研究ノート15:統計と文学
2021年01月09日
「統計」は大学での選択科目であった。授業はそれなりに面白く、興味は持っていた(それなのに単位を落としてしまった劣等生であった)。卒業後、企業の研究所に入り、統計を学んだことが役に立った(大学院でのフィールド調査でも役に立った)。しかし統計は数学の一分野であるということ、そしてその実用価値は検定にあるとしか思わなかったが、「統計の歴史」[1]は実に意外な視界を拓くものであった。その中で第8章「統計に対峙する文学」は、水と油を論じて実は深いところでの親和性があることを教えてくれている。8章以前の論点をかいつまむと、
統計は国家社会の実態を知る要求によって、多数のものを「数える」ということから出発した。統計はその出発点からして社会科学との親和性があったが、ダーウインの進化論とも親和性があった(当然社会科学と進化論は親和性があるという)。
ところで17世紀末ごろまでは「文学」と「科学」は全く別物というわけではなかった(きわめて同質のものであった)。18世紀になってその違いが際立つようになり、文学と科学が決別し、修復不可能なまでに対立する状況になったのは19世紀前半のことであった。19世紀はヨーロッパ社会が大きく変化した時代であり、統計による社会の解読が盛んに行われた。それに対して文学の方はどうであったか?ということが第8章のテーマである。多くの作家、文学作品が取り上げられているが、その中でバルザックについて取り上げた部分を以下に要約する。
人間の社会があまりに変化に富んでいて、一つの作品にすべての現実を凝縮することはさすがに無理だとバルザックは考えたのであろう。しかし社会には個々の人間がばらばらに存在しているということはなく固有の実体がある。その実体に近づくために、統計がもたらす質量ともにばかにできない情報にバルザックは常に注意を向けていた。しかし彼は統計の持つ二つの限界をしていた。より根本的な統計の問題は「統計は社会の現状を把握するための重要な情報をもたらしてはくれるが、その全体像をつかむには役には立たない」ということであった。バルザックは全体を俯瞰しながらも、決して個別の事象に対する感覚が鈍ることがなかったのはまさに天賦の才であったがそれゆえの弱点があった。その一つは「人間喜劇」には群衆、すなわちすべての個人が混ざり合って各人の識別が不可能になった一塊の人びと、という視点が欠けていたことである。彼の作品である「禁治産者」でフアール通りの描写が一方で統計調査の結果を利用しながら、他方ではっきりと個々の人間の姿を描いてもいる。この描写の中で個々の人間が「民衆の蜂起でもあろうものならすぐさま」群衆に変貌してしまう可能性について、個々の人間が別々の人間として識別されなくなり、協同するというのではなく単なるひとかたまりの群衆になってしまう瞬間について言及されているがバルザックはその可能性を実現することはなかった。
歴史学者ルイ・シュヴァリエが指摘するように、「ヴィクトル・ユーゴやウージェーヌ・シューは群衆を群衆として扱うことに秀でていたが、バルザックの作品中にそのような雑然とした集団を見つけることはできない。レ・ミゼラブルが描いているのは大衆であって、個々の人間ではないからである」
前置きが長くなったが、ここから考察を始めたい。
文系学問と理系学問の融和
数世紀前まで文学と科学が極めて同質のものであった、という指摘にはうなずけるだけでなく、それ以上に軽い驚きがあった。私たちの高校時代から、理系文系という分け方が当然であった反面、理系と文系にどうして分けなければならないのか、という疑問をずっと持っていたからである(その疑問がまっとうなものであった、という確認ができたという意味での驚き)。自然科学が理数的な情報から世界を記述する一方、文学は言葉によって世界を記述するものと考えれば、アプローチは異なっても「世界を記述する」という点において相違はないように思える。
博論を書き、これを元手に1冊の学術書を出版した経験は、「作品」というものに対する考え方を作ってくれたように思う。大学院に入ったとき、「優秀論文作成術[2]」という本を指導教官から紹介された。その中に、卒論であれ、修士論文、博士論文であれ、それらは全て「作品」である、という記述が印象に残っていたが、出版までこぎつけて初めてその意味が少し理解できたように思える。さらに進めて、「世界を記述する」という立場に立つと、理系の論文も学術書も作品であるということから、(理系の作品であると同時に)文学作品の一つであると考えてよいと思える。社会科学をあえて理系学問と文系学問の中間に位置づければ、例えば松本清張などの社会派の文学作品は、社会科学を取り込んでいるものと言えるかもしれない。多くの文学作品には綿密な取材の上に成り立っているものが多い。いわゆる文学作品の基礎となる取材は、社会科学のフィールド調査と本質は同じものであろう。
人間がうごめいて成立する社会の本質を描くことと、社会の中でうごめく人間の本性を描くことは互いに補完し合うものではないか。文学と科学が決別した後に学問の再編が起こり、20世紀に入って社会科学が誕生したことは、文学と科学の融和を回復する必然的な経路あるいは接点も一方で準備されていたのではと思える。
個体描写か群衆描写か?
さて、オリヴェイエ・レイはバルザックについて「個々人が混ざり合って各人の識別が不可能になった一塊の人びと、いう視点が欠けていた」ことが天賦の才ゆえの弱点、と記述しているが、当初その意味がよく理解できなかった。「一方で統計調査の結果を利用しながら、他方ではっきりと個々の人間の姿を描いてもいる」という記述は、オリヴェイエ・レイが、統計調査で記述を押し通すことがよいことなのだ、と意味していると取れたからである。著者が統計学者であることを考えれば的外れな推理ではないかもしれない。
もう一つ腑に落ちなかったのは、著者が「しかし社会には個々の人間がばらばらに存在しているということはなく固有の実体がある」と言いながら、続けて「すなわちすべての個人が混ざり合って各人の識別が不可能になった一塊の人びと、という視点が欠けていたことである」と述べていることである。固有の実体があるということと、各人の識別が不可能になった、ことは相反する状態、あるいは認識を指す。統計によって各人を識別せず社会を描こうとするのであれば、識別されるべきものは切り捨てられていることになる。ここでは、統計と文学は融和することはできない。文学は極めて個を徹底的に描くことで普遍の広がりを追求するものと考えるからである。
ルイ・シュバリエの指摘する「群衆を群衆として扱うこと」とは、群衆の構成要素である人間を没個性の1要素とする集合体、すなわち統計的な描写が可能となるアプローチを意味している。ミカンとリンゴは同質のものとしては数えられない。数えた結果から意味を引き出すためには、数えられたものが同質(同カテゴリー)であるという前提に立たねばならない。
以前に、医薬品の有効性や安全性の記述には統計という言葉が用いられることを論じたが(仮説へのヒントNo.2)、同時に医学の世界では一例報告というものが学会発表や論文に掲載される。一例報告の価値は、まだ全体像が分からない事象を先取りする可能性を持つところにあると思われる。一例報告から得られる示唆は、たまたまの偶然のいたずら(情報のゆがみや観察者のバイアスも含めて)によるかもしれず、多くは雑音に埋もれてしまう可能性が大きいが、一例であってもそこから示唆や暗示をくみ取れる場合があることを認めていることに意義がある。一例報告は客観的情報による個体描写(理系情報)に依拠しているが、情報が限られているために、主観的想像力と洞察によって示唆や暗示をくみ取るところは文系学問のアプローチでもあると言えよう。ここで医学薬学と文学は補完関係にある。
大学院での私のフィールド研究に量的研究と質的研究の両方を用いた(テーマは抗生物質の自己治療に関するものである)。大まかに言えば量的研究は構造化(規格化)されたアンケートによる調査結果を集計し、統計的検定を行うものであり、質的調査は自由形式でインタビューを行うものである。目的とするテーマは共有されているがアプローチは異なる。そして両方の結果を突き合わせ、補完し合うことで理解を深めようと企図したものであった。量的調査の要は、できるだけシンプルな質問として、被験者を多くすることであり、質的調査の要は、被インタビュー者との協同作業を通じて被インタビュー者の歴史を洞察することにかかっている。
偽陽性と偽陰性あるいは第一種の誤りと第二種の誤り
社会学者の佐藤俊樹が、知識と社会の過去と未来-M.ウエーバーから百年-[3]という題で書いている。彼は、検査(試験)には必ず偽陰性と偽陽性が付いて回り、片方の確率を下げようとすると他方の確率が上昇すること、すなわちバランスをどのように取るかの重要性を説いている。また、理解社会学においては①言葉や振る舞いなどの観察できるデータから、②直接観察できない「考えた意味」を推測する。このことは試験や検査でも同じであると述べる。とすれば、量的調査であれ、質的調査であれ二種の誤りを犯す確率から逃れられないことになる。端的に言えば、量的調査においては質問の規格化が、そして質的調査においてはインタビュー者と被インタビュー者の関係如何が二種の過ちの大きさを決めることになる。
私の博論では以下のように記述した。
予想される研究の限界
本研究は薬学、公衆衛生学、薬事などの確立した分野の知見に加え、医薬品のライフサイクル及びグローバルにまたがる要素を検討するため帰納的な研究となる。したがって重要でない要素を重要なものとして採用し (第一種の誤り)、反対に重要な要素を重要でないとして棄却する (第二種の誤り) 可能性がある。実際のフィールド調査においては事前の策と、現地においての工夫を行ったが、一番悩ましいことは偽陽性・偽陰性であれ、あるいは第一種の誤り・第二種の誤りであれ、事前にも事後にもその大きさを測定する方法があるのかないのかを私が知らないことである。佐藤の言葉を借りれば、「医原性」は抽象概念であり直接に観測できない。その本質に迫るためには直接観測できるものを選択し、その実態や挙動のデータから、概念の本質に迫ることになる。であれば、直接に観測できるもののうち、最も適切なものは何か、そしてそれは選択可能なのかという問いが続く。
結局のところ、医原性の本質は自然科学、社会科学に含まれる多くの要素を選択・集約・統合し、それを読み解くという作業で得られるものなのだと考える。研究をどのような形ですすめていくのか、という自問自答の中で、自然科学的アプローチと社会科学的アプローチを組み合わせなければならないことだけはおぼろげに自覚できるが、限られた人生という資源の活用方法はまだ見えていない。若い人たちが人生を切り拓くために博論を書く状況とは異なり、私にとって研究が道楽であることが助けになるところではある。
[1] オリヴェイエ・レイ(2016).統計の歴史. 原書房
[2] 川崎 剛(2010). 社会科学系のための「優秀論文」作成術 プロの学術論文から卒論まで. 勁草書房. 東京.
[3] 図書(2020年8月号、10月号、2021年1月号).岩波書店.(3回にわたる連載).