研究ノート10:病の起源
2020年09月24日
恩師の鈴木先生から勧められて、NHKのテレビ番組「病の起源」を視聴した。番組では心臓病、糖尿病など古典的な疾患から、アトピー性皮膚炎、うつなど現代に著しくなってきた疾患も取り上げられている。この番組は私にとっていくつかの点で示唆に富むものであった。これまで医原性に関する要素として、医薬品(薬)から出発して、社会制度、医療のありよう、医療従事者などを考えていた。反面「疾病(病)」そのものはほとんど無意識のうちに所与のものとして考えていたことに気が付かされたからである。
「人類を襲った30の病魔」[1]という本では病気の来歴(あるいは起源)の年表が載っている。例えば第1章ペストのところでの年表の書き出しは、540年~8世紀半ば 第1期ペスト。おそらくアジアに起こり北アフリカに広がって北アフリカ、地中海、中東に達した。とある。この本で書かれた疾病の来歴をいくつか読んで、今日認識されている病気にはそれぞれの起源があったのかと、漠然とした思いを抱いていた。それがこの番組は人類の進化そのものの中に、人類として抱え込む病の原因があったことを今日の学説として紹介していた。これは新鮮な視点であった。
「病の起源」は全部で12番組(12の病)があり、これを全て視聴した印象は次のようなものである。
・人類は「進化」の代償として「やまい」のリスクを抱え込んだ。では人類にとって(あるいは生命にとって進化とは何か?知性を獲得することが進化なのか?進化とは個体生命、種の生命にとって何を意味するのか?
・人類は鳥のように飛ぶことは出来ず、ピューマのように早く駆けることは出来ず、猿のように木々を渡り歩く能力は持たない(失ったという方が適切なのか?)。人類の進化とは現在の動物がもつそれぞれの特異的能力を失っているが(持っていないが)、二本脚での直立歩行、手先の器用さ、そして考え・話す能力を得たのだ、と言えるのだろうか。
・人類は600万年前にチンパンジーの共通の祖先から分かれて進化を始めたという。チンパンジーはこれから先進化するということはなく、人類だけが進化を続けうるということを意味するのか?あるいは人類の種の生命としての進化の期間は既に終了しているのだろうか?(人類進化700万年の物語[2]では、私たち現生人類の他に26種類の人類(種)が過去に存在していた(部分的に私たち現生人類との共存もあった)という)。
・人類がアフリカでの樹上の生活から地上に降り立ち、直立歩行によって遠距離の移動が可能になったことは新しい環境への生物学的適応が必要になったことと結びついている。しかし新しい環境への生命体としての適応は恐ろしく長い期間を要する。種として遺伝子レベルでの変化を必要とするだろうからである。しかし個体生命としては遺伝子レベルでの変化を待つことはできない。遺伝子レベルでの変化を待つ代わりに人類は環境に介入し、個体生命に生じる不都合(やまい)を人体への介入によって解消することとなったのではないだろうか?
話は変わるが、日本で生じた薬害肝炎事件についての報告書の中に、委員の一人(患者代表)が「医学薬学の進歩が速すぎて、その弊害をコントロールすることに追いついていないのではないか」という趣旨の発言があった[3]と記憶している。この記述を読んだ時には「そうなのか!」とまで思うことはなかったが、妙に印象に残った記述であった。上記の記述を借りて、医学薬学の進歩を「医療環境の変化」と捉え、弊害をコントロールすることを「適応」とすれば、それなりの解釈が可能である。ここで思うことは適応手段を医学の進歩(成果物)に依存している部分が非常に多くあるということである。卑近な例では、抗生物質の服用は胃を荒らすことが多いので、胃腸薬が自動的に処方されるときは飲まなくてよいかもしれない胃腸薬まで飲まされる患者が多い。一般の風邪はウイルスによるので抗生物質は効果がないが、細菌による二次感染防止のために抗生物質が処方されるし、それが習慣となった患者は処方を医師に要求する、という事例である(このような処方は約束処方と言われる)。
この例は日本ではある時点から長い間医療界の悪しき習慣となったが、今でも改善が徹底されているとは言えない。抗生物質の濫用は薬剤耐性発現の主原因の一つになってしまった。成果物が成果物を毀損するという奇妙なループが想定されるが、そのループに関与する要素を考察する価値があるだろうと考える。環境の変化が時代と共にスピードアップしていることにについて、Ngramの開発者エレツ・エイデンらが著書[4]の中で、フォン・ノイマンのことばを引用している。
技術と進歩の生活様式の変化はますます速くなっていて…人類の歴史のおける重大な特異点のようなものが近づいているように見える。そこを超えてしまうと、我々人間の今の営みは持続不可能になるかもしれない。また同書の中で、時代と共に(社会の)集合学習に大きな違いが生じている。19世紀初期の発明が、(書籍の中での言及頻度が最大値の四分の一に達するまでに65年かかっているのに対し、世紀の変わり目(19世紀終わり)の発明ではわずか26年に過ぎない。こんなことになった理由はどこにあるのだろう、とも書かれている。社会の変化が加速度を増している理由も医原性の考察に加える必要があるだろう。イリッチの時代より今日の方が医療(医原性)の影響は図と広範囲に、かつ強力になっているだろうことは直感的に理解されるからである。
病の起源からまだ示唆を得るところがあるように思われる。生物(種)としての進化と社会の進化とを理解するために、ダーウインに尋ねてみようと思う。
[1] M.Dobson著、小林力訳。医学書院
[2] チップ・ウオルター(2013).The Seven-Million-Year Story of How and Why We survived.青土社(2014).
[3] これを書いている時点で該当箇所は確認できていない。記憶に頼っているので後日の確認が必要である。
[4] カルチャロミクス(2016).エレツ・エイデン、ジャン=バティースト・ミッシェル.草思社