研究ノート28:無国籍医療の推進力

20220320

 

 

イリッチのLimits to Medicineの邦訳(脱病院化社会)では現代医療を「無国籍の医療」と訳している。原文はcosmopolitan medical careである。COBUILD英英辞典でcosmopolitanは次のように解説されている。

・A cosmopolitan place or society is full of people from many different countries and cultures.

・Someone who is cosmopolitan has had a lot of contact with people and things from many different countries and as result is very open to many different ideas and ways of doing things,

 これらの解説からすれば、cosmopolitanという言葉に(少なくとも今日では)否定的な意味合いはないように思われる。無国籍をWeblioで検索するとStatelessnessとあり、更にCOBUILD辞典で引くとA person who is stateless is not a citizen of any country and therefore has no nationality.と文字通りである。生物学など普遍的な原理に立脚して世界に広まった医療は確かにcosmopolitanという形容がふさわしいように思えるが、「無国籍」という表現はどうであろうか。訳者はイリッチが過激な言葉で医療を批判する姿勢から、あえて無国籍という訳語を充てたようにも思われる。現代医療は生物学的原理を基礎とした、「普遍的」な医療であって、どの国、どの民族においても有効性を発揮する、という前提から、biomedicine=modern medicineと受け入れられている。

 ところで、現代医療が世界に広まり主流となったのは、伝統医学に比較してその有効性にあるとされている。もう一つ押さえておきたいことは、現代医療を世界に広める推進力が何であったか、と言うことである。ここでは保健領域における世界のリーダーシップを執る世界保健機関WHOが定義した健康とは何か、そしてそれを実現するためにWHOが果たしてきた推進力を考察してみたい。

 

日本WHO協会は健康の定義について次のように解説している。

WHOは1948年に次のように健康を定義した。

A state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

 「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)」。この健康の定義は、いまも世界中でひろく使われています。ただ、現在でも、日本WHO協会に、従来の健康の定義に「spiritual(霊的)とdynamic(動的)」は加わっていないのですかという問い合わせを受けることがあります。1998年の第101回WHO執行理事会において、「spiritual(霊的)とdynamic(動的)」を加えた新しい健康の定義が検討されました。賛否両論があったのですが、第52回世界保健総会(WHO総会)の議案とすることが決定されました。そして、WHO総会で審議した結果、採択が見送られました。日本では、WHO執行理事会により総会に提案が決まった時点で、健康の定義の改正が規定事実のように大きく報道されたために、現在も誤解が続いている面があります。この提案をしたのはEMRO(東地中海地域事務局)です。アラビアのイブン・スィーナー(980-1037)の『医学典範』は、ギリシア・ローマに由来する医学理論を体系的に整理したもので、長くヨーロッパにおいても医学の教科書として使われました。そういうイスラム医学の伝統に則って、文化的宗教的な背景に基づいた健康観を提案したものと考えられます。

 

このWHOによる健康の定義は第二次大戦後の世界の健康概念の核であり続けてきた。この定義に対しては次のような批判的考察がある。

Complete physical, mental well-beingの部分をnormal (good) stateと読み替えるとすると、normal stateには典型例representativeがないということである。一方abnormal stateには専門家でなくとも理解できる典型がある。例えば出血がある、熱がある、血糖値が高い、などである。言い換えれば健康とは「異常がない状態」ということであり、健康であるかどうかは異常の有無によって判断されることになる。このことは、より良好な健康状態に到達するにためは異常を探し出し、それを際限なく排除し続ける思想に繋がる。このように健康の定義もその実現も消去法に依拠している。すなわち健康には実態がない(Iijima 2009)。

Completeという形容詞が使われていることは、健康状態の向上には際限がなく、際限なくより良い健康状態を追求するべきであるという、観念に繋がる。それは「異常のない状態」を目指すという、「健康であること」が目標概念に変質することを意味する。さらにcompleteという形容詞は、健康でない「人々」を区別する。なぜなら人々の健康状態は多様であり、incompleteな人々は必ず存在するからである。それは差別思想に近づく恐れを持つ。健康の定義により、障害、病気を持つ人々に暗黙の裡に「不健康」というレッテルを貼るだけでなく、だれもが避けえない加齢、老化による「不健康」な状態も受け入れられないとする心理に人々を追い込む。COVID-19パンデミックにおいて、感染した人々や医療従事者に対する溢れるほどの偏見、差別、烙印の事例を見れば、健康の定義に偏見、差別、烙印の源が含まれているとさえ言えるのかもしれない。

 生体の内部環境、外部環境をかく乱する因子は短期的に、中長期的に人々を病む状態に追い込む。かく乱因子の多くは社会的、環境的なものであり、根本的な排除、修正には困難な対応が必要である。他方で、かく乱の結果である疾病に直接介入することは最短距離である。現代医療は最短距離を走り切るアプローチであり、人々は医療介入により健康が回復、維持されるという考えを強化する。事実、現代医療は障害、病気を治癒させ、緩和させる有力な手段であると、人々が信奉するだけの実績を積み重ねてきた。WHOの健康の定義と介入思想は、一方で人々の心理に作用し、他方でWHOの現代医療の推進機能と矛盾なく結びついている。現代医療が世界に普及してきたことは当然ではないのである。

 健康の概念は定義されて、世界中の加盟国の行政の中核に位置付けられているが、健康の実権を左右する社会的経済的な要因との関係については、WHO憲章に定める短い健康の定義だけでは全く不十分である。健康がどのように作られ、維持されるかと言うことについて、WHOはアルマアタ[1]宣言(1978年)の中でプライマリーヘルスケア(PHC)という概念を打ち出した。プライマリーPrimaryとは主要な、一次の、などの意味から、医療体系において最初の段階にあり、広範な人々が受益できる、主要なもの(医療)、という概念であろう。それは先進国における「高次医療」と対極にあり、特に低・中所得国の現実を踏まえたものである。

 宣言の理念(第1項)

健康とは身体的精神的 社会的に完全に良好な状態であり単に疾病のない 状態や病弱でないことではない。健康は基本的人権の一つであり、可能な限り高度な件高水準を達成することは最も重要な世界全体の社会目標である。その実現 には保健分野のみでなく他の多くの社会的経済的分野からの行動が必要である。

 プライマリケアの主要な三点

(C) 主要な保健問題とその予防・対策に関する教育、食糧供給の促進と適切な栄養、安全な水の十分 な供給と基本的な衛生措置、家族計画を含む母子保健、主要な感染症の予防接種、風土病の予防と対策、日常的な疾患と外傷の適切な処置、必須医薬品の供給。

(D) 保健分野に加えて、国家や地域の開発、とくに農業、畜産、食料、工業、教育、住宅、公共事業、通信、その他全ての関連した分野 を含み、これら全ての分野の共同した努力が必要である。

 (E) 地域、国家、その他の利用可能な資源を最大限利用し、地域社会と地域住民が最大限の自助努力を行い、PHCの計画、組織化、実 施、管理に参加することが重要であり、これを推進する。そして、この目標のために、適切な教育を通じて地域住民がこれに参加する能力を開発する。

まず理念では「社会経済分野」の中に健康があること、言い換えれば、人々の健康を実現させるためには、世界の隅々までこの宣言の理念を浸透させることが必要なのである、という思想がこの宣言を世界に向けた意思の根底にある。PHCの概念の中では、具体的に(C)生命維持に必須の環境・インフラの整備が不可欠であること、(D)関連する産業分野の共同作業で実現される者、(E)個人の自助努力と参加を促す、ことが謳われている。そして宣言の最後は「全世界、とくに発展途上国においてPHC を発展させ、実施するための緊急かつ効果的な国家的および国際的な活動を要請する」と結ばれている。これらの三点は個人の健康であっても単独では存在しえず、他者との相互作用、協働作用で成り立ちうること、しかし他者まかせであってはならないことを謳っている。

 アルマアタ宣言が出されたものの、世界の人々が医療の恩恵を受ける道のりは容易ではなかったし、現在でもそうである。2018年には持続可能な開発目標SDGsの概念を取り入れ、アルマアタ宣言の後継であるアスタナ宣言[2]が出された。この宣言はプライマリヘルスケアの概念に加えて、持続可能な開発目標SDGsとユニバーサルヘルスカバレッジUHCの概念を織り込んでいる。それはアルマアタ宣言から40年を経て拡大した貧富の格差を解決しなければ、健康が社会的に実現しないという意識から、政治的な決断を加盟国に促しているのである。以下はその部分である(訳は筆者による)。

私たちはすべての分野にまたがる保健のために、大胆な政治的選択を行います。

 私たちは、全ての人々が達成可能な最高水準の健康の恩恵を享受できるという権利をあらゆるレベルで促進し、守ることが政府の主要な役割と責任であることを再確認します。

私たちは、PHCを強化するために利害関係者を巻き込み、地域社会に権限を与え、多領域にわたる行動及びUHCを促進します。

 私たちは、健康の経済的、社会的及び環境的決定要因に取り組み、「すべての政策に健康」というアプローチを中心におくことにより、リスク要因の低減を目的とします。

 私たちは、「すべての人々のための健康」の達成において、誰一人取り残さず、より多くの利害関係者を巻きこみます。そして利害の対立を管理し、透明性を促進し、参加型ガバナンスを実施します。

 以上のように、アルマアタ宣言とアスタナ宣言は世界の人々の健康を実現するために、社会、経済そして最終的には政治の問題であると世界に訴えている。WHOは戦後世界の秩序を形成してきた国際連合のファミリーの一員である。世界のほとんどすべての国と地域194ヵ国が加盟しており、WHOはいわばそれらのコンサルタントである。この技術官僚機構は保健医療の領域において世界中をカバーし、リーダーシップを執ることが期待されてきた。この組織が、現代医療を世界に押し広げる決定的な役割を果たしてきたことを改めて認識する必要がある。

 元WHO副事務局長であった中谷氏によれば、「健康の実現のためには、貧困をなくさねばならない」とWHOが明確に認識したのは、2001年の米国に発生した同時多発テロ事件がきっかけである。アスタナ宣言がアルマアタ宣言より、より広い視点と政治の役割を強調したものとなっている背景であろう。WHOが加盟国に対して政治的決断を呼びかけることによって、健康概念の具体化の道のりは各国自身の政治上の課題である、という認識を持つことが要求されているのである。「健康とは各個人の主体的営為である」という主張とはますます離れているようである

 

[1]現在のカザフスタン共和国アルマティ(当時は、ソビエト連邦アルマ・アタ)で開催された第一回プライマリヘルスケアに関する国際会議(WHO、UNICEF主催)で採択された宣言文

[2]カザフスタン共和国の首都アスタナにおいて、プライマリヘルスケア(PHC)国際会議が開催され、アスタナ宣言が採択された。1978年に旧ソビエト連邦のアルマアタ(現カザフスタン共和国)で「すべての人々に健康を!」をめざしたアルマアタ宣言がだされてから40年である。

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