研究ノート3:「自己治療」の考察

20200522

  日経新聞(20200522)に「不要不急が問う医療」という記事が掲載された。コロナ対応のために患者が医療機関にかかった3 月の件数は9415万件、医療費は1兆1257億円。前年同期比で件数は11.5%減少、医療費は1.3%減少であった。仮説として、軽い風邪や腹痛、花粉症にかかった人は(コロナのために)通院を控え、一般用医薬品でしのいだ。従来は医療機関に頼っていた軽い病気が自分で手当てをするセルフメディケーションにとって代わった。

 ここで注目したいのは「セルフメディケーション」である。自己治療とも言われる。拙著PQPの第7章インドネシアにおける自己治療のケーススタディでは、健康保険制度が皆保険となっていない新興国において、病気になっても医療機関を受診せずに薬局から抗生物質などを購入して自己診断、自己治療する人々が多いことについてフィールド調査を行ったものである。調査当時、処方箋薬品である抗生物質が薬局でほぼ自由に買えるという、薬事規制上の問題と医師の診断、処方を回避して自己治療を行うことが、WHO世界保健機関など先進国の規範から見て問題とされていた。多くの論文は自己治療を「悪」として矯正するべき社会現象と捉えていた。WHOのサイトに掲載されている下記の論文はその一例であるが、製薬企業から患者に医薬品がわたるまでの法規制と強化という介入と患者への健康教育運動が重要であるとしている。

Self-medication practice among patients in a public health care system

http://www.emro.who.int/emhj-volume-17/issue-5/article8.html

ABSTRACT: A survey of 500 patients attending primary health care centres in Riyadh, Saudi Arabia was carried out to determine the prevalence and factors associated with self-medication practice. The results indicated that 35.4% of the respondents had practised self-medication in the past 2 weeks. Bivariate and multivariate analyses indicated that respondents who were young, male, having poor health status, reporting inconvenient access or dissatisfied with health care were more likely to practise self-medication. Health education campaigns, strict legislations on dispensing drugs from private pharmacies and increasing the quality of and access to health care are among the important interventions that might be needed in order to change the people’s health seeking behaviour and protect them from the potential risks of self-medications.

  

 このような見方に対して拙著では、限られた選択肢しかない状況の中で貧困層の自己治療は自己防衛の手段である、と捉えた。すなわち薬事規制の強化や取り締まりだけでは、、解決できない社会現象なのである。日本では2017年からセルフメディケーションに対する医療費控除が設けられた(Wikipedia)。セルフメディケーションよって政府予算の重荷となりつづけている保険医療費が抑制される効果も期待されている。2017年(平成29年)1月より、国民のセルフメディケーションの推進を目的とし、医療費控除の特例としてセルフメディケーション税制が開始される。医師が足りず、いわゆる「3分診療」や、医師の過労状態などに陥ってしまっている医療機関にとっては、セルフメディケーションによって来院する人数が適切なレベルまで減ることで、本当に医療を必要としている人に医師のマンパワーや医療資源をまわすことができる。

  すなわち、日本では健康保険制度の財源を含む医療資源の節約という経済的視点からの政策である。同じセルフメディケーションという言葉の意味はそれぞれの社会において異なっている。冒頭の記事の仮説に戻ると、コロナのために受診するという医療への依存の選択肢を制限された患者(多くは軽い症状の人々と考えられる)にとって、自分自身で何とか対処するという自主性を回復したのが記事に紹介された自己治療であるということができる。そうすると受診行動は医療と医療インフラへの依存度と連動していることが分かる。

 イリッチは「医療の介入が最低限しか行われない世界が、健康が最も良い状態で広く行き渡っている世界である」とした。イリッチの言明が、インドネシアが皆保険制度の定着へ苦闘している現状に、そのまま当てはまるとするのは性急であろうであろう。医療介入へ患者がどの程度依存するか(あるいは、したいか)ということと、医療が本来持っている依存性は異なるからである。国民一人一人の依存性が小さければ社会全体としての依存度は抑制されたものとなるであろうが、依存度が小さいことは国民の依存性が小さいとは限らない。社会全体から見ると、医療への依存度が小さいことは所得やインフラから来る経済的、機会的な制約が要因として大きいことは間違いない。イリッチの上記の言明の解釈には慎重で多角的な考察が必要である。

 インドネシアでのフィールド調査中にいくつかのプスケスマス(公的医療機関)を回ってみたが、その中庭では各種の植物が何十もの鉢に植えられていた。調査の協力者に事情を尋ねたところ、これら植物は健康維持、治療に役立つ植物であり、家庭で栽培することを奨励する見本である、とのことであった。身近な植物の薬理作用を価値あるものとして各家庭で利用してきたのは、日本においてもそう昔のことではないと思い出した。

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