ルーシー・レトビー事件:医療制度への教訓

ルーシー・レトビーは看護婦時代に7人の幼児を殺害し、少なくとも6人を殺そうとした罪で終身刑を言い渡されることになるでしょう。このような身の毛のよだつ事件はまれではありますが、決して特殊なことではありません。故意に患者を殺したり、傷つけたりした医療関係者は数多くいます。何が起こったのか、そしてどのような教訓を得ることができるのか、今注目が集まっています。調査が進行中ですが、そこからしっかりとした説明責任システムと、結論に向いた文化的変化が期待できるでしょうか?

ミッドスタッフォードシャー事件ではその後の調査中に、経営陣が引き起こしたシステム上の失敗により、4年間に渡って一つの病院で数百人の患者が死亡しました。290もの勧告が出され、NHSのDuty of Candourが導入されました。しかし、ミッドスタッフォードシャーから10年、ハロルド・シップマンに関する調査から20年経った今、英国は、組織全体の細部に至る多くの失敗が、いかに医療界における連続殺人犯の野放しを可能としたのかをようやく理解しようとしているのです。国際的な経験は、解決策を生み出すことが容易ではないことを示しています。

 患者に危害を加える可能性のある人物の採用を防ごうとするためには、強力な審査プロセスが重要です。しかし、潜在的な殺人犯を発見するのは容易なことでしょうか?医療連続殺人犯に共通する心理学的プロフィールを確立する努力がなされてきましたが、レトビーはそのような特徴をもたない、模範的な看護師のように見えます。医療過誤の履歴を記録し、フラグを立てることは不可欠ですが、それはクリニックが責任を持って行動する場合にのみ有効です。ドイツで少なくとも85人の患者を殺害した看護師ニールス・ヘーゲルは、患者に危害を加えていたことが明るみにでたため、オルデンブルク・クリニックから解雇されました。職歴に残る懲戒処分を受けることなく、クリニックは彼に肯定的な推薦状を与え、彼は別の場所で犯罪を続けたのです。

 患者が予想される以上に死亡するとか、本人の奇妙な行動、その他の不審なパターンに気づいたときに、内部告発者が医療殺人犯を明るみに出すことがほとんどです。しかし、どのような状況でも内部告発者になるのは難しく、特に報復を恐れ、極度のストレス、多忙な環境、患者の死と向き合う仕事であることを考えると、医療においてはなおさらのことです。彼らの懸念が上級管理者に真剣に受け止められることが不可欠なのです。レトビーの場合、内部告発者は無視され、謝罪させられたとさえ言われています。医療従事者には声を上げる道徳的義務がありますが、それを安全に行えるような保護がなければなりません。死亡率・罹患率についてのミーティングは、医療従事者が死亡例や問題となる症例について話し合い、臨床ケアの改善に役立てるための開かれた環境を提供するものです。しかし、こうした会議は標準化されておらず、訴訟を恐れて出席しない医療従事者もいるのです。

 医療従事者は、内部告発のために裁判にかけられたことさえあります。不審な同僚を医療委員会に訴え、逮捕された看護師のアン・ミッチェルがそうでした。米国で少なくとも29人の患者を殺害した看護師チャールズ・カレンについては、患者への薬物投与について、多くの施設で多数の同僚から報告が上がっていましたが、病院関係者は彼の行動を報告せず、それどころか退職勧奨や積極的な紹介さえ行っていました。当時、州法は病院に対し、捜査の可能性がある看護師を報告することを義務づけておらず、全米医師データバンクは犯罪で有罪判決を受けた者のデータしか収集していませんでした。そのため、担当者はカレンを報告する動機に欠け、その代わりに別の人間に問題を転嫁したのです。

 レトビー事件を受けて、政治家たちはNHSの経営層に対して、規制を強化することによって責任を負わせたいと考えています。これらの規制は、単に懲罰的なものではなく、患者を重視したものでなければなりません。営利目的を持つ医療システムでは、病院経営はビジネスです。しかし、NHSのような公的資金で運営されるシステムにおいても、度重なるコスト削減、民営化、効率重視は、医療機関としての病院運営を弱体化させる危険性があります。こうした圧力は、病院の評判を重視することと相まって、守勢に回る環境をもたらす可能性を高めます。

 

医療専門職が、ケアを受ける弱い立場の人々に対して暴力を振るうという考えは理解しがたく、解決策を見出さなければならないという切迫感を持ちます。しかし、規制や政策を急ぐことは賢明ではなく、非生産的でもあります。何が起きたのかを明らかにし、強化すべき分野を特定するためには、ルーシー・レトビー事件に関しては法的な調査が必要です。単純な対策はないでしょう。このような調査は、より正直で、オープンで、自己批判的な病院環境が必要であると締めくくられることが多いのですが、職場の文化を変えることは、ストレスがたまり、手薄になっているシステムの中では容易ではありません。医療システムの頂点から底辺に至るまでケアを優先しているかどうかは、言葉ではなく行動で判断されるのです。

原文記事:The Lucy Letby case: lessons for health systems - The Lancet

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