研究ノート1:エドワード・ホール

20200518

 

米国の文化人類学者であるE. ホールは彼の著書「かくれた次元The Hidden Dimension」(みすず書房.初版1970)の書き出して次のように断っている。

「このタイプの本は、どの専門分野の系列にも属さないので、特定の読者層や分野のために書かれたものではない。(中略)答えを求めている読者や内容や専門の点からきちんと分類されていてほしいと思っている読者には失望を味わわせることになるかもしれない」」

この本の概要は次のようなものである。

動物社会における距離の調節Spacingの知見から論を始め、動物個体密度の込み具合がその社会行動にどのように影響を与えるかを考察している。この段階で、動物の個体間の距離が狭まると、ストレス強度が上がり、個体のみならず集団の不健康から死亡に至ることを観察している。更に、彼はこの知見を人間における都市と文化について拡張し、過密人口がもたらすストレス強度の上昇を通じて不健康な社会あるいはコミュニティが形成されることを論じている(どちらが原因で結果であるか?)。その典型は都市における貧困層のスラムであり、高級住宅としての高層マンション[木村1] である[1]

 ホールがこの本で強調していることは、人間の存在と行為は事実上全て空間の体験と結びついている。この空間感覚は、視覚、聴覚、筋覚、嗅覚、そして温度と言った多数の感覚的入力の総合である。彼は、人間はこのような感覚器を増幅するものを発明してきたという[2]。それらは人間の能力を外部に延長したものである。例えば望遠鏡や顕微鏡、レントゲン装置などは視覚の延長である。集音マイクや補聴器、聴診器は聴覚の延長であり、梃子(てこ)や手術を支援するダ・ビンチは筋覚の延長と言えるであろう。これらの発明は科学原理の発見の上に成り立つ「技術」による。その反面、人間はこれらの感覚を退化させてきた側面があるという[3]

 翻って、医療を考えてみる。医療技術の歴史は古く、各民族が昔から体系化を試みてきた。現代では、医療は現代生物学的知見に基づいた「現代医療Biomedicine/Modern medicine」としてグローバルな普遍性を与えられているが、人類は古くから世界の各地で伝統医療の技術化に励んできたことは間違いない。ホールの論を借りれば、医療の技術化は人間の自然治癒力の外部化と言えるのではないだろうか?すなわち現代医療が世界の主流になるずっと以前から、人類は自己治癒の能力を医療技術として外部化する本能を持ち続けていたことになる。それは人類が技術を持ち始めたときに起源をもっているのだろうと思われる。

 さきにホールは人間社会にあっても距離Spacingが重要であることを論じたことを述べたが[4]、同時に人間は集団でしか生きられない。一方で適切な距離を保ちつつ、場合によって緊密な相互作用もまた必要なのである。すなわちこの距離は場合によって大幅に変動するものと理解するべきである(ホールは人間世界では、密接距離、個体距離、社会的距離[木村2] 、公衆距離の4つに分類した)。相互作用の一つの形態は「介入Intervention」である。医療の分野ではmedical interventionという言葉は頻繁に使われている。病人(患者)が医師に不調を訴え(主訴)、医師がそれに応えて診断・治療を行い、看護師がケアをするという一連の行為[木村3] とその繰り返しは相互作用そのものとして理解できる。

 このように考えると、治療を受ける側の意思と、治療を行う側の意思が交差することは人間が社会的動物であることから来る本質的な一形態である。この相互作用を媒介するのが医療技術と病院という空間[木村4] であるが、その技術には医原性が潜んでいる。技術の不適切な使用はもちろんのこと、適切に使用したとしても避けられない健康被害のリスクがある。

 治療(医療)技術が発達し制度化するほど、人間に本来備わっている自然治癒力が用いられることは少なくなり(退化し)、外部化された技術に依存することになる。このように考えてきて初めて、イリッチが問題提起した医原性の強化、発露と、医療への依存の対価として人間の自立性、主体性の喪失というところに結びつくのではないかと考える。

 イリッチの問題提起を再解釈するには、少なくとも次のことが前作業として必要であると考える。

 ・人間の能力の外部化を実現する技術の本質(一般論と医療分野)

・人間(動物)がもつ自然治癒力の本質

・ストレスが生物に及ぼす病的側面

・介入と依存[5]の本質(一般論と医療分野)

・人口爆発と都市化の問題(この二つは伝染病流行の基本的要素である)

・個別医療と公衆衛生の境目はどこか?

・苦痛、死もしくは永続する障害などの不安の解消としての医療

 

[1] スラムが不健康なコミュティであることは、乱雑で不衛生であることだけではなく、人口密度が過剰であり、個々の空間が確保されないことによるストレスも寄与している。ホールは、さらに建築物、都市設計においてもストレスを最小限にあるいは解消することが重要であるとしている。

[2] 増幅することが出来なければ社会の膨張は不可能であったと考えられる。

[3] パソコンは脳の外部装置と言われる。作業効率と正確性は格段に向上したが、自分で考える力は減退した。

[4] 産業革命の時期にあって、ロンドンでは劣悪な環境に過剰な労働人口が集中した。このために伝染病が蔓延した。感染源とそのルートを断ち切る、という公衆衛生学の基本はSpacingという概念としても理解できる。

[5] 薬物には身体的依存性と精神的依存性を持つものがあることが知られている。

 [木村1]若いころにニューヨークを訪れる機会があった。セントラルパークから出発する電車から、ハーレムの巨大なビルが間近に見えたが、それが朽ち果て、人が住んでいる気配がほとんど感じられないことに驚いた記憶がある。それはニューヨークのど真ん中、グランドセントラルに位置していたからである。

 [木村2]コロナパンデミックで一躍知られるようになったが、これは感染を防御するための距離であって、日本語としての言葉は同じでもホールの用いている実際の距離と異なるのは当然である。

 [木村3]これは近代以降に医療(制度)が作り上げてきたもので、大昔の医療の実際はどのようであったか。時代が下るにつれて、あらゆるものが分化してきたことは間違いない。

 [木村4]中川米造は環境医学の方法論の位置づけとして、侍医の医学、開業医の医学、病院の医学、社会の医学の4つに時代区分をしたうえで、病院医学の効用の限界に言及している。もし、私たちが医療の場所として直ちに「病院」を想起するならば、イリッチが病院化社会を批判の対象としたことは当然である。

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