあとは特に会話はなかった。なんとなくだが、表向きでは橋本とコミュニケーションは取れていないが、深いところで取れているのではないだろうか。この奇妙な感覚はなかなか言葉では言い表せない。
営業車は橋本の得意先に近づいた。
「さあ橋本、しっかり仕事しようぜ」
そう声をかけた。
「はいっ」
珍しく元気な声が返ってきた。私と橋本は営業車を降りて訪問先の事業所へ向かった。
三月下旬、週後半の夕刻。部員全員が退社してからも私は一人事務室に残っていた。椅子に深く腰掛け腕組みをするいつものポーズ。早くも年度末。この一ヶ月いろいろ考えたが、結局若田を育てる妙案は浮かばなかった。とりあえず一周回って出た結論は、北風でも太陽でもなかった。コミュニケーションをしっかり取りながら指導するというこれまでと同じスタイルだ。
そして今回若田には特別にもう一つ教えておいてやろうと思っている。逃げるは恥だが役に立たない、と。やっぱり困難に立ち向かうことは大切だ。そこで何を学ぶか、それは失敗するか成功するかわからないけど、自分が考え抜いたうえでの行動ならたとえ失敗しても長期的にはプラスにはなる。ファイティングポーズだけは忘れないようにしよう。そう伝えようと思っている。
若田の内示後の私に見せた笑顔が浮かんできた。その笑顔は法人営業部で頑張るという決意の笑顔だ、きっと。だとしたら私はそれを逃げずに受け止める。全力で向き合ってやる。そう誓った。
私はロッカールームに降りるため、蛍光灯のスイッチをオフにして事務室を施錠した。
逃げるは恥だが役に立つ。「闘う場所を選べ」という意味にもなるそうだ。
完
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読後感想:逃げるは恥だが役に立つのか
寝庵出樽人
ずっとサラリーマンであった私には、作者が経験している渦中の難題が良くわかる。それらはいくつも提示され暗示されていて、この作品のどこに焦点をあてて感想を書くべきか、迷うのであるが、文中で若田氏が言う。「だって前の支店ではずっとだれにも相手にされませんでしたからね。課長の言い方は厳しいけど、それでも相手にしてくださってるわけでしょ、ありがたいなあ」。そう、この心情の吐露を含めたところに、この作品の核心があると思う。それは居場所である。
話は私が活動している夜間中学の生徒さんのことに飛ぶ。
私が受け持っている生徒さんの一人に、成人したMくんがいる。彼は3カ月ほど前に父親に付き添われ、障碍者手帳B級をもって夜間中学に入ってきた。彼は養護学校を卒業後、作業所で紙をすく仕事をしている。父親は、「息子は養護学校を卒業したが、おつりの計算が苦手であるのでせめて何とかしてやれないだろうか」、という願いであった。本人は養護学校を卒業後も、勉強したいという思いで自らいくつかの公立の夜間中学に当たって見たが、受け入れてくれるところはなかった。公立の夜間中学は、養護学校卒業者も義務教育を修了したのであるから、受け入れは不可なのだという。
政府の掲げるリスキリング「学び直し」、「誰一人取り残さない」というお題目は何だったのか、ということはさておき、紹介したいことは彼の夜間中学での勉強する姿勢である。勉強は小学校1年生の総合科目のドリルをすることから始めた。せいわ自主夜間中学では教室形式の座学ではなく、学ぶ者(生徒さん)と教える者(スタッフ)が1:1の対面で授業を進めていく。Mくんには私以外に、もう一名のスタッフが私と交代しながら担当することとした。
1か月経ったころ、彼の素質のいくつかの面が分かってきた。確かに素早い反応はなく計算も苦手であり、話はどもる上に聞き取れないほど早口であるが、特定の領域例えば理科については私たちがびっくりするような知識を披露する。知的好奇心が豊であることは間違いがない。学習態度は熱心で、集中力があり、こちらが疲れないかと気にするほどである。宿題のドリルは指定した以上に家でやってくる。毎回付き添ってやってくるお父さんに聞けば、この夜間中学に来てから本人は毎週一回(1時間)の授業を楽しみにしているとのこと。本人も楽しいという。これまで1対1で教えてもらったことはないという。
Mくんが夜間中学に入学するにあたって、どのように彼に接したらよいか、誰が担当するかを何人かのスタッフで話し合ったが、学習目標は立てられなかった。しかし、彼が喜んで夜中にやってくること、スタッフの言葉を熱心に理解しようとする姿勢が分かってから、勉強する楽しさを覚え、夜中が自分の居場所と思ってもらえるようになること、そこを学習目標にしようということに行き着いた。
人には生きがいや居場所が必要である。Mくんは自分から言い出してはないが、夜中の授業では、その間ずっと自分が認められていることを濃密に感じているのだろう。人は相手から認められたいという欲求があるという。他者に認められれば、欠点をあるがままとして、己を自ら受け入れ生きていく愉しさを覚えることができよう。問いかけに対して、どもりながらも素早く何かを返事しないと焦る彼の姿は、他人に劣るところがあると自覚するがために、相手から無視されたくない、という思いにかられているのかもしれない。
人の素質はさまざまでありながら、それらの意味合いを経済的価値(経済活動の効率、効果)や学歴の評価だけで判断するのが現代社会である。意味合いとは、本人だけが納得できるものであり、価値とは他者に押し付けることを目的に作りだされたものである。私たちが見失っていることをMくんは教えてくれている。他者が創り出した価値観から決別できないサラリーマンの悩みは深いが日常化されて、誰も敢えて口にしない。
翻って、作者はその日常茶飯事を見逃さず取り上げた。居場所には他者の存在が必要である。空間としての居場所は暖かい人間関係があってこそである。願わくば若田氏の職場が居場所になるように。
作者は深刻にはならず、その悩ましい日常をちょっぴりコミカルに描いたのだ。作者の人柄がにじんでいる。
完
参考:次の三つの記事
孤独な環境:孤独の多層的決定要因に関する研究の必要性 — 寝庵出樽人の館 (squarespace.com)