研究ノート9:相対性
2020年07月19日
人類学Anthropologyは1970年代に米国で誕生した学問領域である。素人考えでは日本語の字面からして「人間学」Human Scienceであってもよいと思われるが、人類学のアプローチには明確な特徴というか学問上の姿勢があるという。それは研究の対象がなんであっても人間の多様な文化の一つでしかなく、相対的なものであると認識することである。人類学の関心が「医療」に向けば、医療人類学medical anthropologyとなり、リスクに向けば「リスクの人類学[1]」となる。
自分の関心事にのめり込むと、寝ても覚めてもそのことだけで頭がいっぱいとなり、他のことには目も関心も向かない状況が生まれる。これと同じことをビジネスでも幾度となく経験した。学生に戻ってみれば、学問や専門領域でも起きているのではないか、ということが長い間頭から離れられなかった。私の経験では「薬害」を考えるときに、医薬品の規制をどのように強化すれば防げるのか、という視点から離れることは困難を覚えると同時に大きなフラストレーションを抱え込んでいた。それは製薬業界では薬害の再発防止に、規制をどうすればよいか、という視点が主流であったからである。一方で私の中では規制強化だけで薬害が防げるのか、という疑念が大きくなってきた。次第に私の関心が人類学を含むその他の領域に関心が向いてきたのはある意味自然であった。
波平(なみひら)は例えとして、日本文化以外に世界には多様な文化があることを知っていても、日本文化は他より優れたもの、特殊なものとして絶対視する傾向があり、それは日本文化至上主義の別の表現だという[2]。これを現代医療に当てはめてみると、現代医療の本質の中に「医原性」が存在するという考えになっても不思議ではなく、イリッチは現代医療(ただし50年前)のもつ医原性について論じているといってよい。イリッチは現代医学を他の医療との相対化を十分には行っていない。それは医原性の問題提起について先駆者であったことから来るやむをえない限界だったのだろう。
波平は同書の中で続けて、現代医学は人間の身体の普遍性を強調する認識を基礎として発達した医療体系であるために、急速かつ広範に人類の間に普及してきたし、今後も普及しつづけることは確実である。そのためこの医療体系が本来的に持つ欠点が見えにくくなる傾向がある。つまり、現代医学のカウンターパート(対抗物)とあるような強大でより体系化された医療体系を人類がもはや持たなくなっているために、現代医学の属性を相対化することが次第に困難になってきたということである。(中略)マイナス評価が現代医学にあたえられても、他との比較対象が行われて初めて可能になる。現代医療体系の中にのみ研究対象を探すのではなく、他の文化の中にその対象を求めて、初めて応用学としての役割を果たすことができる、としている。
波平の上記の言明を私の関心事である「医原性」に当てはめるとどうなるのか、医原性を改めて論じるためには、何を以て波平のいうカウンターパートとして選ぶべきなのかという問題に行き当たる。拙著PQPでは人類学的アプローチほどの相対化はしなかったが、以下のようにいくつかのちょっとした工夫を試みた。
第1章では医薬品を、①生命と健康に貢献する財、②国家により管理される財、③公衆衛生としての財、④先進国、新興国としての財、⑤違法な流通財としての財、と視点をいくつか変えて論じた。ちなみに医薬品業界では①の論点から出発した論議に終始している。
第2章では不良品、偽造品の流通は医薬品に限ったことではなく、世界の模造品ビジネスの一事例に過ぎない、という視点で論じた。
第3章では、WHOによった健康の定義を絶対のもの(所与のもの)と位置づけず、その定義がもたらす問題点を論じた。
第4章では、品質というものを医薬品業界の常識であるGCPからいったん離れ、互換性の要求が標準化の概念を生み、それが世界に広まる過程で医薬品も世界に広まったこと、また医薬品の発達に寄与してことを論じた。
以上のアプローチは波平が言い切るほど明確に意識したものではなかったが、波平の文章を読んで改めて、サブテーマごとに多面的に見る試みをしてきたことに思い当たった。この視点は学際的(学環的)なアプローチと言い換えられるのかもしれない。波平が言うようにささやかながらも「他のものと比較対象」を行ったからである。それはささやかな相対化であるかもしれない。
ところで、ある人類学の研究者からイリッチの医原性の再解釈について、「医原性の研究の意図はイリッチの思想を相対化しようとするものなのか」という問いを受けてからどのようなアプローチで行うべきか、を考え続けてきた。波平の言うように現代医療はあまりにも強大に、体系化されてカウンターパートを見つけることが困難になってきたということに同感するからである。
医療という点であれば、伝統医療は世界各地にあり、日本においても現代医療の他に漢方も公認されている。インドではよく名が知られているアーユルベーダがあり、欧米やその他の世界各地に伝統医療がある。しかしそれらが現代医療のカウンターパートになりうるほどのものかは評価がむつかしい。WHOは世界各地の伝統医療の価値も認めているが、その理由を論考しなければならない。まして世界各地の伝統医療をつまみ食いして現代医療の対抗物とすることは適切なアプローチとは言えまい。
今の段階での一つのアイデアは、医療(介護を含める)を広く技術の中のひとつと読み替えること、現代医学薬学などとその応用技術の一つである医療適用を可能な限り分けて論じること、医療が介入であり介入の本質を吟味すること、病気についての認識の歴史的変遷、文化的多様性を問うこと、医療者と病人の意識を対比させること、イリッチの時代と比較してイリッチが指摘した状況(問題)が今日までにどのように変化したかを概観すること、医療技術もその他の技術に包含される一つであり、技術が人間と社会に及ぼした影響(及ぼそうとしているリスクも)を論じる中で、イリッチの問題提起を別の視点から解釈できるのではないだろうかと考える。この影響には公害や医療事故を含む。
以上のような視点を総合すれば、医原性とは医療に特化した問題ではなく、技術に内在する一つの性質が医療という領域で現れた負の形(可能性)、として相対化できることになるのではないだろうか。いずれにせよイリッチの著作を読み込み、読書ノートの完成と読み込みを急ぎたい。
後日談
先日アマゾンの古本市場で「家で病気を治した時代-昭和の家庭看護」病気を医者任せにしなかったあの頃(小泉和子.農協文庫)、を読み始めている。本書で「あの頃」とは太平洋戦争終結までの時代を指している。本書の初めに「病気も生も死も自分のこととして立ち向かっていた時代」とある。日本の戦後は病気も生も死も人生の全てを病院制度、医療従事者にゆだね切ってしまった状況とはまるで対照的である。同時代の比較は不可能であるが、日本人がこの100年ぐらいの間に「生と死」の主人公から他人任せになった二つの状況を比較することは、一種の相対化の方法論と言えるのだろうか。
[1] 東賢太郎ほか(2014).リスクの人類学.世界思想社.
[2] 波平恵美子(1994).医療人類学入門. 朝日選書491. 朝日新聞社.