研究ノート29:イリッチとオルテガの同時代性
2020年11月08日
イバン・イリッチは1926~2002年を生きたオーストリア生まれの社会・文明批評家である。かたや、ホセ・オルテガは1883~1995年を生きたスペインの哲学者である。二人は1926~1955年の約30年間を同時代に生きたことになる。イリッチの脱病院化社会は1975年に出版され、オルテガの大衆の反逆は1925年に出版された。二つの著作の間に50年の開きがある。科学技術の世界では50年の差は大きい。二人が生きた時代背景と思想が発表された時期は相当にことなっているものの、いくつかの共通点があるように思えることを考察してみたい。
オルテガの主張の一つは、大衆の熱狂である。彼のいう大衆は自分を持たない人々のことであり、職業や階級における下位にいる人々を包含したものではないとしている。むしろ専門家こそ大衆の原型であると指摘している。彼が大衆と定義づけするのは、知識や専門性ではなく、自分の居場所トポスを持ち、自分の社会における役割を認識(自覚)していて、その役割を果たすために何をすべきかを考えることできるかどうか、ということであった。言い換えれば自分を持たない人々が社会の大部分を占め、加えてそれらの人々が一つの方向に熱狂をもって動くことを危険と見なしたのである。
私の若い時期に吹き荒れた大学紛争があった。このとき大学の先生方が徹底的に批判されたことが、知識人あるいは専門家に対する若い世代の疑念と不満の噴出であったとすればその疑念とは何であったか、当時の日本の社会の病理の分析はどのようなものであったか?それはさておき、オルテガの「専門家こそ大衆の原型である」という言葉はあの大学紛争にも重なるのかもしれない。とすれば当時すでに日本の象牙の塔の住人たちの間にはオルテガの言う意味での「自分の社会における役割の自覚」が不足あるいは欠如していたということになるのだろうか。
一方大衆という以上、それは社会の大方の部分を占める人口集団であるはずである。しかし大学の先生方は全部を合わせても社会の大部分をしめる構成とはならない。この乖離をどのように考えるべきなのか?人々が自分(の居場所、考え)を持たない大衆に変化する理由としてオルテガは、都市化という現象に着目している。一つは多くの人々が都市の産業化に適応・従事する労働者になったことで、命令・指示されることにより生活の糧を得るようになったことである。このことはサラリーマンを経験したことがあるものにとっては実感できることである。専門技能者であれ、単純労働者であれ企業や組織に雇われることは、考えることを放棄せざるを得ない。
個人的には「考える」ことの出発点は「疑問を持つ」ことである。企業は企業が必要とすること以上の疑問を労働者が持つことを良し、としない。個々の労働者が疑問を持つとき、大きな組織への成長コストは多大なものになるからである。疑問を持ちながら、表面的に雇用され続けることは想像以上にストレスがあるものである。ストレスに耐えられなければ、疑問を持つことをやめることが一番なのである。
人々が個人の才覚で生活を営為していた時代は、生存環境・条件を見直し、生存方法をたえず問い直し、工夫し、戦略を持たねばならない裁量範囲は相当に広かったであろう。それは近代から現代まで、都市のなかで雇用される人々の対極である。もっとも、別種の人々がそれぞれに存在してきたのではなく、社会が分化してきたことによる。
二つ目は学校教育による規格化された人間の生産である。学校は産業化社会に適応することを目的とした機関に変質することにより、規格化され、知識は豊富だが自分で考え探求することをやめた人々を生産するようになったことである。学校教育を受けた若者は、企業の中でさらに、産業化への適応と命令・指示に忠実であろうとする性質を強化することになる。ここで先に述べた「専門家こそ大衆の原型である」というオルテガの主張に戻れば、学校で教える側は「考えることをしない専門家」であり、考えることをしない人々を生産するにうってつけであり、雇用労働者をより多く必要とする社会の明示的な要求に応えるという構図が成立している。
端的にまとめれば、オルテガは自営という営為の社会から雇用労働者を必要とする社会に変化すると同時に、学校教育というインフラの確立・普及が組み合わさった状況で、トポス(己の己の居場所)を失い、疑念を持ち考えることを停止した大衆化時代を指摘しているのである。加えて彼の時代にはファシズムという人々を熱狂化させるうねりが重なっていた。
ではイリッチはどのような視点を持っていたのか。脱病院化社会の中で彼が取り上げている視点の一つは、他者へ依存する個人を主張展開の出発点に置いていると考えられる。イリッチは次のように序で述べている。
「医原的流行病を慎重に論じること-それは医療に関するすべての事項の神秘のベールを剥ぐことに始まるのであるが-は公益にとって危険なことではないだろう。危険なのは皮相的な医療の掃除を信頼してしまう受け身的な態度の大衆の存在である。(中略)私の論じたいことは医師ではなく素人が可能な限り広い視野と有効な力を持つべきだということである」
イリッチの述べるいくつかの言葉、すなわち「(医師という)専門家ではなく素人」、「大衆」、「流行」、「受け身的態度」はオルテガの言葉と重なる。辛辣にも「医師こそはこの緊急を要する研究において、最高レベルで専門バカになるように訓練されているのである」とまで皮肉っている。冒頭に触れたように、オルテガの「大衆の反逆」とイリッチの「脱病院化社会」の間には50年の差がある。社会が大きく変化し始めた時期を産業革命(1760年代~)とすれば、大衆の反逆(1925)、脱病院化社会(1975)は一連の社会変化として同時代性を反映したものと言えるのではないだろうか。50年の差を同時代の中に包み込むためにはより大きな歴史的視点が必要であると感じる。
熱狂もまた人々から思考を奪う。現代の薬害事件の要因に新薬への過度な高揚感と期待があった事例がある。その期待は患者(と家族)、医師、製薬企業、行政、マスコミが共有し、加速させてきたものである。薬害事件を医原性発現の最たるものの一つとすれば、医原性の強度と広がり、そして発現の状況は決して固定的なものではなく、本質的に社会の中で流動性を持っているものと考えなければならない。熱狂が発生するためにはできるだけ均質な多数者が存在しなければならないのである。