軽視される周産期うつ病

周産期うつ病は、妊娠中および産後に見られる最も一般的な病的な状態の一つであり、公衆衛生上の大きな課題となっています。8月4日、米国食品医薬品局が、産後うつ病の治療薬として初めて経口薬であるズラノロンを承認しました。この分野の治療薬の進歩は相対的に停滞していたことから、承認は歓迎すべきことです。しかし、同時に慎重な姿勢も必要です。周産期の精神衛生は、妊産婦の健康の決定要因でありながら極めて過小評価されており、薬物療法は周産期うつ病に対処する手段の一つに過ぎません。

周産期うつ病の正確な疫学的データは極めて重要です。正確な疾病負担は明らかではありませんが、世界的な有病率は13%~30%と推定されています。周産期うつ病は一般的に、高所得国よりも低所得国や中所得国で多くなっていますが、顕著にばらつきがみられます。ある研究では、英国の有病率は22%であったのに対し、ニュージーランドでは11%。南アフリカでは39%であったのに対し、タンザニアでは12%であったと報告されています。同様に、周産期うつ病の有病率を把握する手段、方法にもかなりのばらつきがあります。産後、分娩後、周産期という用語はしばしば同じ意味で用いられますが、妊娠中に始まったうつ病(症例の最大半数を占める)が含まれるかどうかは定まっていません。産後期間を定義するための長さも様々で、一般的には出生後4週間から1年の幅があります。このようなばらつきがあるため、測定の標準化が必要となっています。

ズラノロンは2週間の経口投与で即効性があるとして歓迎されていますが、薬物療法が周産期うつ病全体の影響を大幅に軽減する答えにはなりそうもないと考えられます。薬物療法はほとんどの患者にとって第一選択治療として推奨されるものではなく、周産期うつ病の発症に影響する心理社会的因子に狙いを定めた戦略を検討することが最善の方法です。社会的支援が十分でなく、妊産婦保健医療を受けることの障害、親密なパートナーからの暴力、貧困、争いは、危険因子として確立されたものです。COVID-19の大流行は、これら多くの要因を増幅させました。ある研究では、英国に限っても周産期うつ病の有病率が2014年の10%から2020年には24%に増加すると報告されています。

周産期うつ病の悲惨な結果のひとつは自殺です。イギリスとアメリカのデータでは、周産期における死亡の主な直接原因として自殺が報告されていますが、低所得国や中所得国のデータはほとんどありません。周産期における気分の落ち込みや自殺念慮には、いまだに相当な社会的差別や偏見があり、妊娠や母親業を喜びだけの体験と考える社会的圧力が、助けを求めることの遅れや症状の過少報告の一因となっているのです。周産期うつ病は、母親への有害な影響とともに、子どもや家族の行く末に悪影響を及ぼすリスクの増加とも密接に絡んでいます。周産期メンタルヘルスの社会的・制度的決定要因に焦点を当てた戦略を開発することにより、早期からの介入をより重視しなければなりません。

妊産婦の健康の向上は、持続可能な開発目標と女性・子ども・青少年の健康のための世界戦略の鍵となっていますが、その焦点の多くは身体的健康にとどまっています。WHOの妊産婦の健康に関する指標では、周産期のメンタルヘルスに関するデータはほとんどなく、周産期に発現する有害事象が無視されています。身体的健康は極めて重要であり、出血、感染症、子癇は妊産婦死亡の主な原因です。英国は、周産期のメンタルヘルスに関する包括的なデータ収集の仕組みを開発したリーダーであり、統合された専門サービスの投資につながっています。このようなサービスの実施には、専門スタッフの不足など多くの困難がありますが、非専門家を利用した戦略の実施も成功を収めています。周産期のメンタルヘルスを母子保健プログラムに統合することは、状況に応じたサービスの指針となるしっかりとしたデータ収集とともに不可欠になっています。

周産期うつ病は個人的な問題ではなく、生物学的、社会的、制度的要因の複雑な相互作用の結果なのです。ズラノロンなど新しい治療法への投資は有望なものですが、薬物療法は即効性のあるものではありません。世界規模で意味のある変化を創り出すためには、周産期うつ病の社会的決定要因や早期介入に焦点を当てた戦略を、妊産婦の健康のための議題としなければなりません。そのためには、妊産婦の健康の分野でメンタルヘルスが世界的に軽視されていることに終止符を打たねばならないのです。

 

原文記事:Perinatal depression: a neglected aspect of maternal health - The Lancet

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