研究ノート12:現代医療の中の全体主義の地下水脈

2021年4月11日

 

 

プロローグ:医療の中の全体主義

全体主義(totalitarianism)という言葉は、日常生活にほとんど無縁のものであり、深く考えをめぐらす機会がないものかもしれない。その一方でこの言葉を知る人は、もっぱら政治に関わる、しかも好ましくない意味で使うものと思うのではないだろうか。例えばそれはナチズムに代表される言葉であって、過去の歴史の一断面を解釈するものと思われるものかもしれない。広辞苑第七版は全体主義について、「個人に対する全体(国家・民族)の絶対優位のもとに諸集団を一元的に組み換え、諸個人を全体の目的に総動員する思想及び体制」と説明する。ウイキイペディアでは、「政治学では権威主義体制の極端な形とされる。通常は単なる独裁専制とは異なり、「全体の利益を個人の利益より優先する」だけではなく、個人の私生活なども積極的または強制的に全体に従属させる。全体主義の対義語個人主義、権威主義の対義語は民主主義である」、と説明されている。

この小論は、医療による健康被害が医原性によることを出発点として、社会全体が一つに収斂していく傾向と、それが生み出すものについて論じようとするものである。現代医療の中に、もっぱら政治学で使われる意味そのものではないが、全体主義と言い直せる様相があり、それが今日の医療を特徴づけているのではないかと、この十年来考えてきた。そのように考えるきっかけの一つは私が製薬業界に身を置いたときの経験であり、二つ目にはその経験を掘り下げてみようと思わせたイヴァン・イリッチが著した脱病院化社会である。さらにこの小論では全体主義という水脈が、今なお世界至る所の地下に水脈として潜んでいるのではないかということについて、現代医療の様相を通して考察してみようと思う。

しかし、「~主義」という用語を不用意に使用することは危険である。辞書が示す意味でさえ多義的、重層的であり、個人的な理解も、選択される意味もそれぞれであるからである。特に歴史や政治の世界で使われる抽象性や概念性の高い用語はそうだと思う。ここで私は全体主義という用語を、それを提唱する誰かのイズムとしてではなく、ある社会事象なり活動がその構成要素全てを一つの方向へ、それも同質なものとして化していく傾向を指すものとして用いる。また、現代医療と断るのは、世界各地の民族の文化に根差した伝統医療とは異なり、科学技術文明が生物学の普遍的知見に立脚して発展させてきた医療、すなわちBiomedicineを論じるからである。

 

現代医療の普遍性と光と影

現代医療が、社会や世界を一つの原理で覆う性格を持つもの、ということから話を始める。現代医療はその根底に科学的知見という普遍性を持つことで、おのずから全体の包含を志向する性向を帯びている。科学は現代で最も普遍性を持つ思考方法であると受け入れられているからである。

科学的普遍性を持つ医療の普遍性の一例について見市雅俊は次のように述べる。「近代世界の等質化の過程は西欧の歴史的に見て「特殊」だったはずの文化が「普遍的」なものとして、強制的に非西洋世界に押し付けられる過程でもあった。植民地政策を支えるものが近代西洋医学=帝国医療であり、その中核をなすものはコッホ、パスツール、野口英世らの業績による細菌学説であった。病原菌が跋扈する熱帯地方の後進国。その開発に必要な「健全な」労働力の確保。細菌学説はその要請に応える知の体系でもあった」、としている(疾病・開発・帝国医療)。すなわち植民地国家にとって近代医療の役割は文明の侵略的性格を強化するものであると洞察とされている。近代医療の感染症に対する勝利は圧倒的な光であり、力であった。この時期より近代医療は個人の営為である健康のための養生を圧倒し、今日現代医療として世界の隅々に浸透しつつある。

現代医療が引き起こす影の一つは健康被害である。イヴァン・イリッチは臨床の場面で生じる健康被害を狭義の医原病と呼び、医療への過剰な依存によって人々の自律性が奪われる状況を、社会や文化レベルに広がる広義の流行病とみなした。狭義の医原病とは分かりにくい表現であるが、例えば薬剤が原因となって引き起こされる副作用の類と言えばおよその見当がつくであろう。とは言え副作用とか健康被害という言葉で括ることができるほど、臨床レベルの医原病の実情は生易しくはない。個々人に発現する健康被害は容易に目でわかるものから、そうとは医師でさえ発見、診断がつきにくいものまである。皮膚症状は見た目で分かる。発赤などで比較的容易に治る軽度の健康被害は、よくあること、で済まされる。しかし同じ皮膚症状でも全身やけどと同じようなむごい状態となり、手を尽くしても死亡に至る危険性と隣り合わせのものまである。このように薬物による副作用は症状の程度の幅が広いだけでなく、その種類も発現頻度も多種多様である。サリドマイドによる奇形もあれば、血圧降下剤による自殺念慮など目に見えないものもある。さらには服用した母体には影響せず、生まれた女児が成人したころに特殊ながんが発生する薬剤もあった。医薬品による健康被害は世代をまたぐことさえあるのである。このように健康被害を生じさせる性質を医原性と呼び、健康が害された状態を狭義の医原病とする。

医原病が最悪、最強度に発現した場合には、患者にとってみれば副作用とか健康被害では言い表すことはできない。それらは人為的に作られた化学物質によって、人工的に作り出された悲惨な心身の状況、状態である。これらを単に治癒困難な難病あるいは不運な事故という言葉で実態を伝えようとすることは全く妥当ではない。後述する薬害スモン事件の健康被害は厚生省労働省の特定疾患治療対象疾患にリストされているが、パーキンソン病など人工的に作られたのではない疾患と同居している。リストに同居させることで、薬害による健康被害は人為的、人工的なもの、という告発が隠されてしまうのである

ここで薬害という言葉を持ち出したが、薬害という定義は定まっていない。およその意味合いは、臨床における健康被害が広く社会に蔓延した状況を指し、それが社会的な問題として認知される状況である。特に被害者がその責任を訴訟で争う事例がほとんどであり、このような場合にことさら事件性を帯びると理解される。

薬害事件は薬害を引き起こした薬剤の名称が付けられることが多いが、スモン事件の場合は異なる。スモンの原因となった薬剤はキノホルムであるが、ほとんどの場合、スモン事件と呼ばれる。被害者が視力を失い、下半身から上半身に上行する激烈なしびれなどの症状と、人間の尊厳にかかわる機能障害を伴う状況に関連した神経の頭文字からつけられたものである。すなわち亜急性脊髄視神経症SMON=Subacute Myero-Optico=Neuropathyである。この解剖学的であり、要素分解的な命名法は、病態の本態も治療法も不明な健康被害が、いかに人為的に引き起こされたかを端的に示している。付け加えれば亜急性とは、患者が長期に服用し続けた、言い換えれば医師が無自覚なまま長期に処方し続けるに伴い、徐々に健康被害が深刻なまでに進展したことを意味している。

公害による健康被害も同じく人為による人工的に作りだされた悲惨な状況、状態であることが薬害被害と共通する。イタイイタイ病や水俣病被害者が苦しむ映像は文章表現で代替しがたいところがある。

 

医療の影のさらに奥の闇

薬は古来より治療として有力な介入手段であった。薬師如来は心、体、社会を癒す霊薬の入った薬壺を持つとされる。医薬品を例に話を進めれば、こうした健康被害(この小論ではとりあえず健康被害とする)が個別の臨床のケースにとどまらず、社会に広がった場合に薬害事件としてメディアに取り上げられる。社会に広がるということは多数の被害者が出るということに他ならないが、何人以上という数字として定義されているわけではない。しかし、薬害となる現象には同じ成分を含む薬剤が広範囲に、多数の患者に繰り返し使用されたことを意味している。それにも関わらず健康被害が常に最初から明確な形をとって現れ、容易に認識されるとは限らない。ここに社会的な医原病の事象を特定し、認識することのむつかしさがある。多くの事例、事件では被害の実態が進行して初めて認識される。後の時代に、あのときはこの場合は、ああすべきこうすべきであったと、かぶりを振る諸説が出るが人の認知はそれほど危うい。「べき論」は無数にあるが、ほとんどは後知恵である。

薬害の原因や責任の所在を究明することはさらに時間を要し、往々にして紛糾する。今となっては古典的薬害事件とでもいうべきスモン事件の被害患者は、キノホルムが原因薬剤であると確定するまで、奇病と言われ、対処法のない伝染病と信じられたために病院からも遠ざけられ、世間の差別に晒され続けてきた。もともとの病を治すために使った薬で、さらに悲惨な身体状況に陥った挙句に想像を絶する差別を家族もろとも受けたのである。患者にとってそれは受け入れ難い不条理の一言に尽きよう。スモン関連での自殺者が全国で500人にのぼったとされることは、いかに身体的苦痛と社会的差別が強烈であったかを示している。医原病は社会に差別を広めることによって、被害者家族を含めた二次、三次の被害を生んできた。

サリドマイド事件では奇形児出産の原因がサリドマイドであることを認めようとしない会社側に対して、自ら意図的に再度妊娠した上でサリドマイドを服用し、因果を証明しようとした悲劇の夫婦があった。妊娠途中でその証明のために人工中絶を受けたが、悲惨にも胎児は健常に発達していたのである。サリドマイドが奇形を誘発するのは妊娠初期のごく限られた期間だけであることが分かったのは後のことである。事象がmassとして語られるとき、個の実態を語るエピソードは闇の中に隠される。薬害は医療の影のさらにその奥に潜む闇であるとしか言いようがない。

近年ではヒトパピローマウイルスによる子宮頸がんを予防するワクチンの事例がある。接種した主に成人前の女子の間に強い倦怠感を始めとする種々の症候が発現し、社会問題となった。専門家の多くはワクチンが原因であるという見方に否定的である。世界保健機関や日本の専門家は子宮頸がんの有効性、安全性について他国の実績、経験を引き合いに出し、定期接種とした子宮頸がんワクチンの接種を推進するべきだと主張している。この状況について厚生労働省は調査研究を行い、結果まで発表したが社会の納得は得られておらず、子宮頸がんワクチンの接種推進は今なお氷漬けになったままである。専門家の調査では、患者一人一人に現れた様々の症状を項目別に分解した手法がとられたが、被害者の映像を見れば、症状を分解・分析する手法では患者の苦しみには接近し得ないことが実感される。要素還元論的アプローチの明らかな限界である。

古代から認識されていた医原性

話を医療の医原性に移す。

この種の健康被害は医療自体が持つ医原性によるものと理解されている。ここで医療とは検査、診断、投薬、手術、放射線治療、看護など、今日では分化した領域のすべてを含んでいる。これまで医原性は医薬品による副作用との結びつきで語られることが多かった。それは薬害事件や副作用の報道に人々の耳目があつまってきたからであって、医薬品に限ったことではない。薬害被害者の一人は「薬害は薬のせいだと思っていませんか?」と問いかけた。医療手段、医療提供者の行為すべてが程度の差こそあっても医原性を持つという問いかけである。言い換えれば医療に伴う健康被害は、医療技術そのもの、そして医療技術を行使する者の双方に起因するものであり、医療提供者の意図の有無、如何、過誤、あるいは偶然によるものかを問わない。医療におけるエラーを原因とする健康被害も医原病の一形態と考えるべきであろう。なにかを定義することは分かりやすくするためでもあるが、認知不十分な領域を切り捨てることにもつながる。

毒にも薬にもならない、という表現がある。薬とは人体の機能に及ぼす物質の作用のうち、毒性を最小限に、治療効果が最大になるよう人間が設計し、あるいは意図的に選び抜いたものである。これは細菌の働きの何を腐敗と呼び、何を発酵と呼ぶか、と同様である。人間にとって有用と考えるものを薬に分類し、そうでないものを毒と定義するのである。薬か毒か、という二つの対立は本質の違いによるものではなく、人為的なものに過ぎない。薬になるものはつい最近まで経験によって自然から選び出されていたものが、今日では候補化合物の分子設計が可能なまでになっている。医薬品の医原性はもとより薬物固有のものである、というより、本来人間の選択と行為によるものである。

 

医原性が人間の選択と行為に根差しているものとすれば、その概念は古くから存在していた。医原性は英語で「iatrogenesis」であるが、この言葉自体がギリシャ語由来である。「iatoro」は医師を意味し、「 genesis」は起源を意味するという。すなわち患者に害を生じることは医療者の意思と技術的行為の中にある。医学者であった川喜多愛郎は、医療は一般の他の技術とは異なり、ヒトを対象としたユニークな技術である、と述べている。医師を志す者にとって聖典ともいうべきヒポクラテス(古代ギリシャの医師 紀元前460~360年ごろ)の誓いは次のように述べる。

・自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。

・依頼されても人を殺すを与えない。

・同様に婦人を流産させる道具を与えない。

ここでは医原性という言葉は使われていないが、医療もしくは治療が使い方によって患者の害になることと、「私という治療者」が害をなす主体になりうることが明確に示されている。

医療による健康被害は時折メディアに取り上げられ人々の注意を引くが、時がたてばすぐに忘れ去られてきた。圧倒的な光は闇をないものとしてしまうためである。日本に限らず、薬害による被害者や後遺症に苦しむ人々の総数は正確に把握されていないし、医療事故についても全体の正確な実態は把握されていない。その意味では行政のありかた、医療制度あるいは医療システムというインフラストラクチャと、そこに従事する専門家も医原性を強化しうる要素として考えるべきである。古代から現代に向かって医原性はますます強化されている。イリッチは医原病が強大になり、広く社会に拡散する状況の中に、人々が失ったものが何であるかを指摘しているのである。

 

薬害が発生する一つの構造的要因

薬害事件は医原病の典型的な事例であるが、いくつもの事例の様相をつぶさに観察するとある特異な状況が見えてくる。大きな薬害事件は先の大戦後に発生した。ペニシリンショック事件、ジフテリア予防接種禍事件、サリドマイド事件、アンプル入り風邪薬事件、スモン事件、クロロキン事件、筋短縮症事件、エイズ事件、MMRワクチン事件、ゲフィチニブ事件などが挙げられるがこれらがすべてではない。言及した薬害事件に限っても被害者の正確な総数は不明であるが、スモン事件だけでも公式記録は一万人を超える。実際はその数倍とも言われる。

私自身がゲフィチニブ(商品名イレッサ)事件の責任の一端を担うべき立場にあった者として回顧すれば、事件を取り巻く典型的パタンは次のようなものであった。効果的な治療手段がない、あるいは万策尽きようとする病状に、有望とされる新薬が出るとき、医師、医療専門家そしてメディアはこぞって期待を高め、患者は発売のずっと前から今か今かと待ち望み(イレッサ薬害被害者の会ホームページから要約)、行政的配慮が発売を後押しした。開発・発売する製薬企業の、「有用」と目される薬を一刻も早く患者の許に届けるという努力が、社会の期待感を強化していることは言うまでもなかった。そこでは患者を含むすべての利害関係者がこぞって、熱狂、少なくとも過剰な期待感に包まれていたのである。

このようにすべての利害関係者が熱狂的になることができるのは、一つには日本の医療制度のお陰である。日本の医療制度は全国民が公平に、安価に利用しやすく、医療の質も世界水準と比較して引けを取らないレベルにある。国民すべてをカバーする皆保険制度は日本の優れた制度の一つである。医師は患者の懐具合を心配することなく、高価な新薬を勧めることができる。この恵まれた制度ゆえに患者も医師も誰もが革新的な医療を熱狂的に待ち望むことができる。現在の国民皆保険制度は戦後の社会保障制度改革によって誕生した。そこには医療をすべての国民に経済負担を最小限にして提供するという理念があった。それは望ましくあるべき姿としての全体主義であったと言えよう。日本の国民皆保険が公衆衛生を医療面から支える制度として機能してきたことは世界で評価されている。その一方で薬害事件に見るように、時に人々を熱狂状態にするという素地も持っているのである。

 

公衆衛生という全体主義

話を薬害事件から公衆衛生に移す。公衆衛生に全体主義はどのような関りがあるのだろうか?公衆衛生の概念誕生について「公衆衛生」(多々羅、滝沢)から以下に要約、引用する。

公衆衛生の概念の確立に貢献した一人にペーター・フランクがいる。彼はモーツアルトと同時代に生きた18世紀オーストリアの医学者であった。彼を評して、川喜多愛郎はその著作「近代医学の史的基盤」の中で「彼(著者注フランク)は医者たちが、病気を終始個々の患者のレベルでとらえ、大衆がいわば巻き込まれる種類の病気にほとんど無関心であることを指摘し、大衆の健康が国の行政によって護らなければならない、と考えた」と評している。

フランクのあとに登場したイギリスのエドウィン・チャドウイック(1800~1890)は、貧富の差によって疾病から逃れることはできないという考え方から、人全体を対象とする「Public」という概念を明らかにした。次いで全数への対応において画一主義を採用した。すなわち危機管理の中でどこか手抜かりの地区が一か所でもあると、残りの全ての地区の努力が水泡に帰してしまうからである。

この公衆衛生対策における望ましい画一主義は、国家の介入対象を国民全体とし、順守を強制するという点において、全体主義の一形態と言い換えることができよう。今日グローバルな規模で現代医療を推進している国際機関は世界保健機関WHOである。WHOは第二次大戦直後の1946年に国際連合ファミリーの一機関として誕生した。今日WHOには世界194カ国と地域が加盟しており、事実上世界の全てをカバーしている。WHOの憲章はその使命を、最も高いレベルの健康を達成することであると規定し、その目的達成に努力している。保健活動やサービスを公衆衛生の観点から推進するために医療を主要な柱の一つとし、医薬品をその実現手段として捉えている。

天然痘が世界規模の種痘接種によって根絶したことは第二次大戦直後に設立されたWHOの最も輝かしい事績であり、現代医学・医療の勝利とされている。それゆえに世界の疾病構造を変え、疾病負担を軽減するためのワクチン接種活動はWHOの最も重要な使命であり続けている。今日、WHOは感染症、非伝染性疾患(いわゆる生活習慣病)だけでなく、公衆衛生に関わるあらゆる不都合から健康を守るために現代医学、科学技術を総動員している。WHOはかっての植民地政策に代わり、万人の健康と促進という観点から地球規模で現代医療の全体主義を浸透させている機関と言い直すことができよう。

2020年に突如としてアジアの一角に出現した新型コロナウイルスは、数か月のうちに世界を席巻するという第一幕を演じた。翌年に入ってこの疫病劇場は、ワクチンの世界的な奪い合いという、第二幕に入っている。WHOはワクチンの公平な世界的供給の枠組みCOVAXを作ったが、高所得国はいずこも自国優先である。それは各国の国民からすれば非難に値しない当然というしかないのであるが、最貧国にとっては望ましい、世界の公平さを願う全体主義が、容易にご都合主義に変質させられることを思い知ることとなる。「誰一人取り残さないNo one will be left behind」というフレーズは、国連が主導する持続可能な目標SDGs(Sustainable Development Goals)の理念をあらわすものであるが、これまでのところ国連がCOVID-19ワクチンの公平な供給に主導を果たしてきたとは言い難い。

 

全体を支配する流行

医療には流行がある。流行は一時的な現象であると思わせるが、少なくとも薬物療法には流行現象が繰り返し見られる。もちろん薬物療法全体が一つの流行に染まるということではなく、ある治療領域の疾患ごとの現象である。それでも既存の薬剤を超える有望・有力な新薬は瞬く間に一国を越えて世界に広く使われていくことがある。年間千億円以上の売り上げる薬剤はブロックバスターといわれ、大型爆弾の破壊力に喩えられる市場インパクトを持ち、企業に莫大な利益をもたらす。私が籍を置いた欧州のある製薬企業は胃酸分泌を抑制する革新的なメカニズムを持った薬剤を開発し、その一剤でもって世界で年間六千億円以上を売り上げ、胃潰瘍や十二指腸潰瘍は薬で治る時代を到来させた。世界の大手の製薬企業にとって、ブロックバスターを自社の商品ラインアップに加えることが製薬ビジネスの目標となったのである。言い換えれば、医療における流行は、製薬企業のマーケティングが可能な限りの市場席巻を目指すことで作り出されるものとなっている。その背後には、知的財産権による独占期間には終わりがあり、企業はその中で価値の最大化を目指さなければならない、というビジネスの構造がある。疾病構造の変化、治療領域の拡大の可能性、治療選択肢の拡大など需要喚起は全て創薬ビジネスの健全な動機である。

グローバルな市場で生き抜く研究開発型の製薬企業は、優れた医薬品を社会に提供とすることを公衆衛生の使命としている。その高揚した使命感は、世界の主要な医薬品研究開発企業を代表する国際製薬団体連合会IFPMAの加盟企業および団体の、「世界規模の公衆衛生へ寄与するために研究開発指向型製薬産業が優先すべき事柄と行動」と題した次のメッセージに現れている。

途上国が直面しているHIV/AIDSやすべての深刻な公衆衛生上の難問に対処するには、すべての関係者による協調した取り組みが必要である。研究開発指向型製薬産業は主要な関係者として世界規模の公衆衛生に対して独自の重要な貢献をしている。その主な役割とは、イノベーションであり、ワクチンやバイオテクノロジー製品を含む革新的な新医薬品の研究および開発である。(中略)製薬産業における最近のイノベーション、たとえばHIV/エイズに対する20種類以上の抗レトロウイルス薬ならびにロタウイルス、肺炎球菌、およびヒトパピローマウイルスなどに対する新しいワクチンの開発は、革新的な医薬品の卓越した開発者という製薬産業の役割を表している。(製薬協ホームページより)

 

その一方で、エイズが世界の公衆衛生の大問題となったとき、エイズの患者団体が「私たちは知的財産権の泥棒ではない」と言明して、抗エイズ薬を自国で生産できるようにWHO本部で交渉し要望した。これに対して知的財産権侵害を理由として首を横に振ったのはIFPMAであった。世界の製薬業界は公衆衛生という全体理念の用語を自己の都合に合わせて使い分けしているともいえよう。自省がないままに信念となった主張は、既にイデオロギーに化したと言えるかもしれない。今回、コロナワクチンの供給が始まると、WHOは知的財産権保護の一時停止を世界に呼びかけたが(2021年3月6日)、残念ながらその報道は日本でほとんど関心を引かなかったようだ。WHOの呼びかけに対してワクチン開発企業がどのように反応したのかも未だ報道されていないと思われる。

 

全体主義を指摘した思想

現代医療が社会全体を一つに包み込もうとする傾向と、それがもたらすものについて示唆する社会的、政治的思想を求めてみよう。

冒頭で紹介したイヴァン・イリッチ(1926~1992)はオーストリアの哲学・社会学者であった。彼は脱病院化社会を著して、現代医療が臨床レベル、社会レベルそして文化レベルの三階層に拡散、流行する、狭義から広義までの医原病を指摘した。そして一般の人々が過度に医療に依存する結果、自分自身の健康について自律的に考え、営為することを失ったことを抉り出した(1975)。彼は全体主義という言葉こそ使っていないが、医原病が社会と文化の隅々まで浸透する、という意味で医療が持つ全体主義的な影響力を論じたのである。

ホセ・オルテガ・イ・ガセット(1883~1955)はスペインの生んだ哲学者である。彼は著書「大衆の反逆」の中で、社会のいたるところに充満しつつある大衆を論じた(1929)。オルテガは「大衆」という言葉を二つの意味で使っている。一つは社会の構成員としての多数派であり、もう一つは近代化に伴い新たにエリート層として台頭し始めた専門家層、とくに科学者に対し、「近代の原始人、近代の野蛮人」と激しい批判を加えたのである。

オルテガの主張は、大衆の熱狂である。彼のいう大衆は自分を持たない人々のことであり、職業や階級における下位にいる人々を包含したものではないとしている。むしろ専門家こそ大衆の原型であると指摘した。彼が大衆の原型と定義づけする基準は、知識や専門性ではなく、自分の居場所トポスを持ち、自分の社会における役割を認識していて、その役割を果たすために何をすべきかを考えることできるか否か、ということであった。言い換えれば自分を持たない人々が社会の大部分を占め、加えてそれらの人々が一つの方向に熱狂をもって動くことを危険と見なしたのである。オルテガのいう大衆の熱狂と、知識や専門性をふりかざす科学者、専門家の言動は、薬害事件に限らず医療が関係する状況に繰り返し見られている。

ハンナ・アーレント(1906~1975)はドイツの政治学者である。ユダヤ系であった彼女は、当時台頭してきたナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命した。彼女はナチスによるホロコーストに衝撃を受け、「全体主義の起源」を著した(1972-1974)。彼女は全体主義が国民国家の中から発生したこと、それを動かし、支えたものは大衆の熱狂と願望であるとした。市民社会と異なり、国民国家が政治的に無関心な個人から成立することの危険性を洞察したのであろう。コロナパンデミックは政治家、専門家集団、メディアそして私たち国民のありようを炙り出している。

イリッチ、オルテガ、アーレントの三人に共通することは、社会の中に熱気というものが充満していくこと、その充満は大衆と呼ばれる人々が担うことで全体を包み込む土壌を生むこと、恐らく最大の問題は大衆が自己を持とうとしない存在であると認識していることである。自己を持ちえない大衆が社会の中核を担うとき、事態は時に暴走するということであろう。三人のうち最も早い誕生はオルテガの1883年であり、最も遅い死亡はイリッチの2002年である。この一世紀余の期間に人類は史上かってない激動期、拡大期に入った。1760年代にイギリスで始まった産業革命は、次第に各国に拡大すると同時に社会構造が変革し続け、さらに二度にわたる大戦を世界は経験した。近代から現代にいたる全面戦争は、国民国家の総動員体制を必要とした。

フランスの人類学者であったロジェ・カイヨワ(1913~1978)はその著書戦争論の中で、民主主義の下で戦争の担い手が国中から動員した国民に移り、貴族戦争から国民戦争へと遷移したことが、戦争形態と本質の転換期であったことを指摘した。二度の大戦は全体戦争であった。全体戦争の惨禍を繰り返すまいとする国際的枠組みは第二次大戦後に作り直されたが、全体戦争を可能とした全体主義は戦後世界の経済・社会活動を発展させたことによって、形を変えて戦後世界に拡散した。全体主義に対する反省をナチズムや軍国主義に限ることで、私たちは全体主義の本性と社会への浸食に鈍感になってしまったのかもしれない。

話を医療の全体主義に戻せば、病への対処が一部の特権階級のものであった時代はとうに過ぎ去り、医療は誰もが手にできるもの、手にすべきものとして存在している。カイヨワの視点を適用すれば、医療の大衆化が医原性の強化、拡大を引き起こした転換点と見ることができるだろう。

 

変質し続ける全体主義が世界を覆う

ここまで医原性が引き起こす医原病は狭義の意味でも広義の意味でも、医療技術の属性、あるいは本質に、大衆の医療に対する期待や熱狂が大衆自らを包み込むものに変化していくプロセスが触媒となって発生することを見てきた。健康と生死にかかわる欲求は強く、容易に熱を帯びる。熱狂が全体主義を生むのか、全体主義が熱狂を生むのか。両者は不可分一体となる。しかし熱狂以外にも全体主義と結びつくものがある。

イリッチは医原病の流行という現象について「医療と住民全体の健康への脅威との関係は、交通の人びとの稼働性に対する脅威、教育の学習に示す脅威、都市化が自己の家を建てる能力に対する脅威と類似している」とした。医療体制、学校教育システム、交通輸送網などインフラストラクチャ-の全ては国民社会の全体をカバーし、それは公共財として現代社会に深く、強固に根付いている。今日、全体主義はBadsではなく、Goodsの背後に位置している。中国国内のパンデミックは共産党の独裁的な強権発動によって他国に先んじて終息した。それが一時的な成功であるとしても、国民全体にとってGoodsなのである。もはや全体主義は形と性質を様々に変えて地下水脈のいくつにも分岐し、現代社会の隅々に潜んでいると見なければならない。グローバリズムがもてはやされたのは、地球全体に恩恵を与えるGoodsとして信奉されたからである。

全体主義は日常のビジネスの細部に入り込んでいる。例えば標準手順書、SOPと称されるものやガイドラインなどはこの数十年の間に顕著に普及したツールである。これら無数のツールが求めるものは、関連する人々すべてを同質な思考、手順に導くことで、エラーの低減、均質な成果と時間短縮を保証しようというところにある。こうしたものを遵守する限り人々は一定の成果を得られるという安心感を得る反面、引き換えに自ら考え、挑戦し、試行するという個性と機会を自ら失ってきた。

規格あるいは標準化も人々の規格化を通じて、全体を一つに収れんさせる重要な概念の一つである。規格はあらゆる分野で世界的に統一される方向で進んできた。規格や標準化概念の適用が当初は製造物に限られていたものが、今ではサービス、マネジメントの分野まで拡大、進化を続けている。医療に話を戻せば、世界中の薬物治療が標準化されることは、世界のどこでも同レベルの薬物治療を受けられることを担保することになる。この規格や標準化による世界的な恩恵への志向こそ、アーレントやオルテガの指摘した熱狂にとって代わったものである。供給側にとっては経済規模と利益の拡大、そして需要者にとっては利便性の向上が人々の信奉すべき価値となることで、全体主義の命脈は維持されている。大衆とその熱狂は社会現象として観察できたものであった。しかし人々の中に浸透した価値観は外部から容易に覗うことができない。全体主義の存在は観察容易なものから困難なものへと変質しているのである。

 

エピローグ:全体主義の水源

この小論では、現代医療の様相を通し、全体を包み込もうとする動きを全体主義という言葉に仮託した。

私たちは医療技術の進歩に伴う今日の社会のありようから多大の恩恵を受けているが、誤解を恐れずに言えば、その恩恵は「全体主義」への志向によってもたらされていることが見えなくなっている。その結果私たちが払うべき恩恵への代償もまた見えなくなってしまっているのである。私たちは恩恵という光を見ることにのみ執着し、代償である影と闇を見ることを厭う生き方に無反省になってきた。否、それ以前に恩恵を恩恵とも思わなくなっているのであろう。

最新の進化学は、ネアンデルタール人より体力・体格に劣るホモ・サピエンスが群れることで生き残ってきたことを教えている。生存のための技術は群れの中で作りだされ、発展、拡散した。熱狂もまた群れの中から生じる。産業革命を転換点として、地球人口は幾何級数的に増大し、今や世界人口の半分は都市という狭い空間でひしめき、孤独な個から成る巨大な群れを無数に抱えている。孤独な個は制度やインフラストラクチャという人工的、人為的環境を作り出し、その中でなければ生存できない存在と化した。インフラストラクチャは今日ライフラインと名を変え、全員生存の必須条件として人々の意識に侵入し、定着した。医原性の強化と拡大は、一人一人の、また共同社会の営為であったはずの健康の主体性を、医療と医療制度へ譲り渡してきた歴史的な過程にある。

産業革命以来、群れることの本質は急速に変質し続け、それがもたらすものはきわめて多様化している。コロナパンデミックが教える三密のリスクは、過剰な群れ、すなわち人口爆発をテクノロジーで可能にしようとする人類に対する地球からの警告と取ることもできよう。全体主義の地下水脈は、ホモ・サピエンスが群れなければ生存競争に勝ち残れなかった宿命を水源とする、という仮説は採択しうるであろうか。

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