Limits to Medicine Medical Nemesis: The Expropriation of Health脱病院化社会を読み直す(4)

・第II部社会の中の医原病 Social Iatrogenesis (原著page 107-124)

黒魔術診断の帝国主義

患者という多数者

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黒魔術

患者や患者の環境の物理的・生化学的なありように技術的介入を行うことは、病院の唯一の機能ではなく、これまでもそうであった。病原菌の排除や治療薬(有効かどうかは別として)を使用することは、人間と病気をつなぐ唯一の手段というわけでは決してない。医師がその役割を果たすために技術的武装をしている状況であっても、医師は必然的に宗教的、魔術的、倫理的、政治的機能も果たしているのである。これらの機能において、現代の医師は、治療者であるよりも病原体というべきであり、良く言っても役立たずのものにすぎない。

 魔術や儀式による癒しは、明らかに現代の医療においても重要な伝統的機能の一つとなっている。魔術では、治療者は設定や舞台操る。多少なりとも人間離れした方法で、治療者自身と個人から成るグループの間にいっときの関係を築くのである。魔術は患者と術者の意図が一致したときに効果を発揮するが、科学に基づいた医学においては、医師がパートタイムの魔術師となるまでにかなりの時を要した。しかし、現代医学では、医師が白魔術[1] を職業として行っていることを、医療技術の機能から区別するために(そして、医師がヤブ医者であるという非難を避けるために)、「プラセボ」という用語が創られた。医者からもらったということで、砂糖の錠剤が効くと、その砂糖の錠剤はプラセボ(偽薬)として作用しているのである。プラセボ(ラテン語で「喜ばせる」という意味)は、患者だけでなく、投与する医師も喜ばせる。

 高度の文化においては、宗教的な医療は魔法とは全く異なるものである。主だった宗教は、不幸に対する諦観を育み、苦しみが威厳に満ちたものとなる共同体の環境、拠り所、スタイルを恵むのである。

 苦しみを受け入れることで訪れる機会は、過去の転生を通じて蓄積された宿命として、イスラム教への招待、神へ帰依として、あるいは十字架に架けられた救い主とより密接に繋がる機会として、偉大な伝統それぞれに従い説明することができる。

崇高な宗教は、癒しに対する個人の責任を促し、時に真摯かつ厳かに、時によく慰めるために聖職者を遣わし、倣うべき聖人を現わし、伝統医療をやってみようという信念をもたらす。私たちが住む世俗的な社会では、宗教団体はかつての儀式的な癒しの役割のほんの一部を残しているに過ぎない。

 敬虔なカトリック教徒は個人的な祈りから心底からの力を得るかもしれないし、辺境の地からサンパウロに最近やってきた人々はアフロ・ラテン舞踏の信仰で日常的に潰瘍を治しているかもしれないし、ガンジスの谷のインド人は今でもヴェーダを歌うことに健康を求める。しかし、そのようなことは、一人当たりのGNPが一定以上の社会では、現実離れしたものでしかないのである。こうした産業化された社会では、世俗的な組織が有力な神話を作る儀式を運営している。

 教育、交通、報道機関などの各グループは、ヴェイグリン[2] が現代の霊的認知と表現しているのと同じ社会的神話を、別の名前で宣伝しているのである。霊的認知派の世界観とそのカルトに共通するのは、6つの特徴である。

(1)世界が本質的に組織化されていないと考え、現世界に不満を持つ運動のメンバーによって実践される。

(2)この世からの救済は、可能であり、

(3)少なくとも選民には実現でき、

(4)今の世代に間に実現でき、さらに、この救いは

(5)(その目的のために用意された)技術の適用に依存し、

(6)そのための特別な方式を独占する改革者にのみ許されると信じている。

これらのカルト的信念はすべて、医療技術に関わる社会組織の根底にあり、その結果、19世紀の進歩の理想を儀式化し、賛美しているのである。

 医学・医療の重要な非技術的機能のうち、第三のものは、魔術的でもなく倫理的、宗教的でもない世俗的なものである。それは、魔術師が熟練した補佐とともに入りこむ怪しい企てにも、司祭が話す神話にも依存せず、医療文化が創り出す対人関係に依存する。医学は共同体に動機を与え組織化することで、虚弱な人、老齢の人、優しい人、不具の人、鬱病の人、躁病の人に多かれ少なかれ個人的に接するようにできる。医学は、社会の贈与関係を調整することができる。不幸な人への同情、障碍者へのもてなし、問題を抱えた人に対する情状の酌量、老齢者への敬意が発達した文化は、その社会の大部分(の人びと)の生活を日常のものとすることができるだろう。

 癒しを行うものは神々の祭司であったり、法律を司る者であったり、魔術師であったり、霊媒師であったり、理髪師であったり、科学的助言者であったりした。14世紀以前のヨーロッパには、我々が言う「ドクター」という言葉のおおよその意味範囲を持つ通称さえ存在しなかった。

 ギリシャでは、主に奴隷として使われていた修理工が早くから尊敬されていたが、癒しの哲学者や自由人のための体操選手とはレベルが違うものであった。 共和国ローマでは、専門の治療師はいかがわしい存在と見なされていた。共和制ローマでは、給水、排水、ゴミの除去、軍事訓練に関する法律と、国家的な治癒神崇拝とで十分とされ、祖母が醸した酒や軍の衛生兵には格別な注意を払ってもらえるほどの威厳はなかった。ユリウス・カエサルが紀元前46年にアスクレピオスの最初のグループに市民権を与えるまで、(これらの者に)特権(を与えること)はギリシャの医師や癒しの司祭が拒絶していた。アラブ人は医者を尊敬していたが、ユダヤ人は医療を彼らのゲットーの[3] 質に委ねていたこともあれば、やましい心をアラブ人の医師に植え込んだこともある。医学のいくつかの機能は、異なる役割がある中で、異なる方法で組み合せからなる。医療を独占する最初の職業は、20世紀末の医師である。

 逆説的だが、病気の技術的治療に注目が集まれば集まるほど、医療技術が果たすシンボリックな非技術的な機能が大きくなる。がん治療のある分野で、より多くの資金が生存率を高めるというエビデンスが乏しいほど、その重点分野の医療部門に多くの資金が投入されることになる。この25年間の肺がん手術の拡大を説明できるのは、専門医の仕事、貧しい人々も平等に機会が与えられるようになったこと、患者に対する実効性に乏しい慰め、人体実験(臨床試験)など、治療とは無関係な目的だけである。白衣、マスク、消毒薬、救急車のサイレンだけでなく、医学の全分野にわたって、非技術的な、通常は象徴的な力によって資金が流れ込み続けているのである。

 否応なく、現代の医師は、象徴的で非技術的な役割に追いやられている。扁桃腺摘出では、その非技術的な役割が大いに機能している。米国で行われている扁桃摘出手術の90パーセント以上は技術的に不要なものだが、それでも全児童の20パーセントから30パーセントがこの手術を受けている。1000人に1人がこの手術結果が直接原因となって死亡し、1000人に16人が深刻な合併症に苦しんでいる。全員が有益な免疫機能を失っている。子供たちはとげとげしい感情に襲われる。彼らは病院に収容され、親から引き離され、病院の不当な、そして往々にして酷い冷淡さを突き付けられる。

 

子どもは、自分の目の前で、自分の体について診断を下す外国語を話す技師(の目)にさらされ、赤の他人である彼らだけが理解できる理由で身体に侵襲を受けるかもしれないことを学ぶことで、人生の現実を知るためのこうした医療行為に対して、社会保障が支払われる国に住んでいることを誇りに思うようにさせられるのである。

 儀式へ物理的に参加することは、儀式が創生する神話の世界のメンバーになるための必要条件ではない。医学的な観戦スポーツは、強力な呪文を唱える。私はクリスティアン・バーナード博士がリオデジャネイロとリマに滞在していたとき、偶然にもその場に居合わせた。両都市で彼は大きなサッカースタジアムを1日に2回も満員にし、死と隣り合わせにある心臓を移植するという驚異の能力をヒステリックに絶賛する観衆で埋め尽くされた。こういった医学的な奇跡は、世界中に影響を与える。近隣のクリニックにも、ましてや病院にも行けないような人たちまで、戸惑いに駆られるのである。

 科学による救済が可能である、という漠然とした信念を与えるのだ。リオのスタジアムでの体験によって私には、その(奇跡の)直後に見せられることになった、ブラジル警察が最初に囚人への拷問に延命装置を使用したという証拠に対する心の準備が生まれたのである。このような医療技術の極端な乱用は、医学の支配的イデオロギーとグロテスクなまでに一致しているように思われる。医療技術が社会の健康に及ぼす意図せざる非技術的な影響は、もちろん肯定されるべきものであることもある。ペニシリンの過剰な注射は、魔法のように自信と食欲を回復させる。禁忌とされる手術でも夫婦の問題を解決し、二人の病状を軽減することができる。医師が与える砂糖の丸薬だけでなく、毒薬でさえも強力な偽薬となるのだ。

 しかし、これは医療技術の非技術的な、広範にみられる副作用の結果ではない。高コストの医療が特に効力を発揮するようになった狭い領域においてこそ、その象徴的な副作用は圧倒的に健康を破壊するものとなったということができる。つまり患者自身の治癒努力を助ける伝統的な白い医療の魔法は黒いものへと変化したのである。

 社会的医原病のかなりの部分は、ネガティブプラセボ、つまり逆偽薬効果として説明できる(=薬の副作用を心配するあまり、まったく無害な薬を飲んでも健康を害してしまうこと)。

現代医療の介入がもたらす非技術的な副作用は、圧倒的に健康に大きなダメージを与える。医療行為の黒魔術的な影響の強さは、それが技術的に有効であるかどうかに左右されるものではな い。逆偽薬効果は、プラセボ効果と同様に、医師が何をするかとはほとんど無関係である。

 医療行為が黒魔術に変わるのは、病人が自己治癒力を発揮する代わりに、自分が受けている治療が何のことか分からず。ただ傍観するだけの存在になってしまうときである。医療処置・治療が儀式として行われるとき、(患者に対してその)病苦を詩的に解釈したり、昔亡くなった人や病苦を学んだ隣人の中に賞賛すべき事例を見出すように勇気づける代わりに、病人の全期待を科学と医療従事者に集めることで、病人の宗教と化すのである。

 医療的処置・治療は、問題を抱える人々に社会的忍耐を強化しようとする動機や規律を社会に提供するのではなく、病人を病院という環境に閉じ込めることで、道徳的な劣化が生じて病気を増悪させるのである。生物医学的な追求を口実から生じる魔術(=医療)の大混乱、宗教上の侵害、道徳的な劣化はすべて、社会的医原病に寄与する重要なメカニズムである。それらは、死の医療化によって結合するのである。

 ギリシャ、インド、中国において、医者が初めて寺院の外に店を構えたとき、彼らは医の呪師であることを止めたのである。医師が病気に対して理性の力を主張するようになって、社会は魔術師シャーマンや治療師という理解しがたい存在とその全体治癒の観念を失ったのである。医療による治癒に備わる偉大な伝統は、奇跡的な治癒を司祭や王たちのものであった。神々と交信できる階級は、神々助けを求めることができたのである。剣を振るう手には、敵だけでなく霊魂をも従わせる力があるとされた。18世紀まで、イングランド王は毎年、医師が治療をあきらめた顔面結核に苦しむ人々に手を置いていた。国王の手でさえも病気を治せないてんかん患者は、処刑人の手から流れ出る癒しの力を求めた。

 医学の文明化と医療ギルドの台頭により、医師は自分たちのアート(術)の限界を知ることで、(自らを)やぶ医者や司祭と区別するようになった。今日、医学界の権威は、奇跡を起こす権利を取り戻そうとしている。医学は、病因が不明で、予後が悪く、治療が実験的なものであっても、患者を治療しようとする。このような状況下では、「医学的奇跡」の試みは失敗に対する保険となりうる。なぜなら、奇跡は希望するだけでのものであり、定義上(現実として)期待するものではないからである。現代の医師が健康の営為を過激なまでに独占することで、彼の祖先が技術的な治療者として専門化したときに放棄された司祭や王族の権能を復活させようとする。

 奇跡を医療化することで、終末医療における社会的機能についてのさらなる洞察を与えてくれる。患者は拘束され、宇宙船の操縦士のようにコントロールされ、そしてテレビに映し出される。このような壮大なパフォーマンスは、何百万もの人々による雨乞いの儀式か祈祷のようなものであり、自律した生活に対する現実的な希望を、医師が宇宙から健康を届けてくれるという妄想に変質させる儀式なのである。

 

患者という多数者

医学の診断力が上がって病人が激増すると、医療関係者は裁き切れなくなった患者を医学が専門でないビジネスや職務に押し付ける。(他への)転嫁という大量の切り捨てによって、医療界の大物たちは、威信が落ちた医療という手に負えない評判を受けることなく、警察官や教師、あるいは人事担当者に、医療の周辺領域を支配してよいと与えるのである。[4] 

 医学は、何が病気であるかを定義する自由裁量権を有するが、病人を発見し、その治療を提供するという仕事を他人に押し付ける。何が中毒なのかは医学だけしか分からないが、中毒をどうコントロールすべきかは警察が知っているはずである。脳の障害を定義できるのは医学だけだが、教師は健康そうに見える身体障害者に汚名を着せ、管理させることができる。

 医学論文で、医学的目標を再調整する必要性が論じられるとき、多くの場合、計画的な患者切り捨てという形をとる。新生児や瀕死の患者、民族主義者、性的不適格者、神経症患者に加えて、熱心に診断にするには面白くもなく時間もかかる患者を、医学の最前線から追い出し、ソーシャルワーカー、テレビ番組制作者、心理学者、人事官、セックスカウンセラーといった医学以外の治療専門家の顧客に変えてはどうだろうか?

 このように、医学の威信を借りた仕事を可能とするものが増えることによって、患者役割にまったく新しい状況が生まれたのである。社会が安定するためには、常軌を逸脱した人を何らかの形で認めることが必要である。奇妙に見える人々やおかしな行動をとる人々は、その共通の特徴対して正式な名称が付けられ、その驚くような行動が(なにがしと)分類されるまで、世間を騒がすものとなる。名称と役割を与えられることで、(周囲には理解しがたい)奇人は(ある場合には)矯正し、甘やかし、避け、抑圧し、追放してよいと思わせる人物に変化するのである。

 ほとんどの社会では、尋常ならざる者に役割を割り当てる人々がいる。広く行われている社会的処方箋によれば、彼らは通常、常態を外れることがどういうものかという特別な知識を持っている。すなわち彼らは、逸脱者が幽霊に憑かれているか、神がかっているか、毒にやられたか、罪に対して罰を受けているか、魔女による復讐の犠牲者かどうかを見定めるのである。このレッテル貼りを行う者は、必ずしも医学的権威に匹敵するものである必要はなく、法学的、宗教的、あるいは軍事的な権力を有していてもよい。

 異常の奥底にある霊魂を名指しすることで、権威は異常者を言語で規定して(その時々の)慣例に従わせ、脅威でしかなかった存在を社会システムによって支援する(べき)対象者とするのである。病因は社会の人びとが信じるものに拠って生成される。もし神聖な病気が聖霊の憑依によって引き起こされると信じられるなら、神はてんかんの発作の中で語りかけるのである。

 それぞれの文明は独自に病を定義する。ある文明では病であっても、別の文明では染色体異常、犯罪、聖霊、あるいは罪であるかもしれない。それぞれの文化は、病に対する応答様式を作り出すのである。強迫的な盗みという同じ事柄でも、処刑されたり、死ぬまで治療されたり、追放されたり、入院させられたり、施しや税金を与えられたりするかもしれない。ある国では、泥棒は特別な服を着ることを強制され、ある国では、懺悔をすることを強制され、またある国では、指を失ったり、魔法や電気ショックで調教されたりするのである。あらゆる社会に共通する最小限の特徴は何かと(問い)、特に「病という(健康からの)逸脱状態」を想定することは危険である。

 現代において誰がどのような病人であるかを決定するのは他でもない。それは、ヘンダーソンやパーソンズの分析より一世代も前に考案されたものである。それは逸脱とは、産業化された社会の中で公の基準で判断、識別される特異な行動であるが、法的には受け入れられるものと定義している 。たとえ、すべての社会である人々がいわば一時的にサービスを受けることが制限され、治療される間、休息状態におかれるということについて言うべきことがあったとしても、こうしたことが許される状況は、福祉国家の場合と比較することができない。

 現代の医師は、患者に病気を診断するとき、ある意味では魔術師や長老と同じように行動しているかもしれない。しかし、(医師は)病名分類のカテゴリーを増やす科学的専門職者であるので、癒しを行う者とはと全く異なっている。医術師は治療という職業に従事し、悪霊を見分ける術を行使していた。彼らは(上述した)専門家ではないし、新しい悪魔を創り出す権力もなかった。医学・医療の専門職者は毎年集まっては、病気の診断名を作り出すのである。患者につけられた病名は、常に2つの種類がある。文化的伝統に従って広く認められたものと、官僚的組織(=医療体制)が生み出したものとである。革新とは常に、後者が相対的に増加することを意味する。

 技術の役割は文化的伝統によって補われる可能性のある事は疑いない。2種類の診断名をきちんと区別することが困難なのは間違いない。しかし、全体として見れば、診断名はつい最近まで伝統的なものである傾向が強かった。ところが前世紀になって、フーコーが「新しい臨床観」と呼んだものが、その比率を変えてしまった。

 医師はモラリストとしての役割を放棄し、啓蒙的な科学的企業家としての役割を担うようになったのである。病人を病気に対する(自己)責任から解放することが(医師の)重要な責務となり、そのために病気の新しい科学的カテゴリーが設けられたのである。医学部と診療所は、医師の目には病気が生物学的あるいは社会的技術を用いた仕事であると思わせる雰囲気を漂わせている。かつて一般の信徒が日曜礼拝のために世間の雑事を教会に持ち込んだように、患者は今でも宗教と宇宙に関する解釈を病棟に持ち込んでいる。

 しかし、パーソンズが述べた診断名は、治療がいつも有効であるかのように医師が振る舞い、人々がそのバラ色の言説を喜んで共有している限り、現代社会に受け入れられるのである。

19世紀半ば、診断名はまだ病気でない人、回復が期待できそうもない人、叔父や叔母がやってくれる治療以上の有効な治療法がない人に対して、権威ある医療制度の内側で何が起きているかを説明するには都合が悪いものであったのである。

 専門家が少数の人を選んで制度的に保護することは、産業社会を安定させるために医学を利用する方法であった。すなわち、病人のために異常と言えるほど多くの公的資金を容易に注入できるようになったことを意味した。

 

20世紀初頭には無制限ではないものの、病人をケアすることが産業社会に求心力を与えていた。しかし、ある臨界点を超えると、際限のない診断要求を容認した社会の統制は、それ自体の基盤を破壊するのである。

健康であることが証明されるまでは、市民は病気であると見なされるようになった。(医学・医療が)優越する治療社会では、誰もが自分をセラピスト(=治療者)に、(そして)他人をクライアント(=患者)にすることができる。医師の役割は、今や曖昧になっている。

保健医療の専門職は、臨床サービス、公衆衛生工学、科学的医学を組み合わせたものとなっている。医師にとって患者は、病院を受診するたびに、複数の役割を担わされることになる。彼らは、医学が検査、治療する患者、医療技官が健康について指導し、管理された市民、そして医学が絶えず実験を行うモルモットに変身させられる。病人の役割を与えるというアエスキュラプスの力は、総合的な医療を提供するという主張によって霧散した。健康とは、病気であることが証明されるまでは、各人に備わる生来の状態ではなく、社会正義という名目によって読み替えられる、ずるずると後退していく目標となった。

複雑化した医療専門職の出現は、患者の役割を限りなく変幻自在なものにしている。医師が病人であると認定することは、病態の程度と必要な治療のカテゴリーに応じて、医療を管轄する官僚的な役人による認定に取って代わられた。 そして、医学の権威は、健康管理、早期発見、予防、そして最近では不治の病の治療にまで及んでいる。現代医学も以前は限られた範囲でしか機能していなかった。しかし今や病気でない人は、将来の健康のために、専門家の治療に頼るようになった。その結果、あらゆるものを医療化しようとする病的な社会と、世界的な疾病率を明らかにする医療体制が生まれたのである。

病的な社会では、定義され診断された病状は、他のどんな否定的なレッテルよりも、あるいはまったくレッテルがないよりも、はるかに好ましいものであるという信念が支配的である。

犯罪や政治的な逸脱行為よりも、あるいは怠惰よりも、意図的な欠勤よりも、健康であることが望ましいのだ。多くの人々が、無意識のうちに、自分が病気であり、仕事や余暇を楽しむことができないことに気が付いているが、身体的な不健康(者)は社会的・政治的責任から解放されるという虚言を聞きたいのである。

 彼らは医者に弁護士と司祭のような役割を求めている。弁護士として、医師は患者の日常の職務を免除し、患者が強制的に加入させられていた保険を現金化することができる。聖職者として、医師は患者の共犯者として、(患者が)病気となったのは生物学的メカニズムの(不調によるもので)、無実の犠牲者であり、生産手段をどうするかという社会的ないさかいから逃げ出した嫉妬深い者、あるいは強欲者ではない、という社会的通念を作り上げるのだ。(それゆえに)社会生活は治療を与え、与えられるものと化すのである:つまり医学、精神医学、教育学、あるいは老人学をやり取りする場である。治療を受けられるようにすることを掲げることは政治的な義務となり、医療証明は社会を管理する上での強力な装置となる。

治療サービスが発展するにつれ したがって、そのような人びとは、目標となる健康水準に近づくために治療を受けるか、異常とされた人びとに対応する特別な環境に適応させられるかのどちらかになる。バザーリャは、このプロセスの最初の歴史的段階において、病人は生産から免除されていると指摘している。産業が拡大する次の段階では、大多数が逸脱者として定義され、治療が必要とされるようになる。そうなると、病人と健常者の間の距離は再び縮まる。さらに進んだ工業社会では、以前なら否定されたであろうことだが、病人は再びあるレベルの能力を有するものとして認識されるようになった。

 誰もが何らかの形で患者になろうとするこの時代、賃金労働は治療との親和性を備えている。生涯を通じた健康教育、カウンセリング、検査、メンテナンスが工場やオフィスの日常に組み込まれているのだ。治療を通じた依存関係は(社会に)浸透し、生産的な関係を(何らかの)色に染め上げる。部族のなかで神話に目覚め、市民として政治を行うようになったホモ・サピエンスは、いまや人生の長きにわたって工業化社会に閉じ込められた者として訓練されているのだ。工業化社会の医療化は、その究極において帝国主義的性格を結実させるのである。

 

第二部完

 [1]好ましい目的のための魔術。文化人類学では聖人の術とされ、国魔術と対比される。

 [2]ドイツのケルンで生まれ、ウィーン大学で政治哲学を専攻。ハンス・ケルゼンとオトマール・シュパンに論文指導を受けた。1928年に教授資格を取得し、同大学で政治哲学と社会学を講じた。フリードリヒ・ハイエクと知りあい、長く親交を結ぶ[1]。1933年ナチズムの人種差別を批判した書物を2冊出版。1938年ナチスがウィーンを制圧したため、スイスに逃れ、まもなく夫婦で米国に移住、1944年市民権取得。この間、ノートルダム大学など複数の大学に勤めていたが、1942年ルイジアナ州立大学政治学部に職を得る。

 [3]ここでは中世以降ユダヤ人を強制的に囲い込んだ地区ではなく、自主的にユダヤ人が集合した地区という意味だと考えるのが妥当かもしれない

 [4]このところは現代のMedicalizationの先取りを示唆しているものであろう

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