研究ノート24:文化の精神性と文明の功利性

2021年09月28日

 

仮説へのヒント27、28で、梅棹忠夫の比較文明論を取り上げ、多少の考察を行ったが、そもそも文化と文明の違いを自分なりに明確に整理できていなかった。医療は文化であると言われるが、それは普遍的な現代医療に対して、世界各地に伝統医療があることを頭に置いている。しかし、「風邪に抗生物質を投与するのは先進国では日本だけである。日本の常識は世界の非常識」として、医療もまた文化である、という単純な思考でよいのかと思う。それは単に日本の医師たちの習慣と言うべきであろう。習慣と文化を安易に同一しては危険である。

 それはさておき、世界各地の伝統医療はなかなか他国に浸透しにくい。インドの伝統医療アーユルベーダのクリームなどは、日本人を含む旅行者にとって良いお土産となるが、日本で日本人がアーユルベーダの治療を受けることはほぼない。ヨーロッパの薬草医薬品にも伝統があるが、同様である。たまたま、食について考えていた。食は文化であるという視点から説いた本は多いが、現代では食にも文化性と文明性の両方があると思いついた。一つのヒントは、現代の食事がマクドナルドに代表されるファーストフードに偏っているという話を、20年ぐらい前にスエーデンで聴いたことにある。スエーデン人は進取に富んだバイキングのイメージが強いが、基本的に日常生活は保守的な面が強い。そのスエーデンで昔からの伝統食を特に子供たちが食べなくなり、ファーストフードを好むようになってきたと友人が嘆いていた。このような状況は日本でも全く同様である。マクドナルドを文明とするなら、文明は伝統食という文化を侵食しつつあるのである。

 文化と文明が全く違った性格であると規定するなら、どちらが早く誕生したか、という議論になるのかもしれない。人類の祖先をたどれば文化的性格を持ったものがまず生まれ、その中から文明的性格を帯びたものが出現したと考えるのが自然だろうと想像する。世界各地に異なる文化が多様に存在することは、文化の誕生がその土地の環境に規定されていることを示していると考える。

 

伊勢神宮の遷宮に際して、伝統の木組みの技の映像を観た。現代工法とは全く異なる精緻で複雑な技術が用いられている。日本はモンスーン地帯に位置して森林が豊かである。その巨木を利用できる環境が日本の伝統建築を育み、規定してきたと言って間違いないだろう。しかしその技術(工法)が20年ごとの遷宮によって守り継がれてきたことは何を意味するのか。ここに文化を考えるヒントがある。木を使う伝統的建築技術は、日本の神道に仕える技術として出発したと考えるならば、建築技術と精神性は不可分である。言い換えれば精神性を体現する技術は文化となる。薬師寺金堂、西塔を再建された西岡常一氏はその著書「木に学べ」[1]で、樹齢千年のヒノキを使えば、建造物は千年はもつ、と述べている。この言葉は単に木材の耐久年数を言っているのではなく、木にたいする尊敬が込められている。ヨーロッパ各国の建築物は石の文化であるが、石は大地から掘り出す。木は成長して大きくなる。その成長に対して敬意を払うという精神性を西岡氏は言いたいのだと思う。

 精神性は民族の価値観を現す。民藝品も日本人の生活における精神性を尊重する技術によって作られていると考えれば、東大寺、薬師寺などを造る技術も、民藝品を作る技術も同じ範疇にある文化として理解されるだろう。精神性に基づく文化は容易に変化しない。20年ごとの遷宮は伝統技術の継承にあると言われるが、もともとは神道の心を継承するための民族の知恵、心が先にあり、それに付随した必然の伝統技術の継承が遷宮という形になったとも理解もできよう。

 この精神性に忠実であろうとする技術に対して、合理性、効果、効率、経済性など功利性を至上とする価値観から生まれる技術がある。それが現代の技術であり、普遍的な物理学、化学、生物学どの法則、原理を利用したものである。したがって現代技術の価値は合理性や実用的効果などの指標によって決まるのであり、常に新しいものに置き換えられていく。このような技術が文明的性格を持ったものと理解すれば、文化と文明の違いはかなり明らかになる。文化は無形の精神に育まれ、文明は実用的効果という価値観に立脚するものである。とすれば現代医療は文化ではなく、文明そのものと考えるべきである。

 ここでは、伊勢神宮の遷宮を例にとってみたが、西洋音楽の発達にも同じようなことが言えるかもしれない。グレゴリオ聖歌は神を賛美するために生まれた。バロック時代の先駆けとなったセバスチャン・バッハは教会音楽の奉仕者であり、職人であって彼自身は今日でいう音楽家として考えていなかったという。バッハがその作品を勉強し、模倣さえしたというヴィバルディは赤毛の司祭として、修道院が養育する孤児たちのために音楽をしたのである。バッハ達を音楽家と捉えるのは、現代の発想である。彼らは修道院や教会という、キリスト教精神を体現したものに仕えたのであって、現代のように、大衆、楽譜出版社、音楽教室、音楽事務所、マスコミ、コンクール受けするために音楽をしたのでは決してなかった。今日の音楽は経済性、話題性、快適性、快楽性を価値観とした文明の一部である。このように考えれば、文明は他の文明、文化に対して本質的に侵略的であることから免れ得ないことが理解できる。そこには文明を文化に優先させるグローバルな要請があるかもしれないが、後の主題としたい。現代医療・技術は現代技術文明の所産として捉えるべきであり、ヒポクラテスなどの時代、欧州の片隅の伝統医療(地域的な文化とする)において認識された医原性と、イリッチが問題提起した医原性(グローバルに普遍的な文明)とは同一平面上にあるのか、次元の違うものなのかを、まず考えるべきだと思う。

[1] 西岡常一(1988).木に学べ.小学館.東京

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