ねこまんま考
主婦のお昼ご飯はねこまんまにすることが多い。それも台所に立ったままで食べるのである。ねこまんまは「猫+まんま(幼児語でご飯とかめし)」だと思っていたが、語源というか由来が気になってネットで調べてみた。なんとWikipediaに解説が載っている。猫まんまには、鰹節をかけたもの、味噌汁等汁物をかけたものの二種類に大別されている。昔むかし、我が家で飼っていた猫には、冷や飯に味噌汁の残りをぶっかけたものを食べさせていた記憶がある。それがどうして現代の主婦のお昼は猫まんまというのか?
主婦は男どもが想像するより、毎日が忙しい。亭主が現役で働いている時期は、子供が発育盛りで家族に満足のいく食事を用意するだけでも大変である。お三度を毎日作ることだけでも忙しい。男はたまに気が向いたときに料理をすれば、好奇心が満たされ、充実感が得られるが(主婦には褒めてもらえないけれど)、主婦は毎日延々と続く作業である。だから亭主が働きに出かけ、子供たちが学校に行っている間の時間は出来るだけ有効に使おうとする。というわけで、ねこまんまは忙しい主婦が必然に行きつくランチのスタイルなのである。
たとえば、インスタントの焼きそば(袋からフライパンに出した乾麺に熱湯を注ぐだけの、実際は蒸しそばである)をお昼にしたとする。主婦はお皿に移し替えるなどの面倒はせず、フライパンから直接食べるのである。それだけ洗い物が少なくなるというわけだ。台所で立ったまま食べるというスタイルも、理に適っている。調味料やお茶がちょっと欲しいとき、ふりむき、一歩動き、手を延ばすだけで済むからである。いわば職住接近ならぬ、同一である。ねこまんまは労力と時間の消費において合理的である。
手元に「おとなのねこまんま あったかごはんを極うまに食べる136」というカラー刷りの本がある。著者がふるっていて、ねこまんま地位向上委員会編、とある。ねこまんまには貧相な食事というイメージがついているのだろう。この本は心斎橋の古本屋の店頭で偶然見つけたのだが、その日は買わずに帰った。家で家内に話をすると、意外や俄然興味を示して、今度大阪に出ることがあったら買ってくるようにと、おおせつかって手に入れたのは一週間後になった。
この本のレシピの要点は二つに絞り込んである。一つにはあったかご飯(できれば炊きたて)を用意すること(これだけで大ご馳走であるのだが)、二つ目はあったかご飯に載せるトッピングはおおむね3品までとすることである。その品々はかつぶし系から始まり、かんづめ系を経て、豆腐系まで14分野に系統だてられている。例を挙げてみよう。一番手は伝統に則るかつお節系、「かつお節ねこまんま」である。レシピは1.あったかご飯にカツオ節をたっぷりかける。2.しょうゆをかける。で完成である。ご丁寧にかつお節ねこまんまの心得が四か条に書かれている。
次は、香りと風味で粋に食え、と大上段に振りかざした「調味料と薬味だけ」系である。「うなぎがなけりゃ香りで食べろ」という激のついた一番手は「うなぎのかば焼きのたれねこまんま」である。レシピは1.あったかご飯にかば焼きのたれをかける。2.山椒を振りかける、で完成。なんだか落語に出てくる話を地で行くレシピだが、名前の付け方はちょっとフランス風でもある。
よくもまあ136種類ものバリエーションと口上を考えついたと感心するが、この本には続編がある。買ってはいないがやはり百数十種類のバリエーションがある。ねこまんまんまの地位が向上するものかどうかはさておき、トッピングの種類と組み合わせの豊富さをみれば、現在の食生活の豊かさが反映された指南書になっていることは間違いない。冷や飯も現代技術の恩恵で、チンすればあっという間に炊き立てとそん色なくなる。ねこまんま、刮目し感謝して食すべし、である。
Wikipediaによれば、ねこまんまには古い時代からそれなりの歴史があり、江戸時代には44種類の汁かけ飯が編纂されていたという。汁かけ飯は日常だけでなく儀式にも登場し、あるいは禁忌とされる場面もあったという。面白いことには、ご飯に汁をぶっかけるのはマナー違反であるが、汁にご飯を入れるのはよしとされていたことである。見た目の結果は同じであるのに、なぜだろう。先に、現代のねこまんまは時間と労力の節約を考えたスタイルだと書いたが、残り物の整理という意味では主婦にとって必須の作業なのである(特に冷蔵庫内の完全利用)。いつも残り物を亭主に出すわけにはいかない(たまにはあるけれど)。そうなのだ、主婦には、家族にちゃんとした食事を出さねばならない、出したいという強迫観念があり、他方、家族(特に主人)にはそれを当たり前とする期待感がある。この両者の緊張関係にあって、自由に一息つける隙間がねこまんまのスタイルなのだろう。汁かけ飯がねこまんまとして現代に引き継がれているのだが、せき立てられたように簡素な食事で済ますことから、どことなく自虐的イメージもある。ねこまんま地位向上委員会の本当の狙いは、主婦が知らずのうちに抱いている自虐的イメージを払拭したというところにあるようにも思える。「ねこまんま」には実に奥深い含蓄があるのだ。