研究ノート23:「文明盛衰のシステム論的考察」を読んで
2021年08月24日
「文明盛衰のシステム論的考察」(研究ノート:鈴木良次)の冒頭に、梅棹忠夫の比較文明論が紹介されている。その中で文明と文化の比較は次のように引用されている。
「文化はいわば人間精神の内部の価値体系である。これに対し、文明は様々な装置群や制度群と共に形成する一つのシステムである。文化はその要素が一つ一つ個別的に伝承されるもので、その限りにおいて個別的に取り扱うことができる。ところが文明は一つの全体の話である。個々の要素がいかに統合されて一つの構築物になっているかが問題となる」
この短い引用には、いくつかの重要な問題提起が含まれている。第一に、文化が人間精神の価値体系である、ということを考えてみたい。ヒポクラテスの誓いが果たして本人の言明であったかどうかは、ともかくとして、患者を傷つけるような(医療行為)はしない、という主旨は医療における彼の価値観を示している。彼の医業(病める人間を治す、あるいは癒す生業)はなにより価値観が出発点であったと言えよう。先の梅棹の言によれば、当時の医療は文化そのものであった。この価値観から病める人々は何を得ていたのだろうか?
時代は下り、現代の医療においては医療制度、医療技術の適用がほぼすべて、という状況になっている。梅棹の言によれば、この状況は文明であると言えよう。病める人、傷つく人を治すという業の使命はヒポクラテスの時代から変わっていないはずなのに、医療は文化から文明と言える状態に変化、あるいは変質したとすれば、それは文化から文明への飛躍なのか、あるいは段階的変化なのだろうか。そして何がその変化を生み出したのか。イヴァン・イリッチは医療が個別の医療現場から広範な社会システムに広がり、やがてその中で人々が自律性を失い、死や病苦を忌み嫌う精神に至ることを指摘した。これは社会システム(文明)が人々の精神文化を変質させることを示したものと理解している。
今日の医療において、ヒポクラテスの誓いやヘルシンキ宣言さらにはinformed consentなどが、医療が文化であった時代の精神の片鱗を受け継ぐものであるのかもしれない。そうであれば医療の倫理性を問うことは、医療が文化であったことへの回帰現象と見なすこともできる。その一方で文明としてさらに発展しようとする推進力は例えば、再生医療、医療のAI化、老化予防、不妊治療など多くの先端的、革新的医療技術として現れている。
冒頭の梅棹の引用では、文化と文明の性格的な違いについての分かりやすさがある。その一方で文化と文明のつながり、あるいは関係性について彼がどのように考えていたかはわからない。さらに彼は、文化は個別的に取り扱うことができ、文明は一つの全体のはなしである、としている。西欧の音楽(ことにイタリアを中心とする西欧音楽)は文化であると理解するが、例えばルネッサンスからバロックに至る音楽を探求しようとするミュージシャンは、当時の歴史、美術などのバックグラウンドを持たねばならないとされる。音楽という文化の一ジャンルであっても、他の分野との相互作用を無視することができないことについて、彼はどのように考えていたのだろうか。彼の真意について、彼の著作を読まなければならない。
鈴木の研究ノートの後半に三点興味深い示唆がある。
その一つはシステムという構造形成を可能にする仕組みとして、エネルギーの開放系であることを挙げていることである。人間は開放系であり、おのずから社会も最終的には太陽エネルギーを取り込む解放システムであることは自明のこととして理解できる。ただ、そのことは自明でも医療を考えるときには大きすぎる概念で、医療の文化性、あるいは文明性を議論するときには手に余る。医療がすでに文明的性質で占められている今日、医療システムという構造を維持、発展させるエネルギーは何であるか、それを具体的に考察する必要が示唆される。
もう一つの興味深い示唆は、「構造を生成するメカニズムそのものに内在する原因によって、巨視的な環境や舞台装置の方に変化が生じてもはや構造を維持できなくなる場合である。生物の老化現象はその典型であろう」、という記述である。「環境や舞台装置の方に変化」という部分が分かりづらいが、例えば恐竜が太古の気候変動に耐えられず滅亡した、ということであろうか。あるいは生体にセットされた、老化、死亡のメカニズムが、生体の環境の変化によって作動する、という主旨であろうか。いま私の拙い疑問は横に置くとして、老化、死亡が生命体のメカニズムに組み込まれていながら、それを受け入れない精神文化が医療システムを発展させてきたエネルギーではないかと思いつく。
三点目の示唆は「生物は子をつくることで老化をリセットしてしまう」[1]というところである。では、医療システムは何を作ることで、自身の老化をリセットし続けてきたのだろうか?そして、医療システムを発展させてきたエネルギーは枯渇に向かうのか、エネルギーは枯渇しなくとも、医療システムの中にシステムを老化させるメカニズムは組み込まれているのか、これらもまた考察すべき課題だと刺激を受けた。
[1] 『ヨハネ伝』の第12章24節のキリストの言葉、「一粒の麦地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、もし死なば多くの実を結ぶべし。
子どもに残す遺伝的情報には後天的な機能や構造は伝えない。子どもは新たな可能性をもって自己組織をはじめる、いう鈴木の記述は親子関係や子供の教育を考える上で示唆に富む。