Limits to Medicine Medical Nemesis: The Expropriation of Health脱病院化社会を読み直す(3)

・第II部社会の中の医原病 Social Iatrogenesis(原著page 63-107)

医薬品の侵略

診断の帝国主義

予防と社会的レッテル

終末の儀式

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医薬品の侵略

 

ある社会に存在する薬を医療の問題と捉えることに医師は必要ではない。病院や医学校がそれほど多くなくても、文化は医薬品の侵略の餌食になる可能性がある。どの文化にも、毒薬、治療薬、プラセボ、そしてそれらを投与するための儀式が定められている。その大部分は、病人のためというより、むしろ健康な人のためにある。強力な医療用医薬品は、それぞれの文化と毒を調和させ歴史的に根付いた慣習を容易に破壊してしまう。医薬品は健康に対する恩恵以上に健康被害を生み出し、そして最終的に身体を機械的なスイッチで動く機械として認識するこれまでにない考え方を打ち立てる。

 

1940年代には、ヒューストンやマドリードで発行された処方箋が、ブティックやホテルと並んで国際的な薬局が栄えるメキシコシティのゾナ・ローザを除いて、メキシコで調合されることはほとんどなかっただろう。現在、メキシコの村のドラッグストアは、アメリカのドラッグストアの3倍の品目を扱っている。タイやブラジルでは、他の場所では時代遅れとなった医薬品や、違法な余剰品や偽造品が、便利さの旗印を掲げて商売する製造業者によって薬局に流れ込んでいる。過去10年間、豊かな国々が、医師による合法的な薬の押し売りによる損害、無駄、搾取をコントロールし始めた一方で、メキシコ、ベネズエラ、そしてパリでは、医師が処方する薬の副作用に関する情報を得ることが以前にも増して困難になっている。

 

ほんの10年前、メキシコでは薬が少なく、人々は貧しく、ほとんどの病人が祖母か薬草屋に世話になっていた頃、医薬品は能書のリーフレットと一緒にパッケージに入っていた。

 

 

今日、薬は豊富になり、強力で、危険性が増している。それらの薬はテレビやラジオで売られている。学校に通ったことのある人々は、アステカの治療者を未だに信頼していることを恥ずべきことと思っている。薬のリーフレット(日本では、以前は俗に「能書」と言われ、今日では添付文書が正式名称)は「処方時用」と表記された標準的な文書に取って代わられている。

 

薬を医療用とすることで悪魔を祓うという作り事は、実際には購入者を混乱させるだけである。(リーフレットに記載のある)医師に相談するようにという警告は、薬の購入者に自分は用心する能力がないと思わせてしまう。世界の多くの国では、薬を用いる場合であっても、両刃の薬を処方できる十分な医師はおらず、(いたとしても)医師自身が十分な慎重さをもって処方する準備ができていないか、あまりにも(薬について)無知なのである。その結果、特に貧しい国々では、医師の役割は些細なものになってしまった。医師は、常に嘲笑される日常的な処方機械と化し、ほとんどの人が医師の診断もなしに、行き当たりばったりで同じ薬を飲んでいるのだ。

 

クロラムフェニコールは、処方箋に依存することが患者の保護に役立たないばかりか、(医薬品を)乱用を助長しかねないことを示すよい例である。1960年代、この薬はパーク・デイビス社によってクロロマイセチンとして商品化され、同社全体の利益の約3分の1をもたらした。この薬を服用すると、再生不良性貧血という血液の不治の病で死ぬ可能性があることは、数年前から知られていた。(この薬には)腸チフスになった場合のみ、この薬物投与が正当とされる厳しい条件が付けられている。50年代後半から60年代初頭にかけて、パーク・デイビス社は、臨床適用において強い禁忌があるにもにもかかわらず、(デイビス社)が勝者であると宣伝するために多額の資金をつぎ込んだ。

 

アメリカの医師たちは、にきび、のどの痛み、風邪、そして感染した二枚爪のようなささいな症状のために、年間約400万人にクロラムフェニコールを処方していた。米国では腸チフスは珍しいもので、クロラムフェニコールが本当に「必要」な人は400人当たり1人以下である。サリドマイドのように奇形を生じるのではなく、クロラムフェニコールは人を殺すのである。米国では何百人もの犠牲者が視界から消え去り、診断もなされないまま死んでいった。この種の問題に対する専門家の自主規制は決してうまくいっておらず 、医学界の記憶は特に浅いことが証明されている。よく言ってもオランダやノルウェーやデンマークは、ドイツやフランスやイタリアより場合によっては自主規制の効果が少ないことがあり、米国の医師は過去の過ちを認めて、新しい流行に乗ることに長けているということである。

 

50年代のアメリカでは、監督官庁による医薬品の規制は行き届かず、(製薬会社の)自制も名ばかりだった。しかし、60年代に入ると、新聞記者、医学者、政治家たちが、医師や政府関係者の製薬会社に対する従属性を暴露し、医療界のホワイトカラー犯罪の常態を明らかにするキャンペーンを展開した。議会の公聴会で暴露されてから2ヵ月もしないうちに、アメリカでのクロラムフェニコール使用は減少していった。

パーク・デイビス社は、この薬の危険性と使用上の注意に関する厳格な警告をパッケージ一つ一つに入れることを余儀なくされた。しかし、この警告は輸出品に適用されなかった。この薬は、メキシコで自己治療だけでなく処方箋でも無差別に使われ続け、その結果、薬剤耐性の腸チフス菌が増殖し、現在では中米から世界中に広まっている。

 

ラテンアメリカのある医師は国政の政治家でもあったが、医師が尊敬されるようにするのではなく、医薬品による浸食を食い止めようと努力した。サルバドール・アジェンデは、チリ大統領としての短い在任期間中に、貧困層に対して彼ら自身の健康問題が何であるかを理解させることにかなり成功したが、医療従事者に対しては利益よりも(人々の)基本的な問題に応えるよう説得することにあまり成功したとは言えない。アジェンデは、北米やヨーロッパで薬の特許の有効期間中、お金を払う患者に対する使用経験がなければ、その薬を禁止することを提案した。そして、中国の裸足の医者が黒い籐の箱に入れて持っているように、医薬品の種類を減じて国家薬局方とすることを目指したのである。注目すべきは、1973年9月11日にチリ軍事政権が誕生してから1週間と経たないうちに、医薬品の輸入や消費ではなく、地域社会の活動に基づくチリ医療について最も率直に物を言う提案者の多くが殺害されたことである。医療用医薬品の過剰消費は、もちろん医師がほとんどいない地域や人々が貧しい地域に限られたことではない。

 

米国では、今世紀に入り、医薬品ビジネスが(数量ベースで)100倍にもなっている。アスピリンは年間 2 万トン消費され、一人当たり225 錠近く消費されている。イギリスでは、10 日間に1日は催眠剤によって眠りにつき、1 年間で女性の 19%、男性の 9%が処方された精神安定剤を服用している。アメリカでは、中枢神経系の薬剤は医薬品市場の中で最も急速に成長している分野で、現在では総売上高の 31%を占めている。処方箋薬である精神安定剤への依存度は1962年以来290%増加した。この間、一人当たりの酒類の消費量は23%しか増加せず、違法なアヘンの消費量は約50%に過ぎないと推定される。

 

 

「興奮剤」と「鎮静剤」のかなりの量は、どの国でも医師を通さずに入手されている。1975年には薬物依存症が、多幸感を与えるものを自分で選択するか、あるいは作り出す快楽の形態のすべてを上回った。医療用の処方箋医薬の乱用が増えたことを多国籍製薬会社のせいにするのが流行になっている。製薬会社の利益は高く、市場の支配は独特のものである。この15年間、製薬会社の利益(売上高および会社の純資産に占める割合)は、証券取引所に上場している他のすべての製造業のそれを上回っている。さらに、薬価はコントロールされ、操作されている。生産地であるシカゴやジュネーブでは2ドルで売られている同じボトルが、競争のない貧しい国では12ドルで売られている。40ドル分のジアゼパムが、いったん錠剤に刻印され、ヴァリウムとして包装されると、140倍の値段で売れ、薬学者の大方の意見では、適応症、効果、危険性が同じであるフェノバルビタールの70倍の値段で売られるのだ。処方箋薬は、商品として、他のほとんどの商品とは異なる挙動を示す。最終消費者が自分で選択することはほとんどない商品である。生産者の販売努力は、「道具的消費者」、つまり、処方するが代金を支払わない医師に向けられている。

 

ホフマン・ラ・ロシュ社は、ヴァリウムの販売促進のために、10年間で2億ドルを費やし、年間200人ほどの医師に依頼して、その特性に関する科学的な論文を作成させた。1973年、製薬業界全体が広告や宣伝のために、開業医一人につき平均4500ドル(医学部1年分の費用に相当)を費やしたが、同年、業界がアメリカの医学校に寄付した額は医学校の予算の3%未満であった。

しかし、驚くべきことに、世界中で医療用処方箋薬の一人当たりの使用量は、商業的宣伝とはほとんど関連がないようである。それは、医師の教育が製薬業界の宣伝に影響されず、製薬会社による薬の押し売りが制限されている社会主義国においても、医師の数と概ね相関している。工業社会では医薬品の消費量は、処方箋薬、市販薬、あるいは非合法に販売される薬の割合に基本的に影響されず、代金が自己負担、前払い保険、福祉基金のいずれで支払われるかに影響されることはない。どの国においても、医師は医薬品を処方される患者と、その結果(=健康被害)に苦しむ患者の2つの中毒者グループとともに働く機会が多くなっている。地域社会が豊かであればあるほど、その両方のグループに属する患者の割合が大きくなる。したがって、処方箋薬による中毒を製薬業界の責任にすることは、違法薬物の使用をマフィアの責任にするのと同じくらい無意味なことである。

 

薬物の過剰摂取という今日の現象は、それが有効な治療薬であれ、鎮静剤であれ、処方箋品であれ、日常の食事の一部であれ、無料であれ、販売品であれ、盗品であれ---これまで消費財の市場が臨界に達したすべての文化で浸透した信念の結果であると説明することができる。この現象は、商品の販促立案者の意図による流通の結果によるものか、市場の力によるものかにかかわらず、開放的経済を志向するどの社会のイデオロギーとも一致している。

このような社会では、他の分野と同様、医療技術はどんなデザインにも従って人間の状態を変えることができると、人々は信じるようになる。

その結果、ペニシリンやDDTは、フリーランチの時代に先立つオードブルとみなされるようになった。ミラクル・フード(=医薬品)の継続的な摂取に起因する病気を、さらに別の薬物の継続的な服用で治そうとする。このように、過剰な消費は、社会的に承認された、昨日までの進歩に対する精神的な渇望を反映している。

 

新薬の時代は1899年のアスピリンから始まった。それ以前は、医師自身が最も重要な治療者であることに異論はなかった。アヘンのほか、広く応用され、安全性と有効性のテストに合格したのは、天然痘ワクチン、マラリアのキニーネ、赤痢のイペカクだけであった。1899年以降、半世紀にわたって新薬の氾濫が続いた。しかし、これらの新薬のうち、安全性、有効性、経済性において、長く使用されてきた一般的な医薬品に勝るものはほとんどなく、新薬の増加のスピードはかなり遅いものであった。1962年、米国食品医薬品局(FDA)が、第二次世界大戦後に登場した4,300種の処方薬を調査したところ、有効性が認められたのは5品目のうち2品目の割合であった。新薬の多くは危険であり、FDAの基準を満たしたもののうち、代替となる医薬品より明らかに優れているものはほとんどなかった。これらの内98%の化学物質が、プライマリーケアに用いる局方の医薬品として価値ある貢献をしているといえる。この中には、抗生物質のような新しい種類の治療薬も含まれるが、医薬品時代の流れの中で、理解が進み効果的に使用できるようになった古い治療薬もある。たとえばジギタリス、レセルピン、ベラドンナなどである。実際の有用な薬剤の数については、経験豊富な臨床医の中には、全人口の99%にとって望ましい基本的な薬剤は20品目以下であると考える人もいれば、98%には最大で48品目までが最適であると考える人もいる。

 

薬学上の大発見の時代は、もう過去のものとなった。FDAの現長官によると、1956年から薬の時代が始まったという。本格的な新薬の出現は減少し、アメリカ、スウェーデン、カナダより基準の緩いドイツ、イギリス、フランスで一時的に輝いたものの、すぐに忘れ去られるか、記憶されているだけのものが多い。このような状況下では、もう開拓すべき領域は多くはない。ノベルティとは、「パッケージ商品」、すなわち固定用量の組み合わせ(=2種類上の医薬品を配合したもの:配合剤)や、宣伝がうまくいったために医師によって処方される医療用の「me toos」のことである。特許法が重要な新薬に与える17年間の保護期間は多くの製品について(既に)失効している。現在では、商標法によって無期限に保護されているオリジナルのブランド名を使用しなければ、誰でもそれらを作ることができる。米国では一般名で販売されている医薬品(ジェネリック医薬品)が、3倍から15倍の価格の先発品よりも効果が低いと疑う理由は、これまでのところ、かなりの調査によって得られている。

 

社会は永遠に薬物時代にあるとする考え違いは、医療政策決定が生み出したドグマの一つである。それは産業化された人々に当てはまる。人びとは自分が気に入ったものは何でも買おうとすることを覚得たのである。交通手段も教育もなければ、どこにもたどり着かないのである。生活環境のせいで、歩くことも、学ぶことも、自分の身体をコントロールすることも不可能にしてしまった。薬を飲むことは、どのような理由であれ、自分自身をコントロールする最後の手段であり、他人に干渉されるのではなく、自分自身で自分の体をどうにかすることなのだ。薬物による侵襲は、彼自身によるか、あるいは他者に薬物治療を任せることになり、彼の自分自身をケアする能力を低下させるのである。

 

 

 

診断の帝国主義

医療化された社会では、医師の影響力は財布や薬箱だけでなく、人々をどのようなカテゴリーに分類するかにも及ぶ。医療官僚は、人々を、車を運転してもよい人、仕事を離れてもよい人、監禁されなければならない人、兵士になってもよい人、国境を越え、料理や売春をしてもよい人、アメリカの副大統領に立候補してはならない人、死んだ人、犯罪を犯す可能性がある人、犯行に走りやすい人、に細分化するのである。

1766年11月5日、女帝マリア・テレジアは、真実の、つまり「正確な」証言を得るために、拷問の可否を法廷医に証明するよう求める勅令を出した。これは、医師の証明を必須と定めた最初の法律の一つであった。それ以来、書式に記入し、文書に署名することでますます多くの医療時間が奪われることになった 。何種類にも増えた証明書はそれらを持つ人に、市民の意見ではなく、医学判断に基づいた特別な状況を作り出す。

 

治療以外の目的で使用されるこの医療化された証明は、二つの明白なことを行う。

(1)   証明を受けた人を仕事、刑務所、兵役、結婚の絆から免除し、

(2)   施設に収容し、就労を否定することによって、証明を受けた人の自由を侵害する権利を他人に与える。

 

また、医学的な証明書の普及によって、学校、就職、政治の場でに新たに治療機能の機会が作られることになる。多くの人が「逸脱者」と認定される社会では、そのような「逸脱者」が多く集まる環境は病院に似てくる。病院で一生を過ごすということは、明らかに健康に悪い。社会が組織化され、胎児、新生児、閉経などの「年齢によるリスク」を理由として、医学が人々を患者に変えることができるようになると、人々は必然的に医療者に対する自律性を失う。人生の各段階を儀式化することは、何も新しいことではない。新しいことは過度ない医療化なのだ。呪術師や薬師は、悪意ある魔女とは反対に、アザンデ族の人々の健康の営為をある段階から次の段階へ劇的に変えたのである。

 

医療の官僚主義は、親を学校の前で、また未成年者を裁判所の前で止め、老人を家庭から連れ出す。専門的な場所となることで、学校も職場も家庭すらも、ほとんどの人にとって不適なものになる。人間の病気のほとんどは、急性で良性の病気であり、自己限定的であるか、数十の日常的な治療処置によって対処できるものである。さまざまな症状は、治療が最小限の場合に最もよく回復するものである。「ヒポクラテスは、「病人にとって、最小のもの(=医療的介入)が最良である」と言っている。

 

多くの場合、学識ある良心的な医師にできることは、障害を抱えながらも生きていけることを患者に納得させ、時間と共に回復すること、あるいはモルヒネが必要になったときに入手できることを言い聞かせ、(患者の)祖母ができたであろうことをやってあげ、あとは自然にまかせることだ。よく使われる新しいコツのようなものはとても簡単で、最後の世代のおばあさんたちは、医学の神秘主義によって無力感の虜にされていなければ、とっくの昔に学んでいただろう。

 

ボーイスカウトの訓練、善きサマリア人の法律、自動車に救急装備を義務づけることなどがあれば、どんな救命ヘリコプターよりも高速道路での死亡を防ぐことができるだろう。これらはプライマリーケアの一環であり、専門家の仕事を必要とはするが、人口学的に効果が証明されている介入施策であり、私や周囲の人々がその必要性を理解し、最初の対処を行う責任があると感じるなら、もっと効果的に用いることができるだろう。

 

急性疾患では、専門医を必要とするほど複雑な治療は往々にして効果的でないことが多く、ましてやそのような医療を受けられないか、手遅れになる。イングランドとウェールズでは、社会に医療が広まり出して20年になった時点で、医師が冠動脈疾患の患者に対処できるのは、症状が出始めてから平均4時間後であり、この時までに患者の50%が死亡している。現代医学が特定の症状の治療に非常に有効になってきたが、それがすなわち患者の健康にとってより有益になったとは言えない。

 

リューマチ、盲腸、心不全、退行性疾患、多くの感染症など、従来から病気とされてきた疾患だけでなく、ごく近年になって医療の対象となった疾患には、例外があるものの医療の有効性については明らかに限界がある。例えば、老齢期に入れば、おぼつかなくなり、哀れな最期を迎えるものと考えられてきたが、決して病気とは考えらていなかった。老齢医療の需要が高まったのは、単に生き残る老人が増えたからではなく、加齢(による症状)を治すべきだと主張する人が増えたからである。寿命の限界は変わっていないが、平均寿命は変わっている。出生時の平均寿命は非常に伸びている。どんなに病弱で、特別な環境やケアが必要な子どもでも、多くの子どもたちが生き延びている。若い成人世代の平均寿命は、一部の貧しい国々ではまだ伸び続けている。

 

しかし、豊かな国々では、15歳から45歳までの平均寿命は停滞する傾向にある。事故や文明がもたらした新しい病気によって、以前には肺炎やその他の感染症に倒れたのと同じくらい、多くの人が亡くなっている。老人が相対的に増えてきたが、老人はますます病気になりやすく、居場所がなく、救いがない。いくら薬を飲んでも、どんなケアをされても、平均寿命は65歳とこの100年間変わっていない。

 

医学は加齢に伴う病気にはあまり手を出せないし、加齢の過程や既往歴そのものにはもっと手を出せない。 循環器疾患、癌の大部分、関節炎、進行性の肝硬変、単なる風邪でさえも治せないのである。幸いなことは、高齢者の苦痛を軽減することはできる。残念なことは、専門家の介入を必要とする高齢者の治療の多くは、痛みを増幅させるだけでなく、成功しても痛みを長引かせる傾向がある。歴史的には人口統計学的に老齢化が顕著になったあたりから、加齢が医療化された。アメリカの医療予算の28パーセントは、65歳以上の人口の10パーセントに費やされている。この少数の人口グループは、それ以外の人口グループを年率3%の割合で上回っており、一人当たりの医療費は、全人口のそれよりも5〜7%速いペースで上昇しているのである。高齢者の多くが専門的なケアを受ける権利を獲得するにつれ、自立した老後を送る機会が減少する。

 

より多くの人が(老人)施設に入居せざるを得なくなる。同時に、多くの高齢者が、永続的な障害の矯正や不治の病の治療を受けるようになると、老齢者に対するサービスを受けられない状況は雪だるま式に膨らむ。高齢者の女性の視力が落ちた場合、「盲人施設」(盲人のためのサービスを提供する米国の800余りの機関の一つ)に入らなければその困難な状況は分からないが、できればリハビリによって若者が仕事に復帰できるようにするための施設が望ましい。若くもなく、働き盛りでもない高齢者女性は、不承不承の歓迎を受けると同時に、高齢者施設になじめないだろう。このように、彼女は、視力障碍者として(失った)社会性を取り戻すための施設と、老化現象を医療化する施設という、二つの施設によって、限界まで医療化されることになるのである。

 

老人が専門的なサービスに依存するようになると、より多くの人々が老人のための専門施設に入居するようになる半面、近隣の住人たちは、施設に依存する人々に対して、ますます不親切な態度になる。これらの施設は、 多くの社会で直截的にだが、恐らくはそれほど酷くはないやり方で収容した老人たちを処分しようとする現代の戦略のように思える 。施設に収容された最初の1年間の死亡率は、住み慣れた環境にいる人の死亡率よりかなり高い。家庭から引き離されることで、多くの深刻な病が発生し、死亡率が高くなる。老人の中には、命を縮めることを目的に施設入所を希望する人もいる。

 

(他者への)依存は常に苦痛であり、高齢者にとってはなおさらである。現代の老年期においては、それまでの人生における特権あるいは貧困が究極の形で現れる。人生の終末期における医療化は貧しい人々が甘受しなければならないものであり、社会が豊かになるにつれて、ますます強化され、一般化していく。これを避けることが選択できるのは、非常に豊かで自立した人々だけなのである。老年期になれば専門的なサービスを求めるという状態に変わっていくことで、高齢者は、税金で支えられている特権を多かれすくなかれ奪われると痛感する少数派に転落する。

 

他人から無視されて、時に惨めで辛く失望する弱い老人(の立場)から、最も悲しい消費者集団である「満たされることのない、プログラム化された老人」という、認定されたメンバーになってしまうのだ。医学によるレッテル貼りが人生の終わりに行われているように、人生の始まりに対しても同様になされている。まず老年期に対して医師の力が及び、やがて早期退職や壮年期にまで及んだように、 19世紀半ばに始まった分娩室に対する医師の権威は、保育園、幼稚園、教室へと広がり、幼児期、小児期、初老期を医療化するようになった。しかし、高齢者の医療費増大の抑制を主張することは許されるようになったが、子供へのいわゆる医療投資の抑制は、いまだにタブー視されているようだ。

 

16年間の正規の教育で鍛え上げられた人材でなければ適応することが難しくなった社会のために、労働力を生み出すことを余儀なくされた産業社会の親たちは、子供たちを自ら世話をすることに無力感を覚え、絶望して薬を与えるのである。アメリカの医療費を現在の約1000億ドルから1950年の100億ドルにまで減らそうとか、コロンビアの医学部を閉鎖しようという提案は、決して議論の対象にならない。なぜなら、それを提案した人は、すぐに幼児虐殺や貧困層の人びとはどれだけ死んでもかまわないという、冷酷な提案者として信用を失ってしまうからだ。

 

経済的に生産性の高い人材にするための工学的アプローチは、小児期の死をスキャンダルとし、早期疾病による障害を公衆の問題とし、修復不可である先天奇形を見るに堪えないものとし、優生学的出産コントロールの可能性を70年代の国際会議の好ましいテーマとしたのである。乳幼児死亡率に関しては、確かに減少している。先進国の平均寿命は、18世紀の35歳から、今日では70歳まで延びている。例えば、イングランドとウェールズでは、出生1000人当たりの乳幼児死亡者数が1840年の154人から1960年の22人に減少しているのである。

 

しかし、多くの命が救われたからと言って、医師の訓練を前提とした治療介入に帰するのはまったく間違っている。また、アメリカの10倍にもなる貧しい国々の乳児死亡率を、医師の不足に帰するのは妄想であろう。食糧、防腐剤、土木工学、そして何よりも、どんなに虚弱で、奇形でも、子供の死に対する新しい価値観が広く浸透していることが重要な要因であり、医療的介入とはほとんど関係のない変化なのである。乳幼児死亡率の総計では、アメリカは世界の17位にランクされているが、貧困層の乳幼児死亡率は高所得層よりもはるかに高い。ニューヨーク市では、黒人の乳幼児死亡率は一般の人々の2倍以上であり、タイやジャマイカのような多くの低開発国よりも高いだろう。

 

したがって、乳幼児の死亡を防ぐために医師の数が必要だという主張は、所得の平等化を避けると同時に、専門家の仕事を増やす方法であることが分かる。医師数は一般的な環境で変化するが、これを以て健康にとってプラスであると主張することも同様に無理がある。医師は防腐剤、予防接種、栄養補助食品を開発したが、同時に哺乳瓶への切り替えにも関与し、伝統的な授乳を現代的な乳児に変え、仕事を持つ母親たちに工業製品である粉ミルクを提供したのである。

 

この切り替えが、母乳によって育まれる自然の免疫機構に与えるダメージと、哺乳瓶を使うことの肉体的・精神的ストレスは、人々が予防接種から得られる利益と同等かそれ以上に大きい。さらに深刻なのは、世界的なタンパク質飢餓の脅威に哺乳瓶が貢献しているということである。例えば、1960年には、チリの母親の96%が乳児を1歳の誕生日まで、そしてそれ以降も母乳で育てていた。しかし、その後10年間、チリの女性たちは、右派のキリスト教民主党とさまざまな左派政党による激しい政治的洗脳を受けてきた。1970年までに、1歳を超えて母乳で育てたのはわずか6パーセント、80パーセントが満2カ月になる前に乳離れしていた。

 

その結果、人の母乳の84パーセントが生産されないままになっている。哺乳瓶がステータス・シンボルとなるにつれ、乳房に吸いつけなかった子どもたちに新たな病気が発生した。母親たちは今までの様子が異なる赤ん坊に対処する伝統的なノウハウを持たないため、赤ん坊は医療行為とそのリスクの新たなターゲットとなったのである。このように、市販のベビーフードを母乳に置き換えたことによる健康上の損失総額は、小児期の病気の治療や医療介入と三ツ口から心臓奇形まで含めた外科的手術の恩恵と比較しても釣り合うものかどうか、という所である。

 

もちろん、診断の根拠から保健関連の商品を必要とする年齢層の医学的分類が、不健康を生み出すのではなく、繭としての家族、贈与関係のネットワークとしての近隣(関係)、地域の生活共同体のシェルターとしての環境が崩壊し、健康を否定する状態になっていることを反映しているに過ぎないと主張することもできる。確かに、医療化された社会認識は、資本集約的な生産体制による現実を反映し、核家族化、各種の福祉団体の存在、そして家庭、近隣、環境を劣化させる自然の破壊という社会の実態に即したものであることは事実である。

 

しかし、医学は単に現実を映すものではなく、人間が進化してきた社会的繭(=源泉)を損なう過程を強化し、再生産するものである。医学的分類は、母乳よりもベビーフード、家庭の片隅よりも老人ホームのような基本的条件の帝国主義化を正当化する。新生児の健康が証明されるまでは入院患者として扱い、祖母の訴えを患者尊重としてではなく、治療が必要な状況と定義することによって、医療は人を消費者とみなす生物学的な正当性を生み出すだけでなく、巨大なマシン(=医療体制、組織)の膨張を促す新しい圧力も生み出している。そのマシンに適合する人々の遺伝子選別は、医学社会的コントロールの論理的な次のステップである。

 

 

予防と社会的レッテル

(根治を目的とした)治療が有効でなく、多額の費用を要し、苦痛を伴う状況に次第に関心が集まるようになってきたことから、医学は予防を売り物にするようになった。罹患率という概念は、予測できるリスクをカバーするために拡大された。病気の治療と並んで、保健医療は商品となり、自らの営為ではなく、お金を払って買うものになった。会社が払う給料が高ければ高いほど、特権的地位が高ければ高いほど、貴重な歯車(=組織における人材)に油を注いでおくために多くの費用がかかる。このように、資本化された人材にかかる維持費が、上層のステータスの新しい指標となる。この言葉は、フランス語、セルビア語、スペイン語、マレー語、フンガリア語の辞書に載っている。人々は病気でなくとも患者(=患者予備軍)にさせられているのだ。このように、予防の医療化は、社会的医原病の主要な一つの症状となっている。それは、自からの未来に対する個人的な責任を、第三者による管理に任せるように変えてしまう。

 

通常、通常の診断における危険性は、定型的な治療の危険性ほどには恐れられていない。しかし、医学的分類(=診断)によって引き起こされる社会的、身体的、心理的なダメージについては十分な記録がある。医師とその助手が下す診断(名)は、一時的な患者役割であれ永続的な患者役割であれどちらでも明らかにすることができる。どちらの場合でも、診断(名)は(患者の)心身の状態に、権威がありそうな評価が創り出した社会的な状態を付加することになる。獣医が牛のジステンバーを診断しても、通常は牛の行動に影響を与えない。

しかし、医師が人に対して診断を行う時には、診断は人に影響するのである。

 

こうした場合、医師は治療者として、病人と診断した人にある種の権利、義務、弁解を与えるが、それらは条件付きで一時的な合法性を持ち、患者が治癒した時点で消滅するものであり、ほとんどの病気では患者個人の評判に医師の指示に従わないとか、素行が悪かったなどの汚点を残さない。元アレルギー患者や元盲腸切除患者には誰も興味を示さないし、元交通違反を犯した者として記憶されることもないのと同じである。しかし、それ以外の場合、医師はまるで保険計理士のように行動し、彼の診断が患者や、時にはその子供の名誉を生涯にわたって傷つけることがある。その人のアイデンティティに回復不可能なダメージを加え、一生の汚名を着せるのである。

 

客観的な状態(=病状など)はとうの昔に消えてしまったかもしれないが、医原性を持ったレッテルはつきまとう。前科者、元精神病患者、初めて心臓発作を起こした人、元アルコール中毒者、鎌状赤血球の遺伝子を持つ人、(最近までは)元結核患者のように、一生白い目で扱われるのである。たとえ疑わしい病気が実際にはなかったとしても、専門家による疑いだけで烙印を正当化することができるのである。医学的なレッテルは、際限のない(医師の)指示、治療、差別に患者が従えば罰を加えることはしないが、それらは専門的見地から想定される患者への恩恵と引き換えに課せられるのである。

 

かつては、医学は人々に二つのレッテルを貼っていた。かつての医学は、治療が可能な人と、ハンセン病患者、廃人、奇病患者、瀕死の人など、回復不可能な人にレッテルを貼っていた。なんにせよ、診断(名)が汚名につながる可能性があった。しかし、予防医学は第三の道を開く。予防医学は医師を、公的資格を持つ奇術師に変え、その予言(=診断)はそれまで害されてなかった人たちまでも無力化してしまうのである。

 

診断によって、劣勢の遺伝子を持つ生命は堕胎され、別の人間は昇進を拒否され、第三者は政治生命を絶たれるれるかもしれないのである。健康リスクを名目とした大衆狩りは、特別な保護が必要な人々をとらえるためにデザインされた捜査網から始まる。妊婦への訪問、乳児をケアするクリニック、学校やキャンプでの検診、前払い医療制度などだ。

 

最近、遺伝子や血圧の「カウンセリング」サービスが加わった。アメリカでは病気狩りが組織的に行うことを自賛してきたが、後になってその有用性に疑問を呈するようになったことでも、世界をリードしてきた。過去10年間に、自動化された項目の健康診断が実用化され、メイヨー(クリニック)やマサチューセッツ総合病院に貧困層の患者を送り込むものとして歓迎されるようになった。複雑な化学的検査や医学的検査が流れ作業となり、補助的な技術者でも驚くほど低コストで行うことができる。この検査は、60年代にヒューストンやモスクワの最も上層の人びとが受けた検査よりも、隠れている治療の必要性を数千万倍もの精度で発見することができる、とされている。

 

このテストが始まった当初は、対照とする研究がなかったために、この大規模な予防法を売り込むセールスマンが根拠のない期待を抱いたのである。(最近になって、メンテナンスサービスや早期診断の恩恵を受けているグループの比較対照研究が可能になったが、そうした20もの研究によると、こうした診断方法は、たとえその後に高度な医療行為が行われたとしても、寿命にプラスの影響を与えないことが分かっている)。

皮肉なことに、このような検診で発見される成人の無症状疾患は、難病であることが多く、早期治療が患者の体調を悪化させるだけである。いずれにせよ、健康だと思っていた人が、その判定結果に不安を抱く患者に変わってしまうのである。

 

医学は病気の発見において、新しい病気を「発見」することと、ある患者がその病気にかかっていると診断することの2つのことを行う。新しい病気のカテゴリーを発見することは、医学者の誇りである。トム、ディック、ハリーら(病理学担当者)に病理検査を依頼することは、コンサルタント業の一員として行う医師の最初の仕事である。行動し、そして自分の気がかりなことを表明するよう訓練されて、病気を診断できるようになると、(医師は自分自身が)活動的で(人の)役に立ち、効力を持っていると感じる。

 

理論的には、医師は初診時に患者が何らかの病気であるとは考えないが、フェイルセーフの原則に基づき、患者は病気であると仮定する方が、疾病を無視するよりも良いとして行動するのが普通である。医療判断のルールにより、健康ではなく病気を診断することで安全を求めるようになる。この種のバイアスを典型的に示すのが、1934年に行われた実験である。ニューヨークの公立学校の11歳の子どもたち1,000人を調査したところ、61パーセントが扁桃腺を切除していることが判明した。「残りの39パーセントは、医師グループの検査を受け、そのうちの45パーセントが扁桃腺切除術の対象として選ばれ、残りは対象から外された。対象から外された子供たちは別の医師のグループによって再検査を受け、初回の検査で切除の対象とならなかった子供たちの46%が切除を勧められた。

3回目の診察時にもそれまでと同様の割合の子供たちが切除の対象と診断され、その結果、最後まで扁桃腺摘出術を勧められなかったのは(わずかに)65名だけであった。これらの被験者は、診察医の手配が尽きたため、それ以上診察されなかった。この検査は無料診療所で行われたもので、金銭的な要因では偏りを説明できない。

 

病気を好む診断バイアスは、頻繁な診断ミスを引き起こす。医学は疑わしいカテゴリーを詮索するのが好きであるばかりでなく、どんな裁判制度においてもあり得ないほどの割合で誤判断を犯す。ある事例では、イギリスの大学のクリニックにおいて心不全と診断されて亡くなった患者の半数以上が、実は別の病気で死んでいたことが検死で明らかになった。また、同じ胸部X線写真を同じ専門医のチームに別の機会に見せたところ、全症例の20パーセントで診断が変わってしまったという例もある。

 

咳をする、痰が出る、胃痙攣があるといったことをスミス医師に話す患者は、ジョーンズ医師 に話す患者の最大3倍にもなる。病院内で実施する単純な検査について、同じサンプルを使って2つの異なるラボで行ったところ、4分の1が著しく異なった結果を示す。また、(診断)機器がまったく無謬であるとも思えない。骨盤手術が適応とされた83の症例について、診断機器と診断士が競争したところ、人間と診断機器の両方が正しい場合が22件、コンピュータが医師の診断を正しく間違いとした場合が37件、医師がコンピュータの誤りを証明した場合が11件、両方とも誤りであった場合が10件という病理結果が得られた。

 

診断のバイアスと間違いに加え、無謀な医学的介入もある。心臓カテーテル検査は、患者が心筋症に罹患しているかどうかを確認するために行われるが、日常的に行われているわけではなく、費用は350ドルで、50人に1人が死亡している。しかし、その結果による鑑別診断が、患者の余命や快適さを向上させるという証拠はない。検査の大半は死ぬことがあるようなものではなく、もっと一般的に行われているが、それでも多くの検査は本人やその子孫にとって、検査結果の価値よりもはるかに高い明らかなリスクがある。

 

幼い子どもにレントゲンや蛍光透視装置を日常的に使用すること、試薬やトレーサーの注射や投与、子どもの多動性診断のためのリタリンの使用などがその例である。教師が医療の権限を委譲されている公立学校に通うことは、子どもたちの大きな健康上のリスクとなる。

単純で無害とされる検査であっても、その回数が増えればリスクとなる。ある検査が他の検査と関連している場合、その検査が単独で実施される場合よりもかなり大きな害を及ぼす力を持つ。多くの場合、検査は治療法の選択に指針を与える。

 

しかし残念なことに、検査がより複雑になり、回数が増えると、そうした検査結果は、患者が生き延びるためだけの介入方法を選択する指針にしかならず、必ずしも患者の助けになるとは限らないことがよくある。最悪なのは、複雑な検査で陽性と診断された場合、検査による害があろうとなかろうと、患者は不快で苦痛でしかない、不自由で高額な治療を強いられるというリスクを負うことである。医者が医者ににかかるまでに、一般の人びとより長くかかる傾向があるのも不思議ではないし、かかったときにはもっとひどい状態になっているのだ。

 

大規模な集団に対して早期の診断を定期的に行うことで、医学者は治療施設に最も適した症例や、研究目標にとって有用な症例を選択するための幅広い基盤を得ることができる。それが治療、リハビリテーション、癒しの効果があるかどうかにかかわらずに、である。そうしたプロセスを経て、人々は、自分はメンテナンスショップに行くことで耐久性が決まる機械であるという信念が強化され、医療体制のための市場調査や営業活動のツケを払わなければならないだけでなく、圧力も受けることになる。

 

診断は常に(患者の)ストレスを強め、何ができないかを定義し、無気力にし、回復しないこと、不確かなこと、将来の見通しについての医学的所見に依存しようという気持ちにさせる。また、人を特別な役割に押し込め、正常な人や健康な人から切り離し、専門家の権威に従うことを要求する。ひとたび社会が疾病予防のために組織化されると、診断が伝染病の性格を帯びることになる。

 

この治療文化の究極の勝利は、平均的な健康人の自立をひどく歪んだものに変えてしまう。長い目で見れば、このように内面的な統制システム社会の活動が有力なものとなれば、余命が商品と幻影化されることにつながる。統計上の人間を、生物学的に個々の人間と同一視することで、(医療という)有限な資源に対して、限度を超えた要求が生み出される。個人は全体のより大きな「必要性」に従い、予防処置が強制される。そして、社会はより高額な治療処置の負担に耐えられないので、患者は診断に従うべきと医師が主張すると、患者は治療に対する同意を留保しておく権利は失せてしまう。

 

 

終末の儀式

患者が死に行く儀式で治療はその頂点に達する。1日に500ドルから2000ドルの費用をかけ、白と青の衣装、患者の遺体を消毒液の匂いで包み込む。お香や薪がエキゾチックであればあるほど、死は僧侶たちをあざ笑うのである。

 

医療技術の宗教的利用が(本来の)技術的目的よりも優先されるようになり、医師と葬儀屋の境界線があいまいになっている。ベッドは生死の境にある患者で満杯になる。呪術医は自らを危機の管理者とみなしている。狡猾な方法で、医者は患者の最期に当たって、(医療という)無限の力について社会が持つ夢を消すようにする。銀行や州、あるいは精神科のクリニックの危機管理者と同じように、彼は目的に適わない戦略を計画し、資源を浪費するのだが、その無駄と無益さはグロテスクに思える。患者の最期の時に至って、医師は患者本人にとっては全く重要でない、絶対的な優先事項を患者に約束する。危機(管理)の儀式化は、病的な社会の一般的な特徴で、医療従事者に三つのことをさせる。

それは通常、軍隊だけが要求できる免許を彼に与えることである。危機によるストレスの中で、指揮を執っていると思われる専門家は、通常の正義や良識のルールから免除されていることが容易に推測できる。死の管理を任された者は、一般の人間でなくなる。重症者を選別する責任者と同様、彼の殺人に関わる行為は政策の範疇に含まれる。 さらに重要なのは、彼のすべての行動が危機という雰囲気の中で行われることである。

 

この世のものとは思えない厳かな境界を作り出すことで、医療ビジネスが主張する時空は、宗教や軍事のそれらに匹敵する神聖なものとなる。終末医療の医療化は、死への恐れを儀式化し、あられもない行為を認可、拡大するだけでなく、終末処置がエスカレートしていくと、医師が持つ技術の有効性を証明する必要もなくなる。もっと、もっとと多くを要求する力に限度はない。最後の段階として、患者が死ぬことで、医師にはできることも、批判されることもなくなる。患者の最後の視線の中と「モリツリ」(注:モリツリ南太平洋爆破作戦1965年米国映画)の生涯の展望には、希望はなく、ただ医師の最後の期待だけが残るのみである。いかなる病院であっても(死という)非常事態あっては莫大な費用が正当化されている。

 

病院で死を迎えることは、今や風土病のようなものである。この25年間のうちに、病院で死を迎えるアメリカ人の割合は3割以上増えた。諸外国における病院死の割合は、さらに急速に増加している。(病院の)医療を受けずに死ぬことは、片意地なロマンチスト、特権に恵まれた人、あるいは災害と同義になる。人の終末期に要する費用は1200%増加していると推定されており、医療全体の費用よりもはるかに速いスピードで増加している。同時に、少なくともアメリカでは、葬儀の費用は安定し、その増加率は一般消費者物価指数の上昇と一致するようになった。

 

終末期の儀式で最も手の込んだものは、今や死にゆく患者を医学的管理のもとに取り囲むもので、遺体の引き取りや埋葬から切り離されたものである。医療を受けずに死ぬことの恐怖を反映し、墓場から病室へ贅沢な支出の切り替えが行われ、保険の加入者は自らの葬儀に参加するための費用を支払う。18世紀のエリートは宗教の力を拒み、死後の世界への信仰を拒否したが、(その代償として)医療に頼らない死への恐怖を最初に感じたものである。この新しく生じた恐怖のうねりは、今や富裕層と貧困層も巻き込み、平等主義の思想と結びついて、新しい商品のカテゴリーを作り出した。

 

このような商品を流通させるために、延命技術や死をより快適で受け入れやすくする方法について、何を捨て、何を採り、選択を(どう)正当化するかという問題を扱う、法律や倫理の新しい一分野が生まれた。概して言えば、これらの著作は現代の法学者や哲学者の精神について驚くべきことを語っている。著者のほとんどは、彼らの思索の基盤となる技術が実際に延命効果を持つことを証明されたかどうか問うことさえしていない。高額の費用のかかる儀式は役に立つに違いないという妄想を疑うことなく従っている。

 

このようにして、法と倫理は、政治的に無害な医療の平等性を死の間際において実現する政策には価値があるという信念を強めるのである。医療の恩恵を受けずに死ぬことの現代の恐怖は、人生を終末期に向けた奪い合い競争のようなものとし、個人の自信を喪失させている。それは、現代の人間は(死を迎える)時が来たことを知っても、自分の死を自分の手で受け止める自律性を失っているのだ、という確信を強めてきた。医師は、自分が治療者として役に立たなくなった時点が来たことを思い知らされることを拒否し、患者の顔に死が現れた時に引き下がることも拒否し、医師は言い訳や虚言に終始する。

 

自分で死にたくないという気持ちが、患者を哀れなほど(他者に)依存させる。患者は今、自分の死ぬ能力、己の状態が最期においてどのようなものになるのかという確信を失い、病院で死ぬことの権利を大きな問題にする。病院における死に対する文化的志向の中には、ある種の期待というものを検討しなければならないものが含まれる。入院すれば痛みが軽減される」「入院すれば長生きできるかもしれない」と考える人がいる。どちらも真実とは言えないだろう。イギリスの平均的なクリニックに命に係わる状態で入院した人のうち、10%が当日に、30%が1週間以内に、75%が1ヶ月以内に、97%が3ヶ月以内に死亡している。終末期医療用のホームでは、56%が入院後1週間以内に死亡している。末期がんでは、終末期のホームで看取る人と病院で看取る人の間に余命の差はない。

 

末期がん患者のうち、自宅で特別な看護が必要なのは4分の1で、それも最後の数週間のみである。半数以上の人は、(終末期の)苦しみが弱まり、不快に思う程度に収まり、また痛みも和らぐ。しかも自宅で過ごすことで、例外的な病院を別とすれば、往々にしてつきものの強制退院、孤独感、屈辱感を避けることができるのだ。貧しい黒人はこのことを知っているようで、死に行く患者を家に連れて帰り、病院の決まりを乱している。

 

アヘンは要望したところで容易に使ってもらえるものではない。数ヶ月以上、数年にわたる激痛で、麻薬があれば耐えられるような患者も、(ガンは)不治の病であっても直ちに死ぬ状態ではないので、習慣性にならないよう、自宅でも病院でも投薬を拒否されることが多い。 最後に言及することは、人々は入院によって死から生還する可能性が高まると信じているのである。明白な例外はあるが、この点でも多くの場合人々は誤っている。現在では、病院の優れた医療技術によって救われるよりも、病院の都合のよい管理のために亡くなる人の方が多い。貧しい国々では、過去10年間にコレラや下痢で死亡した子どもの数が増えている。それは、簡単な解決策である時間通りに水分を経口補給しなかったからである。豊かな国々では、中絶器具の使用による死亡が、こうして助かった命の数と拮抗し始めている。病院の「崇拝」は、病院の実績とは無関係である。

 

 

他の成長産業と同様、医療制度はその成果を、需要が無限にあると思われるところ、つまり死への対抗に振り向ける。増加した税金のうち、末期患者の延命技術に充てられる割合が増加している。複雑化した官僚機構は、腎不全の危機に瀕したアメリカ人に対して、6人に1人、あるいは3人に1人の割合で腎透析よる生命維持を聖職者然とした態度で選択する。患者として選択された者は絶妙な拷問を受けながら死ぬという希なる特権を望むように仕向けられる。ある医師が、彼自身の病気と治療についての記録の中で述べているように、臓器移植を受けた患者は、人工腎臓によって永らえた最初の1,2年の間は自殺することのないよう、多大の時間と努力を必要とする。大多数が公権力の支配下で死ぬ社会では、かつて合法化された殺人や処刑にまつわる厳粛な雰囲気が終末期の病棟を飾っている。

 

昏睡状態の人々に対するこれでもかというほど贅沢な治療は、他の文化においては死ぬ運命にある人の朝食に過ぎない。ハイテク医療と死に対して一般の人々が寄せる関心は、奇跡を起こす技術に対する根強い欲求として理解することができる。集中治療は、死と闘う医療聖職者を中心に組織された大衆が崇拝する頂点にすぎない。

 

こうした活動に資金を提供しようとする市民の意欲は、医療の非技術的な機能に対する欲求を表している。例えば、心臓集中治療室はよく知られているが、治療による患者の利益は統計的に証明されていない。この病棟は、通常の患者のケアに必要な3倍の設備と5倍のスタッフを必要とし、米国の病院看護師の12パーセントがこの雄々しい医療に従事している。この派手なビジネスは、昔の典礼のように、税金の強要、贈与の勧誘、犠牲者の調達によって支えられているのである。

 

大規模な無作為標本を使って、これらの医療機関で治療を受けている患者の死亡率や回復率を、自宅で治療を受けている患者のそれと比較している。しかし、今のところそのような利点は見いだされていない。心筋梗塞の患者自身は、病院が怖くていざというときには知り合いの近くにいたいと、在宅医療を希望する傾向がある。慎重に実施された統計的分析では、そのような人々の直感が正しいことが確かめられている:つまり病院での機械的治療の恩恵を受けた患者の死亡率が高いのは、概して(病院の治療に対する)恐怖のせいである。

 

 

 

 

 

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