研究ノート27:痛みの誅殺(2)「日本人の諦観」
2022年03月12日
前回の研究ノート26ではDipex慢性の痛みの語り部の物語について紹介した。引用した語り部の人びと全てが、慢性の痛みと共存する心境に至ったわけではないと思われるが、それでも一つの心理状態、心境にたどり着いた人々がいたことは間違いない。慢性の痛みが軽減したから、と言うことではなく、試行錯誤の末にたどり着いた地点であろう。前回に引き続き、再度語りの一つを紹介する。
インタビュー時:69歳(2015年6月)疼痛期間:15年以上 診断名:腰椎すべり症
要旨
首都圏在住の女性。15年ほど前に受けた腰痛の特殊な治療がきっかけとなって、転げ回るような激痛に苦しむようになる。鎮痛剤やブロック注射など様々な治療法を試したが効果は得られず、5年ほど前から腰痛の治療は一切受けていない。痛みは最悪のときから1割ほどしか減っていないが、「年単位で軽減する」という医師の言葉を信じ、痛みをありのままに受け入れて日常生活を送っている。
当事者の語り:
両親の教育により自分は非常に我慢強いと思う。友人と会っても暗い顔を見せないようにしている。痛いのは痛いんで、しようがないんだっていう、その思いは、あるんですね。いろんな手を打っても、無駄だったということで。もう本当に……、そのあきらめともまた違うということも、よくこう言われるんですけども。まあ、逃げないっていうんですかね。ま、痛みは痛みとしてもう受け入れるってことですかね。
―― でも、何で私だけが、というような、こんな目に遭うのかとか、そういうふうな思いは持たれないですか。
いや、最初は持ちましたよ。うん。でも、これも受け入れるしかないな。痛いけど、ありのままに受け入れることですよね。痛いのは痛いなりに。何も治療方法がなかったら受け入れるしかない、と思うんですね。はい。うーん。じゃないかなあと思うんですよね。
イリッチはそれぞれの文化が苦痛を受容する、すなわち受苦する術を教えたと記す。では文化とは何か?痛みの語り部たちが痛みと共存する心境に到達した文化的背景があるとすればそれは何であったのであろう。私たちは文化というものに対して一種の偏見を持っているように思われる。例えば歌舞伎や能、書道や茶道、神道の儀式や神社仏閣など、目でそれと分かるものが文化の形態であり、文化そのものと思っているのではないだろうか?言い換えれば、私たちの日常生活において、鑑賞して楽しむものが文化であるとしている。ここではそのような形あるものの奥にある精神あるいは心情として日本人の諦観ということについて少し考察してみたい。
小泉八雲は「日本のおもかげ」の中で、日本人の何気ない日常生活、所作、習慣などの奥にある心の有様を見た。一例は日本人の「微笑ほほえみ」である。今日、万事が忙しく、効率性を求められ、論理的に生きざるを得ない私たちが忘れ去った、日常生活におけるほほえみである。西洋の視点からすれば、そのほほえみとは謎めいたものであったが、彼はその「ほほえみ」から、人と通い合う情感、人を非難しない、自分の不幸を他人に知られることで、他人に余計な心理的負担をかけまいとする気遣いなどを見た。このような心根は、悲しみや苦しみを抱えたときに、それに耐え忍ぶことが幸せになるという日本人の心情であり、「ほほえみ」はその象徴であると見たのである。
九鬼周造は日本人の美意識である「いき」を取り上げて、「いき」が媚態、意気地と仏教に由来する諦めの三要素からなるとした。彼は日本人が「見ること、叶わねばこそ浮世はよく諦めて無理なこと」という心情を根底として生きていると考えたのであろう。
河合隼雄は神話の世界「古事記」を尋ねて、中空の精神構造を発見した。古事記には天地創造、天界と黄泉との接触、天つ神と国つ神の接触という、それぞれの場面において三神ずつが現れるが、そのいずれにおいても三神の中のある一神はほとんど何もしないことを発見した。この役割の明示されない神が、活躍する二神の間に登場し、神々の関係性という構造に中空を創った。この空間は「何もない空っぽ」ではなく、相手の論理を自分の中に取り入れる働きをしているという。この中空構造こそ日本人が、異国の文化文明を取り入れ、己のものとして消化する上で大いに役立っている。日本は古くは中国の文字、文化を取り入れ、朝鮮半島の文物を輸入し、近現代にあっては欧米諸国の文明を取り入れ続けてきたのである。
ところで「相手の論理」を「苦痛を強いるものの論理」と読み替えれば、日本人は苦痛を受け入れて生きるということが、心情的に自然なものと言えるだろう。ここで私が「苦痛を強いるものの論理」としたのは、「痛み」を擬人化した表現であり、痛みの医学的メカニズムを「痛みという主体が発する主張(論理)」として喩えてみたものである。痛みは、“組織の実質的あるいは潜在的な傷害に結びつくか、このような傷害を表す言葉を使って述べられる不快な感覚、情動体験である”と、国際疼痛学会(International Association for the Study of Pain)が定義している。本人が体験するものである以上、本人にとって痛みの実態は不可触、不可視であるが、本人はそれを実在するものと認め、擬人化することができるであろう。
私が日本人の擬人化に気が付いたのは、学生時代に開催された大阪万博であった。万博会場のトイレを掃除するアルバイトの女子学生が、便器一つ一つに名前を付け、声をかけながらきれいに磨き上げていくというエピソードがあった。最新鋭の日本の自動車生産工場のラインに設置されたロボットにも、やはり名前を付けて従業員が愛着を持つというニュースも記憶に残っている。動物たちが今様の漫画チックに描かれた鳥獣戯画は今から800年も前のことである。日本人はあらゆるものを擬人化することにたけているのだろう。理解も納得も困難な理不尽や不条理を擬人化することでその主張を聞き、思いを入れ込み、無理であっても耐え忍ぶと同時に、「受け入れるしかない」という諦めの心情を底流に秘めて生きてきたのが日本人なのかもしれない。それはイリッチの言う、「受苦する」術と同じなのか、異なるものなのか、という問いは残るが、それ以前にこのように育まれた心情と日本の風土・歴史との関係はどのようなものであったのだろう。
鈴木大拙は「日本人の霊性」の中で、日本人の霊性は鎌倉時代の禅宗と浄土真宗によって形作られたという。それまで統治の手段であった仏教思想が禅宗と浄土思想の「救い」によって民衆のレベルに広がった。民衆のレベルに広がるということは、庶民の日常生活の隅々にまで入り込むということである。この時期日本は自然災害、疫病が流行し、飢餓地獄と化して人々が救済を求めた時代であったことは、新しい思想が日本中に広がることを後押しした背景であったと思われる。大拙は日本人の霊性を大地性、莫妄想、無分別智が形作る三角形に存在するとした。大地性とは庶民の日常生活に根を下ろした状態であり、莫妄想とは目の前の幻想を取り払うこと、無分別智とは物事を分けて考えないことである。擬人化とは無分別智という直感によって、物事の本質を同一のものとすることでもあると言えよう。身体的痛み、心の痛み、苦痛、苦難など、目には見えないものまでも擬人化することによって、日本人にとって対話する対象となり、諦観のうちに共存できるものとなるのではないだろうか。
最後にもう一つの語りを紹介する。
この病気に関しては、私は前は、闘っていこうとか乗り越えようとか、そういう気持ちばっかり先走っていたんですね。ですが、この病気に関しては、乗り越えようとか闘ってやろうとか、そういう気持ちを持ったらだめです。あの、受け入ること――受け入れることはまだできないんですが、やっぱりある程度受け止めてやって、うまくこう一緒に。隣にいつも居はる人、手強い怖い人と思うような感じで接していかないとだめだなって、こう、あらためて思いますね。
―― 何かそういうふうに最初は思えなかったのが、そういう今は隣にいる人というふうに考えられたのは、何か、こう、きっかけがあったんでしょうか。
あのね、この病気ね、いつか治ると思ってたんですよ。で、痛みも治まってくれると思ってたんですが、なかなかそれがどいてくれないんですね。ここにいつもおられるんですね。