動物との会話

鈴木良次 寄稿エッセイ(1) 2022年9月12日 

数日前、新聞受けに1枚のビラが差し込まれていた。「猫をさがしてます 9月7日から行方不明なんです 短足マンチカンです オス 4才」愛らしい姿の写真が添えられていて、心配されている飼い主さんの気持ちが伝わってくる。

わが家にも20年近く一緒に暮らした猫がいた。数年前に病死したが、一度行方不明になって探し回り、数日後、200メートルほど離れた民家の縁の下でうずくまっているのを、配達に出た近所の食品店の方が見つけて知らせて下さり、無事、保護することが出来た。高齢になり、視力も弱って,帰る道がわからなくなったようだ。4才のマンチカンではそれは考えにくいが、事故に遭ったのでなければよいがと、無事を祈っている。

わが家の猫は、庭に迷い込んできたシャムの雑種で、どこかで飼われていたらしい。排泄のしつけがついていた。家人に飛びつき、「ここに居たい」という仕草にほだされ、「ココ」と名付けて飼うことにした。何度か入院手術を受けるなど、獣医さんのお世話になったが、おかげで18年間ほど一緒に過ごすことが出来た。その獣医さんは体調を崩され診療所を閉ざしてしまわれ、今は別の建物が建っているが、その前を通るたびに、「ココ」がお世話になったころのお元気なお姿を思い浮かべている。

動物は人間のような言葉を持たない。しかし、ペットと飼い主、動物園の動物と飼育員、イルカショウのイルカと係員など、動物との会話が通じ合う場合が多い。そこでは、どのようにして会話がなりたつているのか。

動物も仲間同士で通じ合う種特有の「ことば」があり、動物のコミュニケーションとして研究が行われている。人と動物のコミュニケーションでも、人が動物に合わせるから通じるのか、動物が人の「気持ち」を読み取れるように学習するからなのか。それぞれ専門家による研究があると思うが、自分ではきちんと調べたことがないので、ここでは確としたことは書けない。「ココ」との18年の生活をもっときちんと書きとどめておけばよかったと後悔している。

追記:童謡の「雪やこんこん」では「犬は喜び庭駆け回り、猫は炬燵でまるくなる」と歌われていますね。寒いときは、体表面積を最小にするのが得策だということを、猫も学習しているのだと思います。他の考え方は、身体を何かに接触させていると、安心感があるというので、入れ物のかたちに合わせているとも考えられます。

(注)マンチカン - Wikipedia

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