研究ノート17:要素還元主義が作り出す仮想内部環境

2021年03月20日

 

Wikipediaによれば、日本で比較的定着している還元主義とは、

 ・考察・研究している対象の中に階層構造を見つけ出し、上位階層において成立する基本法則や基本概念が、「いつでも必ずそれより一つ下位の法則と概念で書き換えが可能」としてしまう考え方のこと。

・複雑な物事でも、それを構成する要素に分解し、それらの個別(一部)の要素だけを理解すれば、元の複雑な物事全体の性質や振る舞いも全て理解できるはずだ、と想定する考え方。

 還元主義」は上記の考え方についての否定的な呼称であり、要素還元主義とも言うとされている。

 

さて、近年の医師は患者に相対することが少なくなり、常にパソコンを見ながら患者と話をすると批判されて久しい。大病院であるほど、また開業医でも年代の若い医師ほどその傾向が強いようである。患者とのコミュニケーションやいわゆる問診、視診、聴診、触診など、医師の感覚をフルに働かせるような診察はおざなりになっているようにも思える。この傾向については医師が忙しすぎるから、という擁護論もあるがそれだけではないように思える。患者の病状について現状を把握するための検査データはどのくらいあるのか。臨床検査には検体検査が8分野と生理機能検査が7分野あり、それぞれの分野でさらに細かい検査項目がある。ということは、患者の内部環境の状態は検査数値、画像、グラフなどで表現されることになると考えてよい。言い換えれば、患者の状態は①多くの検査結果に分解され、②医師は分解された検査項目を解釈・連結させ、③それらのアルゴリズム的解釈からもっともありそうな理解に行きついて診断とする、というプロセスを踏むと考えられる。

 もしこの門外漢である私の推測が的外れでなければ、患者本人が目前にいなくとも相当程度の診断作業が可能になる。つまり患者の内部環境は検査項目という要素に分解され、再び統合されて理解される、ということになる。これは冒頭に記した、二点のうちの後者に相当すると考えれば、医療における要素還元主義と言って差し支えない。検査の種類が増え、検査の信頼度が向上すればするほど、医師はデータをもって患者の状況を容易に再構成できるということになる。そこでは患者と向き合う必要性は薄れる。このような状況下で、遠隔診療が可能になると同時に、診断をAIにサポートさせるという発想が出てくるのは当然の流れであろう。

 他方で、患者の検査データから、患者の内部環境の真の状態を再現できるのかということの議論や検証はどこまでなされているのだろうか?検査データによって再構成した内部環境は、仮想的環境である。医学の進歩によって新たな検査項目が付加されれば、仮想的環境も変化を受けるであろうし、解釈もまた変化を余儀なくされる可能性もある。その変化は好ましいものであることも、そうでないこともありうる。患者が訴える不調に対して、医師の診断がつかない、あるいはたらいまわしにされることはときに見聞きすることである。それは医学・医療の限界という言葉で片付けるのではなく、患者という実体の内部環境を仮想的に再構成するという、現代医学のアプローチそのものに起因する限界ではないかと問い直す必要がある。そのことを医療者も患者も無意識に理解しているかもしれない。

 それゆえに、二つの流れが生じる。一つは、現代医療のアプローチにまだ成熟の余地があり、新しい医薬品、診断機器、侵襲・非侵襲の介入技術が、還元主義アプローチの未熟さを一つでも補ってくれるのではないかと常に期待することである。これは医療提供者も患者もすべての利害関係者に共通する思いであろう。しかし医薬品の開発もまた、今までのところ要素還元主義のアプローチによっている。たとえば、ある指標によって病態を規定しなければ、開発目標である効能効果は定義できず、臨床試験のプロトコルも書きえない。何らかの指標によって病態などの内部環境を規定すること自体が要素還元的アプローチである。新医薬品への期待は屋上屋を重ねるということから本質的に逃れられないものなのかもしれない。

 もう一つは、患者からのいわゆる伝統医療への回帰である。こちらの流れには伝統医療の周囲に民間療法や、ホメオパシーなど代替医療が付随している。今日の日本では、第一選択は現代医療であり、現代医療で難渋するとき第二選択として、伝統医療や代替医療に移るか補完を期待する。第一選択、第二選択という患者の発想は、二つが同じ土俵に乗っていると理解していることである。たとえば、漢方薬も現代医療で用いられる医薬品の審査と同じく、二重盲検試験で効果と安全性を検証すべきである、という主張はその発想である。

 現代医療と伝統医療のアプローチが融合し、本質的に別のアプローチを生み出すということは夢物語なのだろうか。それとも患者の医療に対する心構え如何によって、二つの医療の間の好ましい均衡を実現することが可能になるのだろうか?

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