「並み」から外れること           「個性」の生物学

寄稿エッセイ

2022年11月13日

鈴木良次

 木村 暁氏のエッセイ「規格化の恩恵と思考停止」を興味深く読ませてもらった。スマホの買い替えの際、充電器の差込口の形状がメーカによって異なることで戸惑ったことから話が始まり、工業製品の部品の規格化がものづくりで如何に大事なことかへと話が続く。部品の規格化による互換性の確保が大量生産を可能とし、私たちの生活を豊かにしてくれた一方で、最悪の例ではあるが、戦争を消耗戦、大量虐殺へと変質させるなど、大きな負の側面のあることに言及している。続いて、日常の生活でのいくつかの規格化のプラス・マイナスを丁寧に論じているが、私にとって最も興味を引いたことの一つは、規格化が人間の心理にどのような変化を与えるかという考察である。「規格化が浸透していくと、定義や規格に外れた物事を駄目なものと吐き捨てる、いわゆる二者択一の思考が促進され、それまでの経験の蓄積や感性をベースとした直感が使われなくなる」という指摘は重要である。

 「直感」については別に取り上げることとする。また、「規格化」が人々の心理にどういう影響を与えるかも論じたい。しかし、ここではまず、「規格や標準から外れる」というと駄目なことのように思われるが、本当にそうなのか。「並みはずれて優れている」という言葉があるように、「並みからはずれる」のは良いことでもあるという話を進めたい。

 イギリスのSF作家アーサー・クラークの「地球幼年期の終わり」を読まれた方も多いと思うが、大筋を紹介すると、「他の太陽系から来た高度の知能をそなえた超人らが、地球の管理を始め、有史以来の人間の醜い争いを失くし、地球上に理想的な社会を実現してくれる。しかし、彼らが地球にやってきた本当の目的は、「主上心」と呼ばれる彼らの支配者が、人間の子どもの知能をあるプロジェクトのもとに取り込むための準備をすることだった。その日がやってくると、子どもたちは親の元を離れ、宇宙船に吸い込まれていく。人類の最後を悟った親たちは次々と自殺する。一方、子どもたちは個性を失い、平均的な姿・顔立ちになって、全体のプロジェクトのもとに管理された1個の「細胞」として生きていく」というものであった。

 50年ほど前に読んだ本であるが、同じ顔かたちの子どもの集団を想像すると何か恐ろしいものを感じた。人間や生物には個体差があることが知られている。個体差は生物学の法則をつくるうえでは邪魔になると考えられていたが、逆に積極的な意味があるのではという視点から、個体差に着目した研究も行われてきた。それが個性の生物学である。生物の顔かたちや性質の基本は遺伝情報できまるが、育った環境によって大きく変化することは生物学の研究からよく知られていることである。その後の生物学、特に遺伝子レベルでの研究が急速に進み、遺伝子のもつ情報が読み取られていく過程が詳細に分かってきた。脳科学をベースとした学習の研究も進み、生物が環境との情報のやり取りの中で脳や身体のはたらきをどう発達させるかもかなりわかってきた。そのなかで個性の生物学がどう進歩したかというと、残念ながら一つの学問分野として銘打つ形には至らなかった。しかし、個体差、個性などの多様性の存在することが生物の集団を維持し、発展させるには大切なことであるという認識は深まったといえる。

 多様性のメリットを2,3挙げる。

 50年前から言われていたことであるが、集団の中に多様な個体がいることで、その集団が環境の変動に対応しやすくなるということが、一つ挙げられる。例えば、ゾウリムシという長さ0.2~0.3ミリの細長い単細胞生物がいる。体表に無数の短い繊毛があり、これをオールのように前後に打って泳ぐ。ゾウリムシを長年研究されていた大沢文夫先生は、筆者が大阪大学勤務時代にご指導いただいた先輩の教授であり、冒頭に紹介した木村 暁氏の恩師である。大沢先生らの研究によると、ゾウリムシにとって育った環境の温度より低い温度は好ましくないので、環境の温度が変われば、そこから逃げようとする。しかし、ゾウリムシの中にはその環境でも平気なものもいる。そのかげで、新しい環境でも集団としては生き残れることになる。このように、集団の中に、個性の広がり、多様性のあることは、集団が新しい環境に適応する道を見つけるのに有利なのかもしれないと大沢先生は書かれていた。(大沢文夫「微生物では泳ぎに差が出る」科学朝日特集:生物に個性を認めたら 1976年3月号)

 次の例は、魚の進化の話である。水中生活をしていた魚類の一部が、陸上にあがり、両生類、爬虫類となり、さらに進化を遂げて、哺乳類、霊長類そして人間への進化してきたことは良く知られている。このストーリーの中で、陸上に生活の場を見つけることが出来たのが、硬骨魚のなかの少数派の肉鰭類であったことは注目に値する。多数派は条鰭類で、私たちが普通に魚と呼んでいるものである。彼らは海の生活に適応し、それなりに繁栄を続けている。一方、肉鰭類は、一部はシーラカンスのように海に戻り海底でひそかに生活しているものもいるが、他は陸上での生活に適応するように進化を遂げた。条鰭類と肉鰭類の大きな違いは鰭の構造にある。海中から陸上にあがった代表的なものの一つにチクタリークがいる。ニール・シュービン著・垂水雄二訳「ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト」(早川書房2008)には、鰭のなかの骨の構造が紹介されている。それによると、海中では浮力のはたらきで軽減される重力が、陸上では軽減されないので、チクタリークの鰭の骨はその重力に耐え得る構造をしていることがわかる。シュービンは、チクタリークは、より巨大な魚から生き延びるために、陸上生活に適応した鰭(これが後に足に進化する)を発達させたと推測している。ここでも多数派ではなく、少数派が生き延びる道を見出したことがわかる。

 3つ目の例は、上の2つとは趣を異にするが、集団のメンバーが、すべて同質のものではない方がよいという例である。人間社会でいわれることであるが、「異質の知の共創」という表現がある。異なった性質の者同士が協力すると、新しいものが生み出される、あるいは発見されるということである。「異質の知が集まって新しい「知」を生み出すこと」を「共創」と名付けたのは、本田技研の元社長久米是志氏と私は認識している(久米是志著「「無分別」のすすめー創出をみちびく知恵」:岩波アクティブ新書2002)。詳しくは省くが、久米が車製造の現場での活動を通して学び取った「戒」は次の4つである。1.目的の共有、2.平等性(お互い個性を出し合って議論し合える)、3.実践の場の共有(現場、現物、現実を重視した考える場。知とともに情と意が素直に吐露できるワイワイガヤガヤの場、4異質の混在.ここでも「皆同じ」ではいけないことが示されている。最近の脳科学でも大きな進歩がみられるので、創造性にとって異質の知の共創が重要という脳科学的根拠が明らかにされるのも遠くないと期待している。生物の世界でも異質の個体の混在が生物の生存や進化にとって重要な要素であることが、これからいろいろと見つかるかもしれない。

 以上、均質ではないことがよい結果になるという例を、ゾウリムシ、魚、ヒトについて紹介した。「並みからはずれている」ことは決して悪いことではなく、むしろその方がよい結果を生む場合もあるということである。

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