研究ノート19:Artであった医療はどこでTechnologyとなったか?
2021年03月06日
川喜多愛郎が、医療はヒトを対象とした技術artである、と述べたことを考えてみたい。その前段として、では技術artとは何かをまず考える。
今日、artは芸術と訳されることが多い。語源から見てartは技術を意味していた時期の方が先で、芸術という意味を持つのは後であろうと推測する。このことを私の趣味である音楽から考える。今日J.S.Bachの音楽は偉大な芸術と誰もが思っているが、バッハが生きていた時代の音楽家は宮廷や教会に奉仕する職人であり、自分たちが芸術家であるとは思ってなかったという。とすると音楽を創作する(作曲する)とか演奏する技術は今日でいう芸術家のものでなく、職人が担うものであった。そのような職人の技術を習得することは非常に長い時間の練習が必要である。あくなき繰り返しと試行錯誤が技術のレベルを引き上げる。私はギターを始めてから半世紀以上になるが、この間どれほどの回数の指の反復運動を繰り返してきたか推定さえできない。素人でさえこうであるからして、音楽の職人たちのレベルに到達することに至っては想像しえない。つまり技術とは本来手という肉体を酷使することと不可分なものと理解している。
ギターの製作技術に機械が取り入れられる時代になっても、すべて手作りのギターが音質、弾きやすさ、外見とも優れている。私がもつ4本目のギターは、松村さんという今では故人となったギター製作者に依頼して製作してもらったものである。彼はフランスのギター製作者であるブーシェ氏に師事し、ブーシェモデルのギター製作を許可された人である。彼は3か月に2本の割合でしかギターしか製作しないために、彼の顧客リストに私の名前を載せてもらった時点で3年間待つ必要があった。彼は自分の納得が製作のプロセスと完成品の両方に必要であった。彼の工房にお邪魔すると、ギター製作に必要な木材を大量に買い込んで保管しているところを見せていただいた。これはギターに使用する木材を少なくとも数年間は寝かして、木材の癖を出させるためであるという。つまり乾燥・保管中に曲がり、反り返り、捻じれなど、木の持つ性質を見極めるためである。こうして木の性質を表に出しつくしてからはじめて製作に使う。この一見して効率的でないやり方が、技術と不可分なものであり本来のものであるという。別のギター製作者を訪問したときも、松村さんと同様に大量の木材を購入し、保管・乾燥させているところを見させていただいたので、弦楽器製作者Luthierの技術の根幹とはこのようなものと得心している。
彼らの手にかかってなされたものは職人技と言われ、あるいは工芸品、さらには芸術品と呼ぶべきある。バイオリンで言えば、ストラディバリ、グァルネリと言った17~18世紀の職人によって製作された楽器が今日でも最高レベルの評価を受け、現役楽器として今なお抜きんでている。現代技術をもってしてもその再現には程遠いとも言われる。このことは当時の製作技術と今日の技術は同種類のものではなかったことを示唆しているかもしれない[1]。
話はそれて絵画に飛ぶが、絵画技術の習得に模写というアプローチがある。美術の学生が本物の絵を前にしてキャンバスを据え、本物の絵を写し取るのである。絵を描く、殊に油絵は重ね塗りとなるので、ニュアンスを表現するために数知れない筆のタッチが要求される。一筆一筆のタッチの繰り返しが対象物の真髄を確認するものであると同時に、技術を身につけるプロセスでもある。
このような見聞から次のことを学んだ
・技術とは本来手の能力を最高度に駆使することから生まれたものであること。そしてそれは生活に密着したものを出発点としたこと。
・素材の本質に個性を見出し、それを活かすことが技術artの中心あること。
・職人が技を駆使するときは、現代の価値観である効率というものとは程遠いものであること。
ところで、看護の「看」とは手という字に「目」という字が組み合わさったものである。看護もまた医療技術の一つであるが、コロナ禍の状況で日本における病床ひっ迫の最大の原因は、看護師の不足であるという。看護、介護は患者の体を直接扱うだけに、手足を最大限に使わなければならない技術として代替が効かないのが大きな理由かもしれない。肉体労働としての看護作業は将来機械にサポートされるか取って代わられるであろうが、看護、介護そのものは最後まで手を使う医療技術として残ることを期待したい。
材料の本質を見出す、ということについてはずいぶん昔に、西岡常一さんという宮大工が著した「木に学べ」という本を読んで感銘を受けた。彼は樹齢1000年の木から切り出した木材の性質を見抜き活かすことで、何百年の風雪に耐える建築物を作ることができるとしている。彫刻家は素材の石や木の塊に、自分が彫りたい像が見えるという。これは洋の東西を問わないようである。石や木の中に隠れているものが、像として彫ってくれと言う声を聴くとも言われる。ヴァチカンの至宝の一つピエタ像が1個の石の塊から生まれたプロセスを想像することさえ私にはできない。しかしミケランジェロには彫りだすものが何であるか、はっきりと見えていたと確信する。彼は視力を失った後も手探りで制作を続け、ロンダニーニのピエタを遺作とした。このことは手作業が技術を獲得すると同時に、対象の本質を見出すうえで不可欠であることを示唆している。
職人の仕事は、現代技術が目指す効率、正確性、大量生産などに価値を置くのとは全く異なる価値観でもって行われていたと言ってよいと思う。形として現れてこようとする対象の本質を強制という能動ではなく、受動的に外に引き出すことが職人の仕事技術であり、レヴィ・ストロースの指摘するポイエーシスである。これに異なり、対象に力を加えて、意図通りに変化させるということが現代の技術であろう。別の言い方であれば、ある意図をもって対象に力を加えることが介入と言えるのかもしれない。現代医療の医師は患者の中に何を対象として見ようとしているのだろうか。
楽器製作の事例から、音楽の話に戻す。この後段では分化について考えてみたい。
バッハの時代あたりまで、音楽は今日からすれば小さな空間で演奏されていた。室内音楽や水上の音楽である[2]。この時代にはせいぜい10人程度の小グループで器楽演奏が主流であり、指揮者という役割はなかったとされる。互いが目で、あるいは呼吸を感じる距離でタイミングやアーティキュレーションが可能であったからである。バロック音楽の時代の宮廷音楽の聴衆は、極言すれば雇い主の領主ひとりであり、教会の神父一人であった。指揮者という役割が誕生したのは、市民社会が成立して音楽が大衆のものとなり、大きく増えた聴衆を満足させるために少しずつ大きな編成となり、多種類の楽器が使用されるようになってからである。しかし初期の指揮者は杖のようなものでステージの床をたたいてテンポ、リズムをリードしていたにすぎず、細かい表現上のニュアンスを楽団員に伝えることができる指揮技術のレベルではなかった。しかしオーケストラの編成はますます大規模となり、指揮は独立した音楽上の役割、社会の職業となった。音楽の中で演奏と指揮が明確に分化したのである。同様のことは楽譜を作るという作業において、作曲家から編曲者が分化し、優れた演奏家の中から作曲家が分離してきた状況と似たところがある。本来、音楽家の中で一体であったものが、演奏家としてはピアニスト、ヴァイオリニストなどと分離呼称され、ミュージシャンと呼ばれることは一段下に見下げられるようになった。
余談になるが、モーツアルトが生きていた時代の音楽会というものは、今日のような形態とは異なっていたという。現代では過去の名作を演奏することが圧倒的に多いが、当時は作曲されたばかりの新作を発表するのが音楽会であったという。作曲ができたばかりのページを、作曲家が家の窓から下に次々と落とし、それを運び屋が順に写譜屋に持ち込み、それがまた待機中のオーケストラに持ち込まれて演奏会に間に合わせる、という状況もあったとされる。当然楽団員の練習もろくになく演奏されたはずのもので、今日でいう演奏技術とは異なる技術が必要であったに違いない。初見で演奏される音楽がよく聴衆に受け入れられたものと感心するばかりである。
以上のことは、何事であれ大衆化は技術の分化、そして効率化を導くことを示している。大衆化とは、規模の拡大、利用のしやすさ、普及など需要の増大、あるいは娯楽性の増大という言葉と親和性が高いと考えて差し支えないであろう。私は社会人の経験から、量の拡大は質の変化を求めることを学んだ。私たちは押しなべて未分化を未発達のものとし、分化をよいもの、より発達したステージにあるものとしてきた。分化することで業態や技術が専門化し、特化することでより効率的に安定的に、大衆の需要に応えることができるようになってきたからである。何より分化したものは常に新しいものと見なされることも、より良いもの、革新的なものと見なされる理由であろう。
Artであった医療も大衆化の道を歩み始めたときから、テクノロジー化の道を歩まざるを得なくなった。テクノロジーを駆使して大衆の要求に応得るようになったとき、分業化社会の労働が単調でトラバーユ苦痛となったのは当然であった。大衆化はポイエーシスであったart技術がテクノロジー化する転機となったというべきであろうか、あるいはart技術はテクノロジーによって社会の片隅に追いやられてしまったというべきなのか。もし後者であればart技術は全く滅びたのではなく、片隅にまだ息づいているはずである。最先端の医学が手に負えない、難病の患者に寄り添う医療者と患者の間に生まれる信頼はその証なのだと思う。
[1] ストラディバリウスの音色に関して二度の実験が行われた。新作バイオリンとストラディバリウスを弾き比べた結果、優劣は明確ではなかったいう結果であった。このことについて一つの楽器を自分の音楽的意思と一体化させるのには膨大な努力と時間が必要なので、バイオリンをブラインドで弾き比べし優劣を判定する行為自体が無意味であると論じた。古楽器には以前の奏者の癖が残っていたり、長く演奏されていなかった場合には音色が悪くなるため、奏者が楽器のポテンシャルを引き出すには多大な時間と労力を要するが、弾き込みによる将来の可能性を考えると現代の楽器をはるかに上回る素質を持っており、それがプロのヴァイオリニストがストラディバリウスなどの古楽器の名器を選ぶ理由だと中野は述べている(Wikipediaより)。弦楽器は弾きこみにより、音質が良くなることはよく知られており私も経験している。松村氏は、私の年齢からして弾きこむ残された時間は若い演奏家より少ないから、初めから良く鳴るように加減した、とのことであった。当時の弦楽器製作者が楽器完成時の音質より、弾きこみによる未来の音質をより重視していたとすれば、技術思想が今日と異なるものであったという仮説もありうる。
[2] ドイツの有名な楽団(名前は失念した)が大阪の大ホールでバッハのブランデンブルグ協奏曲を演奏したとき、チェンバロの音が全く聞こえなかったことに驚いたことがある。バロック音楽において通奏低音を受け持つチェンバロの音が聞こえないということはある意味音楽会としては失敗と言えるであろう。チェンバロの音は繊細であり、大ホールで響きわたらすのは無理がある。これと反対に、大人数に聴かせる教会音楽を支えたのがパイプオルガンであったのは理にかなったものと考えている。