研究ノート11:限定合理性
2020年10月16日
中山晶一朗[1]によれば、Simon. H.A. は限定合理性bounded rationalityを考える上で最も重要な人物であり、彼の基本的な考えは彼の著作である「経営行動」に記されているという。限定合理性は人間の合理性が限定されていることを意味している。サイモンは主に経営行動の領域に関心があったとされるが、経営・組織、経済、認知科学などにも研究対象が変遷したとされる。ここでは医薬品について限定合理性の考えを適用してみたい。
医薬品には効能効果(適応症)、用法用量、使用上の注意が最も重要な情報であり、添付文書に必ず記載されている(処方箋医薬品ではその簡易記載がお薬手帳などに貼られるが、原文記載の添付文書は患者に交付されることはない)。私たちはこの三大情報を遵守した処方を信頼し、医師の指示に従って医薬品を使用するのである。このことを適正使用という。英語ではproper useが対応し、世界保健機関WHOも使用している。適正使用を守らなければ健康被害など不都合な事象が発生する可能性がある。しかし適正使用だけでは医薬品の弊害をコントロールするには十分ではない。
クロラムフェニコール(通称クロマイ)は万能の抗生物質として米国で誕生した(1949年)。発売後1年ほどで薬剤性の再生不良性貧血[2]の発現が報じられた。クロマイの売り上げと米国における再生不良貧血による死亡率の割合の間に統計的優位の相関関係が認められた。発売元のパーク・デービス社の広告は「クロロマイセチンは、大人にもこどもにも関わりなく、安全であるということができます」。この健康被害はまぎれもない薬害事件であった。カリフォルニア州の上院委員会で証言した医師は、「特に子供の場合は、これほど苦しそうな死に方を他には知らない」と述べた[3]。
クロラムフェニコールは1953年に日本にも登場した。化膿の危険がある疾患、傷害について非常に多用された。ペニシリン、ストレプトマイシンよりも広い抗菌スペクトラムを有していたからである。ある小児の患者は複数の疾患のために専門領域の異なるいくつかの病院を受診し、その都度クロマイを処方された結果、重篤な血液障害(再生不良性貧血)を発生し死亡した[4]。この血液障害による健康被害は薬害と言われ、その両親は裁判を起こした。結果はどうであったか。
判決は、クロマイが血液障害を発生させる危険性を認めたが、その小児の健康被害が処方されたクロマイによるものであるかどうかの因果関係は認められない(証明できない)として最終的に和解[5]になったのである。
もう一つの典型的な事例は抗生物質・抗菌剤に対する世界的な薬剤耐性の発現である。薬剤耐性はどの医薬品でも起こりうるが、特に抗生物質に対する最近の薬剤耐性獲得は世界の問題である[6]。薬剤耐性が社会に蔓延する最大の理由は、濫用であり、次いで不十分な服用である[7]。WHOは抗生物質が個々の処方のケースを超えて、社会的(世界的に)正しく控えめに使用されるべきと言うことで合理的使用rational useという概念を打ち出している。(日本ではこの言葉は普及していない。おそらく知らない医師も多いであろう)。さらに近年にWHOはOne health[8]という概念に基づいて、抗生物質の使用はヒトだけでなく飼育動物、養殖などの魚への使用も抑制するべきという考えを示している。世界の抗生物質の使用対象は半分がヒト、半分は動物なのである。
クロマイの事例では、個々の病院での処方は添付文書に従う限り、合法的で医学的にも正しいとされたであろう[9]。しかし複数の疾患のために同じクロマイの重複投与が生じたことは誰も責任を問われることがないのである。ここには処方箋を出すことができる医師の権利をチェックするメカニズムがなく、さらに言えば、クロマイという(現在では)適応が特別に限定された抗生物質を安易に処方する医師の見識が質されることもない。このケースは医師の処方の権利、医薬品の添付文書の二つを根拠としたproper useという限定合理性を法的に認めざるを得なかった。すなわち裁判の判断も法体系の枠組みにおける厳密な整合性を優先せざるを得なかったがゆえに、患者救済のための和解を勧告したと考えられるのである[10]。
抗生物質の薬剤耐性に見られるWHOの合理的使用の考え方は、適正使用よりさらに一歩進めた考え方である。そしてヒトだけでなく動物への使用も考慮した考え方はさらに一歩進んでいる。しかしいずれの考え方も「薬剤を如何に使用するか」という前提である。サイモンは人間の合理性は限定されているものの、その限界に対処(緩和)しようとし、特に複数・多数の集団である組織における人間の組織行動(限界の緩和)を考察している。それらはa.習慣と選択的注意、b.学習とコミュニケーション、c.組織化、などである。医療現場における一つの事例は、チーム医療という概念と方式の導入である。医師、看護師、薬剤師、臨床検査技師などが各個に対応していたところを、チームとして情報を共有しながら進めていくやり方である。これは医師がすべてを取り仕切ることの弊害の最小化を意図したものである。
他方、医薬品による健康被害を最小化するためには「薬剤は原則使用しない。使用するとすればそれはどのような時か?」という考えではないのである(さらに広げて言えば医療的介入を最小にする、という視点も未成熟である)。この考え方はあまりにラジカルであると思われるが、終末期の治療には形を変えて浸透し始めているのではないだろうか?
日本の健康保険でカバーする費用を分析すると、死亡する直前一週間の費用が最も高い(すなわち超濃厚治療をしている)という。家族として最後まで最大の(最善ではない)医療努力を続けることが人道であり、義務であるという思想が当然とされる社会である(日本においては)。
個人的な話で恐縮であるが、父親(今年2020年に98歳となる)が二度目の脳梗塞で入院したとき(2018年6月)、医師と医療方針について確認した。医師から、「いざというときの心臓マッサージなどはしますか、しませんか?」と問われた。医療側においても、患者の年齢や回復のむつかしさを考慮して、医療へのあくなき依存追求を(可能であれば)抑制するべきスタンスになりつつあるのかなと考えたことを覚えている。それにしても医療、延命の関連はむつかしい問題である。私の両親は延命治療を望まず、尊厳死協会に入っていたのでその意思は十分に納得しているつもりであった。しかし、父親の体調が急変して入居施設の職員のお世話で緊急受診し、そのまま広島での入院となったことから、奈良の自宅に引き取り最後まで看取るということは極めて現実的でなくなった。
静脈栄養、胃ろうによる経管栄養などは行わないこととし、介助でも介護食が自力で嚥下できる範囲に限定し、それ以外の積極的治療行為は辞退した。しかし二度目の入院期間が2年以上になる今、それさえも本人の望まない延命治療そのものではないかと思うことがある。すべての決め事は限定合理性から逃れられない。決め事の限定合理性を最小化するには「見識」が必要であるが、ますます決め事で社会が動く時代には望めることではないのかもしれない。なにより複雑な社会は、それだけ各種の限定合理性の衝突も多くならざるを得ない。
クロマイ裁判について:追補
クロマイ裁判の原告の一人井上和枝は次のように記している(出典:ママ、千華を助けて)
和解交渉の一回目、担当判事から次のように話をされた。この薬が厚生省の規制後に、再生不良貧血の死者が激減したことについての相手方の言い分はあまり正当ではない、という意味のことを言われた後、「しかし、原告勝訴の判決にするには、法律的には難しい。だが原告敗訴と言うことになればこの薬が濫用される恐れがある。それはどうしても避けなければならない。和解金は計算基準にいろいろ配慮して、判決なら四千万になるところ、和解と言うことで半分の二千万になる。この金額は、専門家が見れば、原告が負けたという額ではない。井上さんの裁判遂行上の立場を十分考慮している」
(中略)
法律的勝訴が難しい、ということは立証が今一つ厳密に“科学的に”出来ないということで、今の法律では難しいのは私にも理解できる。「敗訴」判決で、クロマイ乱用が復活し、再び死者が増えたら、それで証明する方法もあるとさえ思った…
[1] 中山晶一朗. サイモンの限定合理性とプロセス記述:土木計画へのインプリケーション.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejipm/68/5/68_I_523/_pdf
[2] 再生不良性貧血は骨髄の造血機能にダメージを受けるため、重症化すれば「貧血」というイメージよりはるかに深刻な病態であり、致死的でありうる。日本では難病に指定されている。
[3] モートン・ミンツ(1968).治療の悪夢(上).東京大学出版会
[4] 井上和江(1992). ママ、千華を助けて. 早稲田出版.
[5] 薬害事件の多くは製薬企業と和解で決着している。被害者は「再発防止のため」裁判での決着を望むが、資金力、情報、人的資源の圧倒的格差により和解に追い込まれるのが本当である。
[6] WHO news: Record number of countries contribute data revealing disturbing rates of antimicrobial resistance.
https://www.who.int/news-room/detail/01-06-2020-record-number-of-countries-contribute-data-revealing-disturbing-rates-of-antimicrobial-resistance
[7] 抗生物質は効いたとしても3日間は服用するということが常識である。症状が治まっても細菌が体内で抑制されているに過ぎない状態である可能性があるからである。実際には症状が治まると3日間の服薬を完結せずに自己判断で中止する事例が多いとされる。
[8] http://amr.ncgm.go.jp/medics/2-6.html
[9] 著者の修士課程におけるインドネシアにおける研究では、現地の薬剤師が抗生物質の使い方、処方の仕方に薬剤耐性発現の観点から非常に気を遣っていることが伺われた(安易に強力な抗生物質は与えない、症状が消えても3日間はきちんと服用するなど)。その意味で彼女/彼らは日本よりはるかに抗生物質の使い方に慎重であった。
[10] 広島原爆時の黒い雨による健康被害をどの範囲まで認めるか、と言いうことが近年争点となった。被爆後の調査で確定(設定)した黒雨の範囲から外れていたという理由で、原爆によるであろう健康被害の訴えは認められていない。黒い雨の範囲の設定が、被害者を排除することになるのは、決め事の限界を示すものである。